Act 1-3:戦争の爪痕
エルフ娘に案内されてたどりついた先は、森に入ってすぐの木造建築だった。
様子を見るに、彼女の勝手知ったる我が家、というわけではないらしい。
まあさすがに、素性のわからぬ、知り合ってすぐの人間を、自分の家に案内したりはしないだろう。
どうやら、ここなら安全だという意味のことをしゃべっているようだ。
身を落ち着ける場所に連れてきてもらえたことに、感謝せねばならない。
いちおう、なんらかの罠であることも考慮したが、建物内部にこれといった生命反応はないし、奇妙な仕掛けの気配もない。
宿屋、だろうか。
おそらくはそうだろう。
外観から判断できる構造がそれっぽいし、立地も旅人がふらりと立ち入りそうな場所にある。
俺たちは、荒れ果てた木造の建物に足を踏み入れた。
入ってすぐの空間はわりと広く、想像どおり、ロビーというか、小さなホールらしき様相だ。
割れた酒瓶や傷んだ書物などが、乱雑に床に散らばっている。
「ここは、かつて宿屋だったみたいだな」
俺はミイに言った。
「奥んところがカウンターになってて、あそこ、帳簿がある。けど、どこかしこもホコリまみれだ。人が訪れなくなって、だいぶ経つな」
かつては、にぎやかな話し声や活気に包まれていたであろうこの場所を、いまでは沈黙が支配している。
「うえー、ここで一晩明かすの?」
「しょうがないよ、いまのところは」
「うう、ボロアパートに帰りたい……けど……万事おっけぃ……」
俺たちがもといた世界で住んでいる部屋は、八.七畳の、せまっくるしい1Kだ。
床にひいたガムテープと積み上げたダンボールが、おたがいのスペースの境界線だった。
奇跡的に風呂・トイレは別で、その利用も、明確に時間で区切ってあった。
「パパ、もうすこし仕送りくれてもいいのになー。一人娘をほっぽりだして、海外生活を謳歌してるわけなんだから」
彼女はよく、そうぼやいた。
ミイは、渋い顔でホコリをはらいつつ、テーブル席に腰かけた。
その横に、となりの席から焦げ茶色のイスをひとつ引いてきて、俺はそれに座った。
年代がかった木の丸テーブルにひじを置く。
エルフ娘は、手をかざしただけで、暖炉の火をおこした。
「魔法かな」
「魔法だな」
俺とミイはささやきあった。
エルフ娘は、布製の背負い袋からカップを取り出すと、指につまんだ粉末を入れた。
水袋からカップに水をそそぎ、暖炉の火にくべた焼け石を投入して沸騰させた。
それから、クルトンのようなものを浸し、かんたんなスープとして、俺たちに振る舞ってくれた。
蒸気と、カップから伝わる熱に、ほうっと息をつく。
エルフ娘は、しばらく建物の内部空間を見渡していたが、やがて俺たちの前まで歩いてきて、テーブルをはさんでむかいの席に座った。
「あとで、掃除しましょう」
まともに翻訳できた、彼女の最初の言葉が、それだった。
「ええと、わたしの言っていること、わからないですよね。ここ、掃除してあげます。すこしでも過ごしやすいように」
「ありがとう」
俺は、彼女の使う言葉で言った。
「さっきのこと。それから、このスープ」
エルフ娘の目が、大きく見開かれる。
となりにいるミイの目まで丸くなった。
「言葉、わかるんですか?」
エルフ娘が、身を乗り出して問うた。
「わかる」
俺は、もう一度礼を述べてから、油分の浮いたスープの表面に口をつけた。
まだ熱い。
とろみのある、甘いポタージュ・スープの味がした。
ミイもあわてて口をつけ、感激したようにスープをのぞきこんだ。
俺はつづける。
「いま、わかるようになった。専用の翻訳ソフト作成に時間がかかった」
「翻訳――なんです?」
「ああ、いや、いまようやく学習が一段落したってコト」
「この短いあいだに……知らない言語をマスターしたんですか? 失礼ながら、魔法が使えるようには見えませんが」
「魔法じゃないよ。科学文明の力だ」
俺は答えつつも、ベタな受け答えだと思った。
「ユウ兄どしたの、急にわけのわからない言葉ペラペラと……」
俺とエルフ娘のやりとりがまったく理解できないミイが、頬をふくらませる。
「ああ、すまん。彼女の言葉、ようやくわかるようになったよ」
「え、ほんと! じゃあ、名前訊いてよ、名前! あ、そのまえに、いきなり尋ねるの失礼だから、あたしの名前、さきに伝えて」
「名前?」
「そ。自己紹介しなきゃ! 助けてもらったんだし」
それもそうだ。
いつまでも、エルフ娘、と呼びつづけるわけにもいかない。
「俺はユウ」
姿勢を正し、名乗る。
「こっちはミイ。さっきは助かった。ありがとう」
「はじめまして。わたしはエルフ、名をカチュターシャといいます」
「どうして、俺たちを信用してくれたんだ?」
「信用?」
「最初、弓を向けたろ」
「その……たいへんな失礼をいたしました」
「いや、それはいいんだ。ここの事情は知らない。けど、とにかく最初は脅威かもしれないと警戒したんだろ? なのに、弓を下ろした」
「……目を見れば、危ない人かどうかは、わかります」
「そんな、ものかな?」
「ええ」
カチュターシャはうなずき、俺たちを交互に見た。
「あなたがたは、どこからきたんですか? 見たところヒューマンのようですが、この大陸のかたではないですよね。正直、おどろきました。この近辺で、見知らぬ人と出逢えるなんて」
「ということは、だれかと知り合うのは、めずらしい?」
「ええ、もちろんです」
「いま使ってる言葉はエルフのもの?」
「いえ、これは大陸共通言語です」
「じゃあ、これさえマスターしていれば、だれにでも通じるってことか」
「ええ、そうなりますね。……あまり、使う機会はないかもしれませんが」
「カチュターシャ」
俺は身を乗り出した。
「これから俺が言うことを、よく聞いてくれ。信じて、そして考えてくれ。俺と、ミイには、なにがなんだかわからない。だから、助けてほしい」
カチュターシャは、わずかに首をかしげ、困惑したような表情を浮かべたが、すぐにうなずいてくれた。
それから俺は、ここにいたるまでの経緯をざっくりと話した。
カチュターシャは、俺の言葉の意味するところひとつひとつにおどろいていたが、口をはさんで話を中断させることはしなかった。
俺が話し終えると、カチュターシャはしばし考えをまとめるように黙した。
やがて、顔を上げる。
「まず第一に、わたしはあなたの疑問のほとんどに、いえ、重要度の高い問いに関して、満足に答えることができません。あなたのお話は、わたしにとっても奇妙で不思議なものです」
「そうか」
失望しなかったと言えばウソになる。
だが彼女の誠実な物言いは、この世界に対する安心度をいくばくか向上させてくれた。
「もちろん、わたしの知る範囲のことなら、なんでもお教えします」
カチュターシャは、元気づけるようにつづけた。
「ここは、トワ・イラトと呼ばれる大陸です。あなたがたのいたチキュウとは、おそらく本質的に異なる世界でしょう。どうして、あなたがたがこの世界へとくることになったのか、残念ながら、わたしは答えを持っていません」
「この世界が、退廃的な理由は?」
「気づかれましたか?」
「人がいない、ということを強調していたからね」
カチュターシャは簡潔に、淡々と、その理由を話し始めた。
「戦争があったそうだ」
俺は、ミイに通訳する。
「戦争があって、魔法とかどんどん使って、大地はめちゃくちゃになってしまったんだと。汚染された。人が住めるような場所じゃなくなって、人はどんどん追いやられて、数がどんどん減っていった。都市とかそういうのも滅んで、朽ちて、捨てられた。捨てるしかなかった」
俺は、世界の住人の、当事者の言葉を、他人ごとの言葉に変換していく。
それは史実というより、物語のあらすじのようだった。
「戦争」、「汚染」、「滅亡」、それらは単に、翻訳された言葉に過ぎない。
発するカチュターシャと受け取る俺のあいだには、実感のレベルで、あたりまえに大きなちがいがある。
「いまは、あちこちで自然治癒が働いて、土や水も浄化されて、世界が再生してきていて、けど野生化した動物や自然の多くは、人族に牙をむいているらしい」
無秩序の世界。
それはもう、じゅうぶんすぎるほど目撃した。
「それから、汚染域には近づくなと。そこでは、なにが起きるかわからないそうだ。戦争で使われた膨大な魔法エネルギーが集積して、さまざまな現象を引き起こすって。足を踏み入れたら、そこはもう、ありとあらゆる常識や物理法則が通用しない空間らしい」
ミイは、神妙な顔をして聞いていた。
目の前に、この世界を生きるカチュターシャがいるためだろう。
だが俺は不安だ。
俺たちもまた、この世界で生きることになるかもしれない。
最悪の想定では、この先、一生、生きていかなければならないかもしれないのだ。
この世界の物語は、今後、俺たちの物語と深く関わっていくことになる。
経験者・先輩の言葉は、すべてが重要な情報であり、生き抜くヒントだ。
俺は思いだした。
ファンタジー小説なんかじゃ、エルフは長寿だ。
「女性に失礼な質問と自覚はしてるけど」
俺が言うと、カチュターシャはほほえんだ。
「年齢ですか? わたしは若いですよ。エルフにしては、ですが。百六十五年前、世界自然復興のさなかに、わたしは生まれました」
百六十五。
どんなに上に見ても、二十歳を越えているようには見えない。
「だから、戦争の始まり、中身、終わりについては、ほとんど知りません。資料は焼け砕け、過去を知る人は死に絶え、語るべき歴史は途切れてしまいました」
愁いを帯びた表情に、俺は継ぐ言葉を失う。
扉の開く音で、俺は我に返った。
ミイを抱き寄せ、机を蹴って倒し、バリケードにする。
「カチュターシャー、ただいまー」
だが、聞こえてきたのは、そんなのんきな声だった。
「今日の宿の目印は、見つけるのに苦労したぞー、って……あん? そいつらだれ?」
入ってきたのは、猫耳と尻尾の生えた少女だった。
ふさふさした毛皮でできているわりに、かなり露出度の高い格好。
そんな服装や小柄な体格に対し、両手にはめられた籠手が大きく重たく見える。
「おかえりなさい、クゥ」
カチュターシャは座ったまま彼女を出迎え、俺とミイを紹介してくれた。
「彼女はクゥ・リ・オ。ワービースト族です」
「あい、よろしく」
ネコ耳をピクピク、尻尾をフリフリしてみせながら、クゥは無愛想に応えた。
だがその目が俺に向けられたとき、様子が変わった。
彼女は、あたかも旧知の仲と再会したかのような色を浮かべ、俺を見た。
「わたしたちは、二人で暮らしているんです。宿も一ヶ所にはとどまらず、転々としています。そのほうが安全で生存確率が高いと、経験上、判断したからです」
カチュターシャは俺たちに説明したあと、クゥを見上げた。
「クラタさんたち、どうしてました?」
「いちおう顔だけ見せようと思ったんだけどね……。あいも変わらず、消えた死体の捜索さ。あまりいい雰囲気じゃなかったから、すぐ、おいとましたよ」
死体が消えた?
それは聞き捨てならないワードだった。
問いかけてみようとしたが――。
「んなことより、飯にしようぜ」
クゥの言葉で、タイミングを逸した。
人間社会ではタイミングがすべてだと、ミイは言っていた。
わからないことだらけで情報は重要だが、ひとまずの安全は確保できたし、焦る必要はない。
俺は椅子に座りなおった。
「ちょうどいい、ぱーっと、歓迎会でもやるか」
クゥが玄関からなにかを引きずってくる。
そして、真ん中のテーブルの上に、そのシロモノを、どかんと置いた。
イノシシに似た、図体の大きい動物だった。
「おおー!」
ミイがおびえるふうでもなく、目をパチクリさせ、食材を見る。
その反応に気をよくしたのか、腰に手を当て、クゥがニヤリと笑った。
「な。今夜はごちそうさ」