5
「安奈、どこへ行った?」
アパートの中を探し回ったが、彼女の姿はなかった。もう夕暮れ時で、雪はやんでいた。
夕暮れ時は寂しいので、俺はアパートを出て、事務所に戻ることにした。
駐車場に着いた頃には外は暗くなっていた。ビルの廊下に入ると、保育園の照明は消えていた。それなのに廊下はやかましい。俺の事務所に明かりが点いていることが気になる。
そっとドアを開けた。
中に足を踏み入れた瞬間、何か大きなモノが俺のほうに向かって倒れてきた。
忍術の心得のある俺は咄嗟に避けることもできたが、その場の空気を読み、あえてその物体の下敷きになった。
それでパーティ会場は爆笑の渦に包まれた。
「ひっかかった。ひっかかった」と叫ぶ女の声。
「バブルの塔崩壊!」という男の声。
「おまえがバカだ」という子供の声。
俺はその物体の下からはいずり出て、
「新任の教師が教室のドアを開くと、黒板消しが落ちてくるあれか」
といって照れ笑いを浮かべた。
笠松ビルのオブジェの屋上とドアの下部が太い紐で結ばれ、俺がドアを引くと、前に倒れる仕組みになっていたのだ。
俺が注目を浴びたのはほんの一瞬で、DJマセが「ルリアナトキオ!」と叫ぶと、その場の全員が踊り始めた。
彼らの足下は木箱を二段積み上げたお立ち台で、その他装飾品も持ち込まれていた。
ルリアナTOKYOは、保育園から俺の事務所に引っ越しをしていたのだ。
俺はバブルの塔を立て直してから、カーテンで仕切られた、事務所の奥にある二畳ほどの空間に逃げ込んだ。そこにはロッカーがある。自分のロッカーを開くと、黄色に黒のラインが入ったつなぎのジャージ、同色のシューズ、それにヌンチャクがあった。
俺が着替え終わると、店内BGMはユーロビートから「燃えよドラゴン」のテーマ曲に変わった。
俺はカーテンを開けて、派手にヌンチャクを振り回した。会場の視線が俺に集まる。
「おうおうおう、どいつもこいつもアホ面さげて踊ってんじゃねえ! 俺が留守にした隙に、人様の事務所を勝手に使いやがって。てめえら人間じゃねえ。叩き斬ってやる!」
と啖呵をきった。
その言葉で会場は水を打ったように静まりかえった。
「盛り上がってたのに何するの?」
橋本瑠璃の母親がお立ち台から降りてきて、俺の前に立ちふさがった。
「そっちこそ使用済みのゴミを押しつけやがって」
「不要品回収って事業内容に書いてあるじゃない」
そうだった。それを言われると弱い。
俺は言い訳が思いつかず、バブルの塔の後ろに隠れた。
「そんなところに隠れたって無駄よ」相手は迫ってくる。
俺は横から顔を出すと、
「あ、あんなところに動かない鳥ハシビロコウが」
と言って、窓の外を指さした。
彼女は窓の外を見た。
「ハシビロコウって最近よくテレビで取り上げてるあれでしょ。どこにいるの?」
「ラチャー!」と俺は奇声を上げ、相手が油断した隙に、バブルの塔に回し蹴りをくわらせた。
巨大オブジェはその勢いで、彼女に衝突し、瑠璃の母親は部屋の端まではじき飛ばされた。
「キャアー」
それで会場はパニックだ。皆俺を恐れて、部屋から逃げ出していく。
俺は彼らを追う。
彼らは大慌てで階段を上がっていく。俺も階段を駆け上った。
二階はスナックなどの飲み屋街だ。
「カラオケ二階堂」というカラオケ店から音がもれ聞こえる。中年男が演歌を歌っている。そのドアが開いた。
マイクを片手に、金ぴかのジャケットを着た笠松大五が廊下に出てきた。
「ケケケケ、まんまと罠にかかったな。飛んで火にいる冬虫夏草とはおまえのことだ」と笑えないジョークを言って、「ハハハハ」と自分で受けている。
「ここで会ったが、三年目。待っていたぞ! 彪羅茶」
俺は急いでいるので、横を通り過ぎようとした。
「待て! 彪羅茶。まだ俺との決着がついていない」
「あいにく忙しいんで」
俺は先を急いだ。
「逃げるとは卑怯だ、彪羅茶。アチョー」
彼はマイクをヌンチャクのように振り回した。
「おまえはもう負けている」俺はそう言った。
「何をほざく。どこからでもかかって……あれ」
案の定、コードが体に絡まり、身動きできない状態になった。
「待ってくれ。こんなんじゃ戦えない」
俺は正々堂々と戦うつもりだ。からまったコードをほどくため、彼に近づいた。
「ありがとう。恩に着る」
「ラチャー」
相手に油断させて、俺は右足のつま先で笠松の腹を蹴った。
「うっ」
腹を押さえて身をかがめたところに、スキンヘッドの上からヌンチャクの一撃をお見舞いした。
俺はゆっくりと三階に続く階段を上がった。
ここはオフィスが多い。といってもどこも事業内容がよくわからない。怪しい通販グッズを扱っていた会社などは、警察のがさ入れがはいった後、別の会社に入れ替わった。
その会社のドアが開くと、巨大スズメバチが怒りの表情で出てきた。
「何がぶんぶんぶんだ。大の大人にこんな恥ずかしい格好させやがって。会場は白けきってたぜ」
蜂は俺のほうに尻を向けると、その先端にある針で俺を狙う。
俺は敵の攻撃をかわすと、針を上から強くふみつけた。
「いくらおまえが思い切り踏んでも、神経が通ってないから痛くも痒くもないぜ」
俺は両手で針ををつかみ、上に持ち上げた。
「何するんだ」
相手は身動きがとれない。
「ウー、ラチャチャチャチャ~」
俺は後ろから敵の両足へローキックを連打した。
「痛い! やめてくれ」
スズメバチは両足を抱えて倒れ、そのまま立てなくなった。
四階に向かう。いよいよ死亡の塔の最上階だ。以前は怪しい宗教団体の本部があったが、今は全室空き室だ。
そして、階段を上がってすぐの廊下に、天井に頭が届くほどの大巨人がかまえていた。
「誰が大巨人だって?」
「響子? まさかおまえまでもが敵だったとは」
「所長のせいで私がどれだけ苦労してると思う?」
「それは俺のセリフだ。無能なアシスタントが足を引っ張るせいで、ラチョー」
俺は大女が油断している隙に、脇腹をヌンチャクで打った。が、びくともしない。
「何してるの? 本気で打ちなさいよ」
俺は全力で打ったのだが、贅肉のたっぷりついた脇腹は鎧のようなものだ。厚い脂肪の壁に塞がれ、全くダメージを与えられない。摩天楼のごとき脂肪の塔は、威風堂々と聳え立ったままだ。
「うっ、今頃聞いてきた」
渾身の一撃よりも贅肉発言のほうが効いたようで、彼女は脇腹を押さえて倒れ込んだ。
「スリムな私はお腹に肉がないから、内臓にまともに響く。痩せていなければ勝てたものを」
と言って、気を失った振りをした。
「どいつもこいつも、だらしなさすぎだぜ」
俺が下に戻ろうとすると、後ろから女の声が聞こえた。
「お遊戯はここまでよ」
空き室のドアが開いた。
「そのデカイ女はラスボスじゃないわ。ただの四階のボスにすぎない」
声の主は戸口に姿を現した。
「誰なんだ、おまえは?」
「もう忘れたの? 今日会ったばかりじゃない」
相手はボディコン姿の幼児だった。
「橋本瑠璃?」
「そう、死亡の塔の女王様よ」
「おまえが黒幕だったのか」
「いまごろ気づくとは遅すぎるわ」
「どうして裏野ハイツに行った?」
「何を言っているの? 本番が迫っているのにそんなところに行くわけないじゃない」
「じゃあ、どこに消えた?」
「どこにも消えてないわ。私はずっとこの建物の中にいたの」
「そんなはずはない。俺はおまえを探し回ったが、このビルにはいなかった。おまえのせいで冬の女王は塔から出られず、お遊戯会はぐだぐだになった。どうしてくれる?」
「冬の女王は私なんだけど、なんで私が塔から出られないの?」