今日を大切に。
「卒業生、退場」
教頭先生が言った言葉で、俺達三十人の卒業生は席を立った。
既に緊迫した空気は緩み、卒業生の中からはちらほらと話し声が聞こえる。
ゆっくりと辺りを見回すと、目に手を当てている生徒が目に入った。中には声を立てて泣いている生徒も。
そんな中、俺は卒業できたことに安心して、少し微笑んだ。
退場後、俺達は最後の総合を行った。その時に前の時間に書いた一人一人の色紙を、先生から受け取っていく。泣いている生徒が来たときは、みんなその姿を見て笑っていた。俺も見た目では笑ってみるが、どうも本気で笑うことはできない。
手渡された色紙には、半年前の俺には想像も出来ない言葉が並んでいた。自分が自分へ書いた言葉には『今日を大切に。』と書かれていた。自分の言葉なのに、何故か心が痛んだ。
由子は死んだ。
俺は、由子を止められなかった自分が憎い。あの時、寄り道せずに屋上へ行っていたら、由子の死は止められたかもしれない。
由子がいなくなった世界は、あまりにも寂しかった。ずっと由子と一緒にいた俺には、学校で共に過ごす仲間はいない、そうだった。
俺の寂しさに気づいたクラスメイトは、少しずつ俺に話しかけてくれるようになった。その時、クラスの温かさを感じた。何故か、久しぶりのような感じがした。
あれから時々、変なことを思い出す。だが、それはほんの一部であり、どういうことなのかは分からない。
「西田」
そう呼ぶ声を聞き、俺は振り返った。
「中西」
「どうしたんだよ、ぼーっとして」
「いや……」
中西は最初に話しかけてくれた奴だ。クラスではあまり目立たないが、運動ができないところは目立つようだ。
「……何か、大切なことを忘れている気が、するんだ」
そうだ。俺は、由子との大切な時間をどこかに忘れている。いつの事かも検討はつかないが、俺と由子の大切な、二人だけの時間。
「大丈夫だよ」
中西がそう言いながら、肩を叩く。
「例え忘れていても、きっとどこかで覚えている。今はまだ、思い出す時じゃないんだよ、きっと。いつか思い出すときが来るんだ。例えそれが今日でなくても明日でなくても、一年後でなくても十年後でなくても、いつかきっと、思い出すときが来るよ」
一瞬、何かを思い出した気がした。だがそれは、気がしただけだったようで、何も分からない。
「中西ー、西田ー。写真とるぞー」
太田が呼んだ。
「西田、行こっか」
「おう」
俺は中西が言ったことを頭のなかで繰り返す。
今日でなくても明日でなくても、一年後でなくても十年後でなくても、いつかきっと、思い出すときが来る。
『今日を大切に。』
自分が書いた言葉。
「……今日?」
――俺たちには、『今日』しか来ない。
似たような言葉を何処かで聞いたような気がする。
一体、誰なんだ?
「西田」
その時、聞こえるはずのない言葉が背後から聞こえた。
振り返ると、そこには――。
「っ……」
「久しぶりだな、西田」
由子が、いた。
俺は途端に目から涙を流した。すぐに拭うが、涙は溢れるばかりである。
「西田」
由子がまた俺を呼ぶ。ゆっくりと俺に近づいてくる。そして、耳元で言った。
「――――――」
「……え?」
俺は突然の事で驚きを隠せなかった。
「それって……」
「おーい西田!」
太田の声がして、俺は振り返った。
「早くしろよー」
「お、おう」
もう一度振り返ると、そこには既に由子の姿はなかった。
俺は不思議に思ったが、また太田に怒鳴られると厄介だから、すぐに向かった。
――私たちには今日しかない。だから今日を大切にするんだぞ。
さっきの由子の言葉は、あの台詞と似ている。
「西田、またぼーっとしてるのか?」
中西が俺を気遣ってまた声をかけてくれた。
「……ううん。もう大丈夫だ」
俺たちには、『今日』を生きることしか出来ない。
俺にも由子にも『明日』は来なかったけど、その分どこかで『今日』の大切さを知った。
俺はもう二度と後悔しないために、『今日』もまた『今日』を大切に生きていくんだ。
「――なあ、由子」
空を見上げると、一本の飛行機雲が流れていた。
「俺は、お前のことが大好きだ。……今でも、きっと」
どこかで由子がまた笑った、そんな気がした。
ここで、「彼らに明日は来なかった。」は完結です。
完結ですが、番外編「太田と古和田」を更新します。ぜひご覧ください。