前編
私の名前はハン・イハダド・バルカ。
カルティリア王国最西端の領土を治めるバルカ家の次男だ。
次男である以上兄がおり、加えて姉と妹もいるが幸いなことに兄弟の仲は良い。更に言えば父母の仲も非常に良好で暑苦しく、幸せな幼少期を満喫させてもらっていた。
そんな私の目下の悩みは、どうやら自分には前世の記憶が残っているらしいこと。
いや、それだけならば多少の戸惑いはあれどそこまで悩んだりはしない。余計な経験のせいで伸びやかな成長が阻害されるかもしれないが、幸いにも次男であるし家への迷惑もそこまででもないだろう。
しかし非常に残念ではあるが、子供ながらに問題は既に顕在化してしまっているわけで。
はっきり言ってしまえば、不運にも私の前世は女だった。そのせいなのかちっとも異性にときめかないのだ。十歳といえば早ければ初恋だって終わらせている頃だろうにこれは不味い。今ならまだ周りと精神年齢が違いすぎるからと自分への言い訳も立つが、それも長くはもなたいだろう。
我が国では女性も爵位を継げるので、兄姉がいる私にはそこまで結婚への制約があるわけではない。あるわけではないがのだが、しかし当家はそこそこ有力な諸侯に数えられる家柄であるとは言え何しろ領土が僻地だ。出来れば中央のどなたかとの縁はなるべく深めておきたいところ。
何より、前世では長年夢見ていた結婚がついに、という直前で死んだらしく、どうにもそれ以降の記憶が出てこないのだ。なんという悲運。あんなに、50年間も必死こいて追い求めたというのに……無念だ。むしろ未練しかない。せめて結婚してからなら心安らかに成仏できただろうに。
そんな執念ゆえか神のお情けなのか、理由は分からないが幸いにも第二の生を得たのだ。折角の人生、今度こそ私は私の家庭を築いてみせる。必ずや前世50年の悲願を果たす!
更に贅沢を言わせてもらえるならば、ここ数代泰平を享受できている我が国では恋愛結婚も許容されているので、出来れば私もそちらを選択したい。
もっとも、それは私が好きになれたら、という条件付きなので可能であればで構わないけども。
正直なところ政略結婚でも全く構わない。結婚後であってもしっかりと愛情を築いてみせるさ。
そして前世の記憶をもつ私としては非常に不思議には感じるのだが、どうも今世の世界では同性婚も可能のようなのだ。
しかも一夫多妻、もしくは一妻多夫も可能。
これはもう好機と言う他ないだろう。既婚者でも可能性があるなんて前世よりも相手を見つけやすいことは間違いない。二番手だろうが三番手だろうが好きな相手と結婚できるなら些細な問題だ。
おまけに同性も有りなんて確率倍、更に倍。
正直なところ体は男で意識は女な現在、どっちを好きになれるかも定かではない。人類でさえあればいいという最低限なゆるい基準は望むところだ。
流石に多夫多妻はこの世界でも駄目だが、そこまで見境なくチャレンジしていくつもりはないので問題はないだろう。ついでに複数の相手に嫁ぐような掛け持ち重婚も不可だ。
まぁその制限を入れたところで前世よりは随分と選択肢が多いことにはかわりない。
実際に我が家は一夫多妻で、三人目の母は男性である。この形態は世間的にもごく普通な模様。どうやら何らかの手段で子供を作ることも可能らしく、普通に恋愛や家の結びつきといった形で家族を形成している。
少し前に友人の家への招待されたら、その家は女性当主が女性オンリーのハーレムを築いている家でとても華やかだったのを覚えている。そんな家庭に長男として生まれた友人がどんな性格に育つのか、他人事ながら心配に思ったものだ。
そんな訳で、どうしても結婚したい私としては速やかにこの身体に慣れ、もしくは精神面を重視し、男女どちらでも良いから伴侶として選ぶ必要がある。この際次男である自由さと性別に拘る必要がないことは幸い以外の何物でもない。
正直に言えばどちらもまだそういう対象には見れないが、こればっかりは時間をかけて慣れていくしかないだろう。なるべく早く改革していきたいものだ。
…………と、思い始めて早数年。
いまだにどっちもピンときていない私がいる。
いやだってしょうがなくないか?
所詮私の根本は女だし。いくら身体が男だろうが夢精しようが女の子にドキドキはしないのだよ。むしろその時に自分がどんな夢を見ているもんなのか知りたいくらいだ。かなり本気で。
かといって身体は男なので生理的な反応は更に正直過ぎて困る。この世界的には許されているとしても、どうしても抜けきれない前世の記憶が邪魔をしてちっとも受け入れられない。
だって自分はどう見ても男。誰が見ても男。むしろ厳つい。それがお前、同じような男を組み敷くのかと。むさい。
仮にものすごい美少年とかであればいけるのか?と思ったこともあったがそもそもそんな美少年は周囲にいなかったので早々に諦めた。
もっと野郎の思考回路を学習すれば女性へ傾くかもと五年前から国境軍付属の士官学校へ入ったのだが、そちらもあまり上手くいってはいない。残念ながら男という生物は未だに謎だらけだ。寧ろ年々疑問は増えるばかり。何故彼等は唐突に力比べをするのか、そして脱ぐのか。訳の分からないハシャギ方をするな。むしろ脳筋だから理解できない人種なのか?
私は入学する場所を間違えたのかもしれない。
男の花園なお誘いもいただいたが、組み敷かれるのはノーサンキューだったようで拒絶反応が凄まじかった。かといってやっぱり組み敷くこともできず、どうも私自身におかしなイメージが着いてしまったようだしままならない。
おかしい、こんな筈では……もう少し簡単に進められる予定だったのに。私はそんなに高い目標を掲げただろうか?
ほんの少し誰かにトキメキを感じてそれを持続させるだけじゃないか。というか、ぶっちゃけもう勃たないんだがどうしよう?最近は唯一の希望だった夢精すらない。まだ十代だぞ私。明らかに精神的なものではあるが大丈夫か?枯れすぎだろ?もっと本能本気出せよ!誰にでもいいから反応してくれよ頼むからまじで。
このままじゃ結婚どころか恋人すら作れないだろ!
…………と、募る焦りに苛まれる日々の只中。
私に婚約者が決まったらしい。
……え?あんまり唐突にすぎませんか父上。何故そんなに笑顔なのですか母上方。兄上に掴まれた肩は痛いし、姉上と妹はなぜか異様に憤っていて怖いし一体なんなんだこの急展開は。
よくよく話を聞いてみれば、どうやら第三王子とその取り巻きの辺りで婚約破棄が相次いだとかで上流貴族の一部ではパートナーの再編成が行われたらしい。
理由は非常に阿呆らしく、私の通う士官学校とはまた別の由緒正しい正学院の中で一人の女性をめぐって盛大な醜態を晒したそうだ。元の婚約者方からバッサリ切り捨てられたのがいるんだとかなんだとか。
この歳になってそんな振られ方をするなんて情けないにも程がある。
幸いにして取り巻き共は上流とは言え所詮第三王子に付けられた側近だ。婚約破棄したご令嬢達の確かな才覚もあって、彼女達はきちんと釣り合いの取れた相手と婚約を結び直している。これが第一、第二王子の周りを固める超上流階級ほどの家柄だと流石にそうそう家格の合う相手が足りなくて困った事態になるところだ。
が、しかし。
正にその困った事態に直面してしまったお嬢様が一人。
第三王子のお相手だった公爵家のコルネリア様だ。
彼女は父方の祖母が降嫁された王女という未だ王族に近しいやんごとなきご令嬢で、かつて王女が降下されて出来た公爵家自体も今に至るまで翳るところのない名家中の名家である。
早い話が側近勢でやや劣る第三王子のパワーバランスをフォローするための現国王の愛と言っても過言ではない。
唯一無二の切り札を無意味に手放した王子は途方もない阿呆だとは思うが話はそんなことではなく。
そんな天上人である彼女の夫になれそうな相手が今現在見当たらないということが大問題なのだ。
それもそのはず。だって彼女に釣り合いそうな相手には当然既に他の婚約者がいるし、今まで相手が居ないようなランクの者はそもそもお呼びでない。
幼すぎても歳上すぎてもいけないし第二夫人など畏れ多い。今回の婚約破棄は百パーセント王家の手落ちなので彼女自身に瑕がないことは明らかだし、そんな彼女におざなりな相手をつけるなんて王家の立場からすれば論外。ましてや生涯独身にさせてしまいましたなんてもっての他だ。
しかしあまりにも候補がいないものだから、いよいよ国外の相手も視野に入れなければなるまいとの流れになったそうだ。
そう。ここまでは分かる。
残念ながら脳筋に毒されつつある自分にも十分に理解できる範囲だ。
だがしかし此処からが予想外の急展開。
婚約破棄のさなかにも沈黙を守っていた件のご令嬢が、唐突にご自分の口で王様達に願いを告げたのだ。
曰く、お慕いしている方がいるので、どうか一度相手の意向を確かめさせてくれないかと。
自分の息子の不始末に頭を抱えていた国王様は当然これを全力バックアップ。相手の婚約者の有無からこれまでの恋愛遍歴まで調べあげて問題のないことを確認。その後に人格やら趣味やらの調査報告書を彼女に渡すと共に、確保対象の家長によろしく頼むの根回しも念入りに。
そんなトントン拍子に進んだ話の終着点が何故か私という訳で。
いやいや、どう考えてもおかしいだろう。
「……何故私がお慕いされてるんです。」
ここ数年ずっと脳筋の里、もとい士官学校にほぼ住み込みで過ごしているというのに。
「え?貴方コルネリア様にお会いしたことがあるのでしょう?」
「まさか。母上だって私の生活パターンはご存知でしょう。」
通学、就学、帰宅。そして翌日にまた通学。士官学校生の生活パターンは延々とこれの繰返しだ。就学は座学、訓練に実戦演習やサバイバル実習を含めたもので、期間としては泊まり込みの連日になることが基本である。
そんな軍隊に片足突っ込んだような学校の休日は帰宅から通学までの間のみという大変に過密なスケジュール。それを私ももう五年も続けているのだ。
家にいる時間の方が圧倒的に少ないため学内の繋がりは中々に密ではあるが、貴族としての社交もままならない環境なのでそれ以外の関わりはない。外の知り合いと遊びに行こうにも、そもそも休日が無いに等しい状態では甘酸っぱさのあの字も挟まる余地がない。
そんな泥臭い学生がいつ、どうやって綺羅綺羅しい正学院の公爵家ご令嬢と出会えるというのか。
「でも、コルネリア様は確かにバルカ家の次男を挙げられたわよ?」
「姉上達は何か聞かれていないんですか?」
「うぅん……学年も違うし、残念ながら分からないわねぇ。」
姉上と妹は二人共正学院に通っているのだが、コルネリア嬢とはどちらも学年がずれている。同じ学院だけに第三王子達の醜態は其処此処で見ていたようだが個別に話したことは無いようだ。
「婚約を受ける前に理由くらい伺っても良かったでしょうに。」
「だって貴方は知っていると思ったんですもの。まだイミルカル様が陛下とプブリウス家のご当主とお会いしただけで、はっきりと決まったことでもないしね?」
全然始まったばかりという訳か。そのわりにうちだけ情報が少なすぎる気もするけど。
まぁ聞いたところだと顔合わせは王命の決定に近そうだから逃げられないだろうし、私が知っていたところで大して上手くも使えないから構わないが。
どのみち恐らくは人違いだろうしな。
もし仮にそのご令嬢様が万が一私をご覧になるような機会があったとしても、十中八九私が見初められる筈はない。
結婚相手を探している身としては非常に残念なことではあるが、どうも私は結構な強面らしいのだ。簡単に言ってしまえばちょっと凶悪な顔をしたシベリアンハスキー似の人相と思ってもらえればいいかもしれない。
色のせいで見えにくい眉と、彫りが深すぎるせいか常に目の辺りに落ちる影とその中で光る色素の薄い光彩。それらが元々の厳つい人相と相まって少々……うん。鍛えているし、軍人としては幸いなことに体格も良いので尚更威圧感が増すという。
士官学校ではそれなりに普通だし、歳上の男性が見ればそこまで大したことはないと思うのだが、少なくとも女性や子供にはほぼ確実に恐がられるし逃げられる。そんな私に一目惚れというのは非常に考え難い。
なので、おそらく今度お会いした後には件のお嬢様の方から別人だったと言われるはずだ。お嬢様もこんな強面を側に置くのは困るだろうし、家格として此方からは断れないのは当然ご存知だろうからな。
片や公爵家筆頭、片や僻地の伯爵家、ましてや次男。お嬢様のご希望とそれを叶えざるを得ない状況でなければ流れて然るべき組み合わせだ。
恐い思いをさせるお嬢様には申し訳ないが、こちらとしては美人と一回お茶を飲むだけ。訓練の息抜きと思えばそう悪いものでもないだろうさ。
…………と、甘く考えてしまった浅はかさ。
結論から言えば、人違いではなかった。
顔合わせのお茶会にやって来たお嬢様は私を見て驚くこともなければ怯えることもなく。
お茶会は私が肩透かしをくらって内心で狼狽える間にさくさくと進み、結局終始和やかに、恙無く終了した。
別れの際にはお嬢様からさらりと次回の催促をされたので思わず約束を取り決めてしまい、本当に自分をご指名なのかと驚きを新たにしたものだ。
そしてなによりも重要なことが二つ。
ひとつ、コルネリア様はとてつもない美人だった。
そう、とてつもなく。比喩でなく羞花閉月を素でいける美貌だった。まじで。
確かに初めは怯えられないことにも驚いたが、ぶっちゃけそんなことは出会い頭のコンマ3秒くらいで、後はずっと彼女に見とれていた。
波打つ金髪は豊かに長く、きらきらとした輝きをたっぷりと詰め込んだ瞳は海のすべてを閉じこめたよう。パーツの形から配置から大きさまでなに一つ直す場所がないのに、同じようにスタイルまで非の打ち所がないのだ。まさに完璧。
私がこの世には女神が顕現していることを確信した瞬間だった。
何故王子はこの生きた宝石を手放せたのか。この外見に落ちなかったというならもう心の底から本気で感心するわ。すげーわ王子。誰がどんなに馬鹿にしようと私は尊敬すらしてしまうわ。その鉄壁のハートに完敗です。
ふたつ、たった。
何がとは言わないが。いやいや確かに自分でもあまりにも酷い表現だとは重々承知しているが、超重要事項だから。さらっと流せないから。とっても大事。
だって誰かを思って身体が反応するという私の長年の悲願がついに叶ったわけだよ。近年に至っては完全に沈黙を守り続けていた息子がついに、ついに……!
しかも相手はこのまま行けば自分のお嫁さんになってくれる絶世の美少女。前世からの念願だった結婚まで同時に叶ってしまうという幸運ぶり。
コルネリア様と別れた夜、現れた変化に一人風呂場で号泣してしまいました。あの時の喜びを私はききっと一生忘れない。
当然そんな幸運の女神に等しいコルネリア様に、私が誠心誠意、思いつくかぎり丁重に敬意を込めて崇め奉るように対応するのは言うまでもなく。引かれるだろうから実行に移してはいないが、内心では彼女の歩いた地面にキスしながら一歩ごとに彼女が生きていることを賛美しつつ後ろをついてまわりたいくらいには大事に思っている。この婚約が何かの計略で、自分がしょぼい悪事の捨て駒にされたとしても私は彼女に出会えた奇跡に感謝できるだろう。というかその方が今の状況に納得できる。
実際にそうなってしまうと家庭を築きたいという私の夢からかけ離れてしまうのは明らかなのに、本気で許せそうと思っているわけだから……あれだな、恋って怖いな。
そんな私の状態を助長するかのように彼女は私を避けることもなく、二回目以降のお茶会も非常に円満に重ねられているのだ。これはもはや天がそうしろと言っているに違いない。なにしろ顕現中の女神のお望みなんだから間違いない。
家族からの評判もすこぶる良く、私の(表面上の)盲目ぶりも周囲から批判されるどころか寧ろもっとやれと推奨される始末。私の恋愛フィルターを通さない彼女も崇めるに値するだけの人物であったわけだ。
なにしろあの美貌だけでなく、頭脳の方もとても素晴らしく性格も穏やか。そこに淑女の鏡のような振る舞いと貴族の高潔さも加わるとなれば自然と傅きたくたるというものだ。まさに女神。天上の主。万民の崇拝を受けるために産まれてきたとしか思えない。
本当に、何故第三王子はこんな素晴らしい女性を手放したのか尋ねてみたいものだ。
…………なんて思ったのが悪かったのか。
数回目のお茶会に、そのご本人がいらっしゃった。
まじっすか……、