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 スズメバチは、木造家屋の屋根裏などに巣を作ることがある。そんな場合、住民の許可を得て、天井の一部を切り抜いて、そこから巣を取り出す。

 今回も居間の天井に穴を開けて行う。蜂が他の部屋に逃げていかないように、部屋は密封され、床にはシートが敷かれている。


「しゃべってないで手伝え」

 長岡害虫駆除代表長岡義男は脚立の上から、四角く切り抜いた天井板を下にいる俺に差し出していた。俺はそれを受け取ると、床にぽいと放り投げた。

「丁寧に扱え」

「どうせ捨てるものだろう」と俺は反論した。

「またはめるんだよ」

「いつも捨ててるくせに」

「今回ははめるんだよ」

「どうして?」

「あんたが捨てるっていうからだ」

 いい年こいて子供っぽい感情で動いて恥ずかしくないのだろうか。

「屁理屈はいいから早く吸い取り器とって」


 床に投げ捨てられた天井板の傍には、服などを入れる収納ボックスが置いてある。蓋の一部をくりぬいてホースが外に出ている。ホースの先は掃除機の先端になっている。

 簡単に言うと、収納ボックスに掃除機の本体を入れ、掃除機のホースを外にだしたのだ。なぜそんなものをわざわざこしらえたかというと、蜂の数が多い場合、掃除機のダストボックスだけでは足りないので、ダストボックスの蓋を開けた状態で収納ボックスに入れたのだ。これなら相手が何千匹いようが、袋のねずみ、いやこの場合は袋の蜂だ。


 俺達がくだらない雑談で手間取っている間に、スズメバチが攻撃を開始してきた。

 俺は命の危険を感じながら、先端部分を彼に渡した。

「話しながらだと遅いから黙ってやれ」

 彼の言うとおり、無数の蜂が巣から飛び出してきて俺たちを襲った。

 

「早くスプレー」

 彼にそう言われて、俺は自在に伸びる自社開発のスプレーノズル、通称バベルの棒の先端を飛び回るスズメバチどもに向けて殺虫剤を噴射した。


 多大な損害を受けつつも、最終的に俺たちは勝利した。

「まずスプレーで弱らせてから吸い込むべきだったな」

 経験の少ない俺は大ベテランのミスを指摘した。

「このやり方でうまくいく予定だったんだよ」

「プロ中のプロである社長らしくないな」

「普通にやればうまくいったよ。あんたが自分の行動をいちいち実況しながら動くから、吸い込む前に蜂が飛び出してきたんだよ」


「要するに俺のせいか」

 俺は相手を睨みつけた。

「要するにあんたのせい。今回だけじゃないよ。いつもあんたが足を引っ張る」

「それなら何故俺を連れてきた?」

「あんたのところがとった仕事だから、仕方ないんだよ」

 

 ラーチャー&スミスバーニー探偵社と長岡害虫駆除の関係は、俺が昔便利屋だった頃から続いている。地上四階の超高層ビルの一階という最高の立地条件に恵まれた便利屋らあちゃんは、スズメバチ退治などの仕事をとって、営業力の弱い専門業者に回していたのだ。

 多忙を極める俺としては仲介手数料だけで充分なのだが、伊賀忍法奥義虫退治を習得した実力を買われて仕方なく参加している。


「あんたがいつも暇だから、手伝ってもらってるんだよ」


 探偵である俺が未だに便利屋時代の仕事を続けているのは、探偵の仕事だけでは時間をつぶせないからだ。といっても依頼件数は俺一人で大手探偵事務所を越えるほどある。しかし、どれも数秒から数十秒で解決してしまうため、時間が余り、以前から続く便利屋の仕事を続けているのだ。


「毎回、その話聞かされてもう聞き飽きたよ」

 長岡はそう言うが、聞くほうは楽でいい。俺なんかとっくの昔に話し飽きた。

「ところで」俺は話題を変えた。「例のお遊戯会の件ですが、もちろんご参加いただけますよね」

「何の話?」

「笠松保育園のお遊戯会に社長が出るんです」

「あそこの幼稚園で俺がお遊戯するの? どうして?」

「スズメバチの役だからです」

「馬鹿にするなよ」

 彼は嬉しそうに言った。

「嬉しくないよ。怒ってるのを変えて表現しないでよ」

 うれしさのあまり相好が崩れた。

「だから怒ってるんだよ」

 こうしてスズメバチハンターは自らスズメバチになる決断をした。

「だから引き受けてないって」



 その日の夕方、保育園のスタッフルームでお遊戯会の打ち合わせがあった。園長は他で用事があるそうで、テーブルを囲んで、保育士二名と俺、なぜか乗り気満々の笠松大五も一緒だ。


「俺はやる気はないよ。勝手に企画書に名前が載せられたから文句を言いに来たんだ」

「すいません」ませいわおが頭を下げた。体操のお兄さんのような爽やかな青年だが、腹黒いところもある。「やはりご参加は無理ですよね」

 大家と店子といえば親子も同然、日頃から笠松はそう口にしている。しかも今回は妹が園長を務める保育園の一大行事だ。まったくの無関係というわけにもいかない。

「少しくらいなら俺だって協力するよ。だけど、これ重要な役で出づっぱり。しかも本人役だろう? バブル崩壊で店を手放すかどうかなんて、俺そのものじゃないか」

「だから出演を頼んだのさ」

 俺はそういいながら、お遊戯室にまだ子供が残っていることが気になった。

「さとし君のお母さん、お迎え遅いから」さのえりかがいった。

 もうひとつ気になることがある。目の前のテーブルは普段園児達が昼食やおやつに使用しているもので、椅子もそうだ。背もたれのない丸椅子とはいえ、6フィートを越える大男の俺が座るにはあまりに小さすぎる。

「テーブルも低いから問題ないじゃないですか」ませが言った。「そんなことより、一番の問題はこれ本当にやるつもりなんですか、ということです」


 テーブルの上には、俺が書き上げた台本の下書きが四冊置いてある。彼はそれを開いて、冒頭のナレーションを読み上げていく。


「1991年、日本が一番輝いていた頃、街には大事マンブラザーズバンドの歌が流れていた。僕らはまだ若く、挫折を知らず、根拠のない自信と果てしない希望に満ちあふれていた。だけど、そんな僕らをあざ笑うように現実は少しずつ牙をむきはじめた。 


 僕、間瀬巌は中堅の証券会社に入って二年目だった。突然、課長から呼び出されリストラを告げられた。

 そんな僕を拾ってくれたのが、バブルの塔グループの総帥笠松大五社長だった。僕は社長の右腕として高級ディスコ「ルリアナTOKYO」の店長をまかされることになった。

 僕のアイデアで、盛大なダンスコンテスト「冬の童話クイーン祭1991」を開き、四人の女王を選び出した。女王達は互いにライバル心を抱き、彼女達のおかげで店内はいつも大盛況だった。

 しかし、そんなバブリーな日々に水をさす出来事が起こった。


間瀬「仕手株にやられた? どういうことです?」

笠松「ああ、まんまとひっかかったよ。こいつのせいでな」

あらきまこと「すいません、僕が馬鹿だったんです」

笠松「馬鹿~?」

あらきまこと「そうです。僕は馬鹿です」

笠松「その言い方だと、他の馬鹿に失礼だぞ」

間瀬「そうだ。君は並の馬鹿じゃない」

あらきまこと「僕は日本一、いや世界一の馬鹿なんです」


 あらきは本社で財務を担当していた。社長はあらきの紹介で証券マンと会い、絶対に儲かると言われて、大量の電鉄株を買った。一週間後、その株は大暴落を記録した。


笠松「もう彼にうちの金庫をまかせるわけにはいかん。黒服として奴隷のようにこき使ってくれ」

間瀬「わかりました。ところで、あらき君、君が紹介した証券マンとはどんな奴だね?」

あらき「アコギ証券の近藤という人物です」

間瀬「え? それ僕の昔の上司です」


 ………。

 沈黙。


「乗ってきたところなんだから、途中でやめるなよ」

 俺は、彼らの非協力的な態度をなじった。

「自分でナレーション始めるのはいいけど、僕が読み始めたことみたいになってるじゃないですか。まあ、自分のパートは読みましたけど」と間瀬は言った。

「俺も釣られて自分のセリフ、読んでしまった」

 といった後、笠松はケケケと奇怪な笑い声を出した。

「なんで私がまこと君なの?」

 えりかが聞いた。

「この中で一番馬鹿だからさ」

 と俺は言いそうになったが、ぎりぎりのところで抑えた。

「もう全部言ってます」


 そのとき、なかねさとしの母親が迎えに来た。

「どうも遅くなってすいません。あれ、みなさん何されてるんですか?」

「お遊戯会についての会議です」

 間瀬が答えた。

「どんなのやるんですか?」

 さとしの母親は、許可もないのにスタッフルームに入ってきた。

「あ、変な人」

 ようやく俺の存在に気づいたようだ。

「まだ、全然決まっていなくて、本当にこれからです」

 間瀬は、部外者に事情を明かした。

「部外者じゃないわよ。これ台本ですよね。ちょっと見せてください」

 社外秘というゴム印が押してあるのにかかわらず、母親は台本を読み出した。


「これ、お遊戯会?」

「やっぱり駄目ですよね」

 さのは申し訳なさそうに言った。

「こんなの中学生でもNGでしょう。それにさとしが下で踊るだけっていうのもあれですし。なんでこんなの選んだんですか」

「るりちゃんのお母さんが気にいってるんですが」

 保育士のその言葉で、急に彼女の態度が変わった。

「え、ネイルサロンの社長さんのお気に入り? そういえば、良く読んでみると面白い。これにしましょ。決定」

 こうして俺の台本は、父兄からも承認された。


 そのときの俺はバブル時代のOLのように浮かれていて、その台本があの一連の凄惨な事件を引き起こすとは夢にも思わなかった。


「いくら独り言でも縁起でもないこと言うなよ」

 笠松がそう俺に注意した。まさか彼自身が事件の最初の犠牲者になるとは、その場にいた誰もが想像だにしなかった。

「そうやって、事件モノみたいな語り口を使っても無駄だよ。どう転んでもただの日常の出来事なんだから、探偵小説にはならない」

 彼は勝ち誇ったように笑った。それでその場はなごやかな雰囲気に包まれて、事情を理解していないなかねさとしすら笑った。だが、それは嵐の前の静けさにすぎなかった。

「あんた、しつこいぞ」


 読者諸君、この何気ないシーンを覚えていて欲しい。実はここにいた六人の中に犯人がいたのだ。


「読者って何? 誰かが便利屋さんの独り言を読んでいるんですか?」

 さのが俺に聞いた。まさか自分が受け持っている子供が連続殺人を行うとは思いもよらずに……。

「うちのさとしが人殺しみたいな言い方やめてください」

「ママ、バカなんかとしゃべってないで、早く帰ろうよ」



 俺が暮らすおしゃれなタワーマンションは、笠松ビルのような老朽雑居ビルとは違い、各階にコンビニがあり、最上階には住民専用のバーまで用意されている。

 最近入ったばかりの若いバーテンは劇団員だ。俺は自分が売れっ子脚本家だと偽り、カウンター越しに自分が書いた台本を渡した。


「脚本家だと偽りって、本業は違うんですね」

 彼は台本を読み終わると、「だけど、これ面白いですよ。うちの劇団のよりずっといい。これ、うちの劇団でやらせてください」

 と懇願してきた。

「悪いけど、もうすでに他の劇団でやることが決まっている」

「そうですか……残念だな。うちなんかと違って大手の劇団さんなんですね」

 保育園のお遊戯会の台本だとは言えない空気になっていた。

「今、保育園がどうのこうとか?」

「自分の言ったことなんか、いちいち覚えちゃいないね」

 俺はグラスを空にすると、大都会の夜景をうっとりと見つめた。シェーカーを振っていたバーテンは、黒っぽい液体を逆三角形のグラスに注いだ。

「もしバブルが弾けずにまだ続いていたら、俺クラスでもこんないいところには住めなかったな」 

 と俺は言った。

「昔はマンションとか高かったそうですね」

 日本がバブル景気で沸いていた頃、俺はブロードウェイで知られた顔だった。当時、アメリカ全土でジャパンバッシングの嵐が吹き荒れていた。俺の出演シーンには、ブーイングが起き、俺は公演途中で降板することになった。

「僕と同業の大先輩だったんですね。でもお若く見えますが」

「もう三十三さ」

「今三十三歳でバブル時代にブロードウェイですか?」

「ああ子役だったからな」

「これ、新作カクテルなんですけど、試してみます?」

 バーテンは、カクテルグラスを俺の前に置いた。

「ラムをベースにノニジュースを三割ほど加えて、ミントを添えてみました」

「名前はあるのかい?」

「ずばり、罰ゲームです」

「うまそうな名前じゃないか」

 俺は嫌な予感がしたが、断るわけにはいかず、おそるおそる口にした。

「ぺっ! ひどい味だ」

「お口にあいませんか」

「客にだすようなものじゃないな。犬畜生でもはき出すぜ」

「うちの酒がそんなにまずいのかい?」

 バーテンの声が急に太くなったので、俺は顔をあげた。するとそこにいたのは毛虫眉毛の五十男だった。


「タワーマンションのおしゃれなバーじゃなくて悪かったな」

 居酒屋若杉の大将は、不機嫌な様子で、俺の前に置かれた安酒の入ったカップを引き下げた。

 俺はその場にいたたまれなくなって、帰ろうとしたが、かなり酔っていて、自分の車を運転できない。

 カウンターの横の太い柱には「代行運転5000円」という張り紙があった。

「悪いけど、代行運転頼んでくれないか」と俺は大将に頼んだ。

 すると彼は、「うちの代行運転やってるのは便利屋のあんたじゃないか」といって怒った。

 たしかに俺はこの店から代行運転を頼まれることがある。だが、我がラーチャー&スミスバーニー探偵社の代行運転サービス料は良心的な3500円だ。張り紙の五千円は別のぼったくり業者と思ったわけだ。

「料金間違ってますよ」と言うと、

「うちが受けた仕事を業者のあんたのところに回すんだから、ただというわけにはいかないだろう? あんたがスズメバチ退治の仕事を受けて、業者に回すのと同じことだ」

 と返された。さらに

「あんたの事務所まで徒歩二分だから、車に乗らなくて歩いて帰ればいい」

 とアドバイスを受けたが、言われた通りにするのは俺のプライドが許さない。アルコールが抜けるまでここにいることにした。

「いるのはいいけど、ちゃんと注文はしてくれよ」

 俺はもう注文はしない。その代わり、ここの娘と仕事の話をする。

「綾名に用があるのかい?」

「俺がプロデュースするイベントに出演して欲しい」

 若杉綾名はアイドルグループに属し、本格デビューを控えて、レッスンに励んでいる。

「たしかにまだ無名だから仕事もらえるのはありがたいけど、あんたがプロデュースするんじゃなあ」

 俺は信用されてないようだ。

「いいよ。ちょっと待ってて。上にいるはずだから」

 親に呼ばれて、二階の自分の部屋にいた娘が下に降りてきた。どう見ても美しくはないが、泡沫アイドルとしてはましなほうだろう。


「なあに? あ、この間はどうも」

 俺をみるなり頭を下げた。実は俺は彼女のオーディションに付き添い、見事合格させた実績がある。

「あれは別のオーディション。最終までいかなかったから不合格。で、用って何?」

 俺は事情を話した。

「早く事情を話してよ」

 彼女に急かされて俺は手短に説明した。

「だから、手短でいいから説明してよ」

「高級ディスコのイベントにゲスト出演して欲しいんだが」

「そういうことは事務所を通してください」

 そう言い残し、彼女は二階に上がっていった。


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