Act 1-2:現地人エルフ
俺は、iNOID――有機アンドロイドだ。
人工知能の容れものとして、人間のからだを模した生身に近い肉体を持っている。
疑似血液内など、いたるところで自己増殖型のナノマシンが活動しており、細胞はナノマシンと融合して金属粒子となっている。
からだは器にすぎず、俺の本体は、どちらかと言えば、そのナノマシンひとつひとつだ。
たがいに干渉し通信し共有し合うことによる、集合知能。
自己増殖型とはいっても、プログラムで制限はかけられているし、聞こえほど万能ではない。
人間だって、多数の細胞で成り立っているし、頭脳ひとつで物事を考えているわけではない。
あらゆる器官で、反応や処理や行動制御を行っているのだ。
それらが重なり合って、自己となっている。
俺は、研究者であるミイの父親による、試作品である――ということになっている。
一般家庭用型を社会的に実用化することも視野に、社外秘の試験という名目で、ミイの世話役として導入されている、と。
一般家庭用にしては少々高性能すぎると自負してはいるものの、いまじゃ立派に世話型としての役目を果たしている――と思う。
ミイは、興味津々で変化した手をさわっている。
「こんなになっちゃって……なんともない? 痛かったりとか」
「いや。自分の意志で動かせるし。筋肉動かして手をグーパーするのと変わらないよ」
「どうして、内緒にしてたのさ」
「それは……」
発言に含ませる、真実とそうでないことの比率に悩む。
「だって、気持ち悪いだろ、こんなの」
結局、一番の理由ではないが、真実を吐いた。
「ふつうに引くだろ?」
「どうして? カッコいいじゃん、変身ヒーローみたいで」
「……本気で言ってる?」
「もちろん」
きょとんと、彼女は首をかしげる。
そこに、嫌悪の色はない。
「ミイ、俺――」
言いかけて、動きを止めた。
いまいる位置より坂を上ったあたりを見る。
「あれ、は」
ミイもふりかえって、俺の指差す方角を見る。
そして、息を呑んだ。
野犬の群れのように見えた。
地球のそれと形状が似ている。
数は、五、六、まだ後ろに何匹か見える。
こちらを見下ろし、様子をうかがっている。
「どうなってるんだ、ここは」
まるで秩序がない。
ありのままの自然界。
「友好的なあいさつは期待しないほうがいいな……」
俺は右手でミイの腕を引き、わずかに後ずさりする。
群れから目をそらさない。
中心にいた犬が、空をあおいで吠えた。
「走れ!」
俺はさけんで、ミイの手を引いた。
ふりかえると、犬たちがいっせいに走り出し、坂を下りてくるのが見えた。
「くそ、冗談じゃない――!」
あれだけの数、あれだけの速度だ。
そして、この開けた場所。
ミイを守りながら戦うのはきびしい。
できなくはないが、試すのは危険だ。
俺はタイムロスを承知で、わずかに引き返した。
「ユウ兄!?」
倒れていた自転車に駆け寄り、起こす。
「ミイ、乗れ! 早く!」
青空号の荷台にミイが座ったのを確認し、ペダルを踏んだ。
走りだす。
「しがみついてろ!」
彼女の両腕が背中から伸びてきて、俺を抱きしめた。
不安定な道を、器用に自転車で疾走する。
「あぐぐ、揺れうううう」
ガゴンガゴンとタイヤが跳ねる。
ミイが、さらに強く抱きついてくる。
獣が二匹追いついてきて、自転車の横にならんだ。
体当たりしようと、うなり、距離をつめてくる。
俺はタイミングを見はからって、右足をペダルから離し、獣の頭部を思いきり蹴りつけた。
獣が悲鳴を上げ、地面に転がるのが見えた。
「ユウ兄、左!」
もう一匹が、いまにも頭突きをしようとしていた。
俺は、さらに速度を上げようとし――。
チェーンが、外れた。
「え」
バランスをくずす。
前のめりになる。
安物で中古(悪く言えば盗難車両。でもゴミ捨て場に放置してあったんだし……)の自転車と、メンテナンスを怠っていた自分を呪う。
なんとか持ちこたえようとしたが、青空号のタイヤが大きめの岩に乗り上げ、俺たちは宙に投げ出された。
草がクッションとなり、思ったほどの衝撃はなかった。
すぐにからだのバランスと方向感覚を取り戻し、立ち上がる。
「ミイ!」
駆け寄る。
「立てるか?」
「うん、平気平気っつんっ――」
ミイが苦しげな声を上げた。
「どうした?」
診てみると、軽く足をひねったらしい。
しばらくすれば治るだろうが、いますぐ全力疾走するのは、きびしいかもしれない。
計算――俺だけならともかく、ミイの移動速度を考慮すると、追いつかれるのは時間の問題だ。
「ミイ、暴れるなよ!?」
「へっ?」
俺はミイの肩に右手を置き、その両脚の下に左手をすべりこませ、持ち上げた。
一連の動作のあいだ、いっさい足は止めない。
ひざで草をかき分け、逃げる。
「ひゃあっ、な、なにを――!」
「苦情はあとで受けつける!」
「うおおおお、お姫さま抱っこだ!」
むかし、したことがあるのだが、彼女は忘れているのだろう。
「しゃべんな、舌噛むぞ」
俺は後方を気にした。
追いついてきている。
「いまは、とにかく逃げる」
あの群れをやり過ごしたら、どこか隠れ場所を見つけなければならない。
じゃないとジリ貧だ。
この短いあいだに、これだけの脅威と接触したのだ。
太陽が沈むまえに、どこかすこしでも安全な場所にたどり着く必要がある。
獣の息づかいが、すぐ近くで聞こえる。
追いつかれるまで、あと七秒ほど、か。
この呼吸音……すぐ後ろまで迫っているのは、どうやら一匹だ。
ほかの個体までは差がある。
俺は横向きに跳び、時間を浪費せずミイのからだを降ろした。
そして上体を起こしながら、左手を振った。
俺の背中に飛びつこうとした一匹が、口元から真っ二つになり、倒れた。
ふたたびミイを抱き上げ、全力走行状態に移行する。
「て、手際がいいですね……」
「なんで敬語なんだよ!」
「いや、ちょっとあたくしテンパってまして」
「俺もです! スピード上げるぞ!」
「こ、これより上がるの!?」
論より証拠、百聞は一見にしかず。
俺はさらにスピードを上げた。
「ゆ、ゆゆゆユウ兄、ユウ兄!」
「なんだ、落ちそうか!?」
「だれかいる!」
「え?」
「あそこ! だれかいる!」
あそこ、というのが、どの方角を指すのかがわからなかった。
「いったい――」
「ルドゥア、コア!」
声が聞こえた。
その主をさがし、太陽に目がくらむ。
動く人影が見え、目をこらす。
細身の少女が、金色の長髪を風になびかせ、坂を駆け下りてきた。
皮や布でできた、簡素だが丈夫そうな服装をしている。
すばやい身のこなしで、背負っていた弓をかまえる。
その顔立ちには、知性を感じさせる美しさがあった。
とがった耳が特徴的だ。
彼女が放った矢が、俺たちの横にならんできた野犬の頭を、横から射貫いた。
「え、え、エルフだ!」
俺の腕の上で、ミイが言った。
「ユウ兄、見て見て、エルフだよ!」
「じっとしてろって!」
エルフ(ミイいわく)娘は、すでに矢筒から新たな矢を取り出し、弦にかけている。
まるで銃を用いているような速度で、次々と矢が放たれ、野犬を襲った。
残された三匹の野犬は、襲撃対象を彼女に変更した。
俺はミイを降ろすと、一番近い一匹に飛びかかり、その後ろ脚をとっさに右手でつかんだ。
そのまま地面に叩きつけ、左手の刃でとどめを刺す。
顔を上げると、残る二匹が、走りだしたところを真正面から矢に射貫かれ、地に転がったところだった。
「オラア、リイ!」
エルフ娘がなにごとかさけぶ。
彼女は弦を引いたまま、走り寄ってくる。
その矢は、こちらに向けられている。
「あ、あたしたち怪しいものじゃないですー!」
正座でホールドアップするミイだが、言葉が通じている様子はない。
俺は早急に言語読解を試みようと、解析プログラムに、処理能力やメモリー容量の多くを明け渡した。
少女の見た目は、たしかにエルフだった。
エルフと言えば、高貴なイメージが俺のなかにはあった。
彼女の生まれ持った顔立ちからは、たしかな気品が感じられる。
だが、その服装は質素で野性味があり、あまりに機能的だ。
サバイバルを重視している感じがある。
エルフ娘は、目の前までやってくると、俺たち二人の目を、ぐっと覗きこんだ。
ミイだけでなく、俺までごくっと喉を鳴らし、固まってしまう。
やがて。
どこか安心したように息を吐くと、エルフ娘は弓矢を下ろした。
それから、言葉が通じてないと理解したのか、身ぶり手ぶりで俺たちになにかを伝えようとする。
坂の上を指さして、切迫した様子を見せる。
「アルガ、デルタ、ララア!」
危険……、脅威。
言葉の解析進捗率は二十パーセント未満だが……。
まだ、なにかが迫っているというのか。
エルフ娘はどうやら、ついてくるよう俺たちに告げているらしい。
話しながら、先に見える森を指さしている。
信用できるか?
「エルフ……いたねー」
ミイが顔を寄せ、ヒソヒソと話しかけてきた。
「ああ、いたな」
「モンスターも……おったね」
「ああ。おったな」
「これから、どうする?」
「ついてこいって言ってるみたいだけど」
「ユウ兄は、どう思う?」
圧倒的現実、圧倒的ファンタジーに、たたきのめされる。
ノックアウト寸前だ。
だって、そうだろ。
見知らぬ土地、モンスター、そしてエルフだ。
「――行ってみよう」
俺は決断する。
「ここにいたって、らちがあかない。なにも進展しない。会話が可能な人物との遭遇ってだけで、これからの展開において、かなりのアドバンテージだ」
「そう、だよね。会話は、クエスト進行における重要なイベントだもんね」
「いや、ゲームの話じゃなくてだな」
「あたしは、ユウ兄の判断を信じるよ。いやあもう、ホントわけわからないことばっかでさ。あたしひとりじゃ、なにも決められないって」
「ダメ人間」
「うっさいなあ」
エルフ娘が、せかすように手を動かす。
危険が迫っている気配はないが、この世界に住む人間の経験や勘を信頼するべきだ。
急いだほうがいいというなら、その言葉を尊重しなければならない。
学ぶべきことはたくさんある。
俺たちは、エルフ娘の後について、歩きだした。