Act 3-1:狩り
たどり着いたのは、朽ち果てた砦だった。
束ねた杭でできた塀や門がモンスターの侵入を防いでいるのだろう。
周囲もひらけていて、伏兵しにくい。
門があるのと反対側は川に面していて、侵入が困難となっている。
もとが砦だけに、悪くない立地条件だ。
いま、そこを根城にしている者たちがいるのは、明らかだった。
見張りが立ててある。
四方、各方角の高台に一名ずつだ。
門のむこうに、人の気配がした。
塀に張りつき、見張りから見えない位置に立って、耳をすます。
「ほんとうか?」
「知らんよ。伝聞なんだから。でも、ほんとうなんだろう」
「クラタに報告したほうがいいな」
会話しているのは二名だ。
クラタ?
どこかで聞いた名だ。
いつ、どこで耳にした?
さかのぼる。
頭のなかでカシャカシャと音を立て、ファイル化された記憶がならび、場面が巻き戻され、切り替わっていく。
――クラタさんたち、どうしてました?
カチュターシャの発言だ。
「なんて言うんだ? またドラゴンの死体が消えましたって?」
「そもそも、なんでアレ死んでたんだ」
「墜落したから?」
「いやいや、死んだから墜落してきたんだろ」
「魔法で調べたヤツによると、心臓が弱ってたんだと」
「それは最初のだろ。こないだ降ってきたのは?」
「そっちは知らん」
ドラゴン?
そんなものが実在するのか?
いや、ちがう。
俺が抜き出すべき、吟味すべき情報は、そこじゃない。
ここは異世界で、モンスターだって目にした。
ドラゴンがいたって、ちっとも不思議じゃない。
疑念は大事だが、その対象選別をまちがえると、ノイズとなる。
ドラゴンが実在するかしないか、現段階で判定の出ない疑問にかまけている余裕はない。
ドラゴンはいる、実在する、まずはそれを前提にすえて。
注目すべきは。
――死体が消えた。
ドラゴンの、死体。
それも、話の流れからして二匹ぶん。
話し声はやがて遠ざかり、それ以上の情報を得ることはできなかった。
【起動:戦闘形態】
俺は迅速に行動を起こす。
【類型:触手】
発生した触手で、高台のひとつに狙いを定める。
ひとつだけ、ほかの三ヶ所の高台からは見えない位置に立っている。
あきらかに構造上の欠陥だ。
見張りがこちらに背後を向けているあいだに、すばやく触手を伸ばし、高台の柱に根を張らせる。
そして、跳躍――触手がファストロープ代わりとなって、高台に向け、急速に上昇移動する。
俺が高台に着地すると同時に、見張りがふりむいた。
俺は相手のひざにするどく蹴りを入れ、体勢をくずさせてから、そのまま腕をねじり上げた。
「騒ぐな。声を上げず、音を立てるな」
俺は男を床に押しつけた。
「かんたんな質問をする。女の子を見てないか?」
「み、見てない」
男は、苦しそうに言った。
「彼女は無事か?」
「せいぜい祈ってろ」
「どうか俺の手が血で汚れませんように」
俺は祈った。
「女の子だ。若い。ヒューマン。聞き慣れない言語を用い、変わった服を着ている」
「放してくれっ」
「どこだ?」
「……知らな」
「知ってるか」
俺は相手が言い終えるのを待たず、力点をずらす。
「ここの骨は、折れると痛いぞ。想像よりも、ずうっとな」
ずらしていく。
「ああああああああああ! し、知ってる!」
「痛みのことか?」
「おおお女の子だよ!」
男は泣きじゃくりながら、答えた。
「クラタが連れてくるのを見た。居場所も知ってる」
「そいつはよかった。手間がはぶける」
おおまかな場所の情報を口走った男をその場に気絶させると、俺は動きだす。
久々に明快な目的だ。
ミイの奪還。
そのためなら、手段を問わない。
そういえば、目的を訊くのを忘れていた。
敵の数や規模も。
相手にしようとしている団体には、魔法を使える者もいるかもしれない。
「魔法がなんだってんだ。こちとら、二十二世紀のお世話iNOIDだぞ」
だれにも見つからず、砦のなかに侵入し、ミイのもとへ急ぐ。
このあたりだろうか、というところで、声が聞こえてきた。
扉のひとつ、その内側からだ。
くぐもっていてよく聞こえなかったが、ミイの声だ。
俺は扉に耳を押し当てた。
声と足音からして、人数は七人前後。
ミイの足音は聞こえない。
身動きがとれないのだろうか。
ミイのスマートフォンを操作し、床に置いてから、触手を伸ばし、天井に張りついた。
直後、スマートフォンから、軽快なポップスが流れ始めた。
扉が勢いよく開き、体格のいい男がひとり、剣をかまえて外に出てきた。
廊下を左右見渡し、やがて床の上のスマートフォンの近くでかがんだ。
「なんだ、こりゃあ」
俺は男の真横に着地した。
羽交い締めにし、鋭利に変化した腕を首に突きつける。
スマートフォンを拾って男の背中を押し、部屋のなかへと足を踏み入れる。
男たちは、ほかに八人いた。
その中央で、ミイが椅子に縛られていた。
「お前ら」
俺は、声を絞り出した。
いかなる論理的思考より、感情が優先されていた。
男たちのうちひとりが進み出た。
男の頭部は、豚のそれだった。
正直おどろいたが、現状確認を優先する。
屈強そうなからだつき、高い背丈。
こいつが、ミイの拉致を指揮した、あの足跡の男だと直感した。
「彼を放せ」
「手順ってものがある。その子が先だ」
言い返す。
取り巻きの男たちは、動揺し、互いを見ている。
やかましい音が鳴り響いた。
クゥ・リ・オだった。
俺が入ってきたのとは反対側の扉に立ち、両の籠手を打ち鳴らし、ちょっと待った、とさけぶ。
となりには、カチュターシャのすがたもあった。
「待ってください、クラタさん!」
俺は、彼女たちと、豚の顔の男を交互に見た。
「……やっぱり、知り合いか?」
カチュターシャに確認する。
「ええ、ユウさん。彼は雑貨商をしているクラタさん。オークなんです」
「説明してほしいな、クラタ。どうして、あの子を拉致した?」
クゥが腕組みし、豚面の男をにらみつけた。
「この男が、オレの娘の首を切り落としたからだ。その女の子も、そのとき、そばにいた」
カチュターシャが息をのんだ。
「なっ――ユウさん、ほんとうですか?」
「ちょっ、待てよ! ユウはそんな腐ったヤツじゃない」
クゥが俺をかばって、さけぶ。
「交わったアタシには、よくわかる」
「交わったって――! クゥ、あなた!」
「そんな、うろたえるなって。拳を交えたって意味さ」
あのとき彼女は、あきらかにそれ以上踏みこんでこようとしていた気がするが、いまはおたがいのため、黙っておく。
「……確認したい」
俺は口を開いた。
「その、娘、というのは……死体じゃなかったか」
俺の言葉に、その場の全員が一瞬、声を失い、俺を、そしてクラタを見た。
「そうだ。オレの娘は……死んでいた」
クラタの口調は、静かだった。
認めたくないことだったが、それは、ミイが連れ去られたとわかったときの俺に似ていた。
「だれかが墓を暴き、あの子の亡骸を持ち去った。探し、ようやく見つけた。草原でだ。魔法で調べてもらった。追跡魔法で、首を切り落としたヤツを見つけた。テメェだ」
クラタの充血した目が、俺に向けられる。
「テメェは、オレの娘の遺体を盗み、傷つけ、首をはねた。そうだな」
「ちがう」
俺は首を振った。
「それは事実ではない」
「すべてか? いま言ったことすべてが、まちがいだと?」
「部分的には……。あの死体は、俺たちを襲った。だから止めた。それが、真実だ」
「――なに?」
「あの死体は活動していた。動いていたんだ」
男たちだけでなく、カチュターシャたちまでもが、動揺していた。
どうやらこの世界でも、死体というのは動かないものらしい。
それなら、なにが起こっていたのか?
「やめろ」
クラタの声がふるえている。
おそらくは、怒りで。
「死者を冒涜するな」
「俺じゃない。あの子を冒涜したヤツは、ほかにいる。信じろ、クラタ! あの子は、まちがいなく亡くなっていた。それなのに動いていた! 動かされていた!」
「世迷い言を――」
クラタが、壁に立てかけてあった斧をつかみ、振り上げた、そのとき。
ボーッと、船の汽笛に似た音が響き渡った。
「ダグラスの角笛だ」
男たちのひとりが言った。
笛の音は幾度か聞こえてきたが、最後に、不自然な途切れかたをした。
「野郎、なにかあったんだ」
「落ち着け」
クラタが場を鎮め、俺に向きなおる。
「あれは見張りの人間が、危険を知らせる合図だ。だれかがはるばる、この砦をたずねて来たらしい。お前の友だちか?」
「友だちはいない」
俺はクゥたちを見た。
「これで全部だ」
窓が揺れた。
男たちのひとりが、剣をかまえ、窓脇の壁に張りつく。
「なにか見えるか?」
「ちょい待ち」
「外の連中は?」
「どうかねぇ……いや、なんも見えん」
直後、窓を突き破り、人の腕が突き出された。
その手が、窓脇の男をつかみ、窓の外へと引きずり出し、あっという間に、連れ去ってしまった。
呆然と、全員、立ち尽くす。
「トム爺さんが、いた」
男のひとりが腰を抜かし、言った。
「一瞬だけど、見えた。むこうの壁、伝って……こっち見てた」
「しゃんとしやがれ!」
クラタが男の首根っこをつかみあげ、立たせた。
「全員、窓から離れろ! 武器を持て!」
「俺、あの爺さんの埋葬、手伝ったんだぞ。この手で……」
「やいユーリカ! しっかりしねぇか!」
俺は人質にしていた男を突き飛ばすと、ミイに走り寄り、その拘束を解いた。
「テメェ!」
「クラタ、ちょっと待った」
クゥがクラタの前に立ちふさがる。
「見ろ、この状況。信じがたいけどさ、ユウが正しいのかもしれない、そうだろ?」
「クゥ」
俺は呼びかけた。
「ミイを頼む」
「は? オマエは?」
「さっき、見張りをひとり、眠らせた。彼が死んだら、俺の責任だ」
いや、それどころか。
彼を眠らせたことは、この事態を、かなり悪化させているのではないか?
彼の見張り位置は、死角をカバーするものだった。
彼が起きていれば、もっと早い段階で、この襲撃を察知できていたかもしれない。
「ユウ?」
ミイが、俺の腕にしがみついてくる。
いま、彼女のそばで守ってやらないといけないのは、わかっている。
だが、俺は、俺にはミイからもらったモノがあるから。
あるはずだから、あの見張りを見捨てることは、できない。
できてはいけないのだ。
俺は、そっとミイの手を放す。
「すまない、すぐに戻ってくる。どうしても、しなきゃならないことがあるんだ」
「ユウ、オマエ」
クゥが俺を見ている。
あまり、優しい表情とは言えない。
「優先順位をはきちがえるなよ」
「……どれもこれも、必要なことなんだ、俺が俺であるには」
扉に手をかける。
「すぐ、戻る」
そして、俺は部屋を飛び出す。