二人
俺は開いた口が塞がらなかった。
一瞬、何が起こったのか分からなかったため、真っ直ぐに滝沢を見つめた。滝沢は恥ずかしがっているのか、ゆっくりと目線だけを下ろした。
――西田くん。私、西田くんの事が好きです。
先程の滝沢の台詞が頭の中で回る。
滝沢が、俺を好いている?
俺の事が、好きなのか?
いつもなら冷静に判断出来るのだろうが、今は出来ない。何せ告白をされたのは初めてだから。
「俺の事が好きなのか……?」
そう聞くと滝沢は顔を上げ、返事をする。
「うん」
その頬はまだ紅潮していた。
「……恋愛対象として?」
「うん……」
俺は目線を滝沢から窓の外へと向けた。
こういう時、どうするのが一番良いのか分からない。俺の気持ちも伝えるべきなのか。今は正直焦っている。
焦っている、と言うのは普通ではないだろう。こういう時、普通は照れたり恥ずかしくなったりするだろう。しかし、今の俺にはその感情はない。
「あの、西田くん?」
滝沢の声で、俺は振り返った。
「あの、その……。西田くんは私の事どう思ってる……?」
滝沢の事……。
正直に言うと、『今日』が繰り返されるまで滝沢の事は意識していなかった。いや、意識していなかったと言うより、『興味がなかった』と言うべきだろうか。滝沢はただのクラスメイトだ。いままでずっと由子と一緒にいるため、他の生徒とは関わらないし誰も話しかけてこなかったから。
滝沢を見ると、まだ頬は赤く染まっていた。俺は自分の頬に手を当てる。特に温もりは感じられなかった頬に、俺は申し訳なく
なった。
そして、気づいた。
「西田くん?」
その声で、俺は返事をした。
「滝沢、その……。つまりさ、滝沢は付き合えるか付き合えないかが聞きたいんだよな?」
「う、うん」
「その……。待っててくれないかな。俺、こういうの良く分からないから……」
これは、ただの逃げだ。自分でも分かっている。
「うん……。待ってるね」
その時、ドアが開いた。俺と滝沢は音のした方を見る。
生徒だろうか。いや、昼食時にくるとは考えにくい。来るならば昼休みだろう。
「……西田?」
声を聞いて、誰か分かった。
由子だ。
「由子。こっちだ」
そう言うと、足音が近づいてくる。
俺は滝沢に帰るように小声で言った。
由子がカーテンを開ける。
「由子、どうしたんだ?」
その顔は、いつもの顔ではなかったような気がした。手には弁当箱が二つ。由子のと、もう一つは俺のだ。
「……弁当を持ってきた」
「ああ、ありがとう」
滝沢が椅子から立ち、隅に寄せた。
「じゃあ西田くん。お大事にね」
「ああ、ありがとう」
手を振る滝沢につられ、俺も手を振る。
ドアが閉まり、静かになった。
「……先生は?」
由子が言った。
「出張だ。午後はいないって」
「じゃあ、ここで食べても大丈夫だな」
「そうだな」
俺と由子はベッドから離れ、長机に座った。やはり、あまりお腹は空いていない。少しだけ食べて、後は残すことにした。
「………西田」
由子が呼んだ。
「ん?」
「……さっき滝沢、さんと、何の話をしてたんだ……?」
やはり、怪しいと思うか。
「いや、特に何も話してない。心配してくれてたみたいだ」
「……そうか」
それだけ言うと、由子はもくもくと弁当を食べ進める。
あの断りかたは、滝沢の勇気を無駄にしてしまう。六回目の『今日』が来れば、『今日』の事は全て無くなってしまう。俺が保健室に行ったことも、滝沢が俺に告白したことも。
だから、さっきあったことは誰にも言わない。言っても、どうせ嘘になってしまう。
……ん?
滝沢と、由子。
もしかして、滝沢と由子が絡んでいたことは、俺の事が好きだということになにか関係があるのだろうか。
昼食を食べ終わり、昼休みになった。
由子はずっと俺と一緒にいてくれた。一人になりたい気持ちもあるが、誰かと一緒にいたいという気持ちもある。それは、やはり熱のせいだろうか。
俺と由子は特に何も話さなかった。いつもの事だ。由子が無口なのは、話すのが苦手なことが原因らしい。
俺はまた、滝沢の台詞を思い出す。
――西田くん。私、西田くんの事が好きです。
先程から何度も思い出している。思い出す度に『好き』と言う感情に疑問を感じる。
『好き』という感情には種類があることが分かる。『家族や友達が好き』の好きと、『一人の特別な異性や恋人が好き』の好き。恋愛感情があるのとないのとの、二つがある。
『家族や友達が好き』の場合、いままでずっと一緒にいて、かけがえの無い人物に当てはまるのだろう。『一人の特別な異性や恋人が好き』も同じではないのだろうか、と俺は考える。俺にはその違いがよく分からない。
だから、いままで二つの好きを一緒と判断していた。どちらの好きも相手のことを思っている、相手が好きなことには変わり無いのだから。俺は家族や遠方に住んでいる祖父母が好きだし、もちろん由子のことも好きだ。
今の俺には、滝沢の気持ちは分からない。
昼休みが終わり、五時間目に入った。由子は教室に戻り、俺は五六時間目も保健室にいることにした。少しマシになってきたが、またぶり返してはいけないので、安静にしておくことにした。それに、滝沢に会いにくい。
何度も思うが、やはりあれはただの逃げなのだ。『今日』の事を全て無かったことにし、面倒なことを避けているのだ。
俺は『今日』が繰り返されることを利用した。
色々考えていくうちに自分の行動が嫌になり、俺は布団の中に潜り込み、力強く目を閉じた。
その後、俺はぐっすりと眠ったようで、由子の声で目を覚ました。既に終礼を終えて小一時間が経っていた。
「具合はもう大丈夫なのか?」
「いや、まだ少ししんどい。まあ、これくらいならすぐに治る」
「そうか」
由子は俺の鞄も持ってきてくれていた。俺はベッドから降りて、椅子にかけてあったブレザーを羽織った。
「あ、委員会は? もう終わったのか?」
「うん、多分な」
まあいいか。一度聞いたしな。
俺と由子は保健室を出た。そして、いつものように一緒に帰る。
もし滝沢と付き合うことになったら、こんな風に一緒に帰るのだろうか。手を繋いだり、デートに行ったり、恋人らしい行為をする。
俺は由子を見る。
もし、もし滝沢が俺と由子が一緒に帰っているところを見たら、どう思うだろうか。考えると言って少し期待させておきながら、もしかしてこれは失礼なのではないだろうか。
「ゆ、由子」
無意識に由子を呼んでいた。
「ん?」
由子は前を向いたまま、返事をする。
言うべきか言わないべきか。今なら呼んでみただけ、と言うことも出来る。しかし、もし、もし滝沢が――。
「……ごめん。今日は一人で帰るわ」
それだけ言うと、俺は走って昇降口まで行った。由子の顔が気になったが、事によっては俺も辛くなるから、見たくなかった。
外に出ると、校門に滝沢がいるのが見えた。
俺は内心ほっとした。もし、が本当になったのだ。
滝沢は誰かを待っているのだろうか。まだどこかの委員会が終わっておらず、友達を待っているのだろうか。いや、登校が一人の滝沢だ、下校も一人である可能性がある。もしかして……なんて考える。
俺は声をかけた。
「……滝沢」
そう言うと、滝沢はこちらを向いた。
「西田くん……。もう具合は大丈夫?」
「まあまあかな」
「そっか。明日には完治してるといいね」
「……ああ」
滝沢の言葉に、胸が痛む。俺が完治したら、明日が来たら、自分が勇気を出して伝えたことは自分が忘れてしまうんだ。
「滝沢は誰かを待ってたのか?」
「え、うん……」
「そうか」
誰かを待っていたのか。少し疑問があるが、俺は滝沢に手を振り帰り道を歩いた。
「……あの、西田くん!」
突然、滝沢が俺を呼んだ。
「あの、待ってたのは……西田くんで……」
え?
俺は振り返った。
「その……一緒に帰りませんか?」
滝沢に誘われ、俺は途中まで一緒に帰った。俺の帰り道に滝沢の家があったような気がする。いつもは近道を使っているが、今回は滝沢を家に送るべく、遠回りをして帰る。家まではおよそ五分の道のり。たった五分なのに、とても長く感じられた。由子と一緒に帰っているときとは違う、変に緊張してしまう。
滝沢の家についたとき、メールアドレスを渡された。気が向いたら連絡して欲しい、と。
その日の夜、さっそく滝沢にメールを送った。女の子らしい、絵文字のたくさん入ったメールが返ってきた。メールを開いたついでに、由子にもメールを送った。帰り際のこと、どうも思ってないか心配だ。
しかし、由子からメールの返信が来ることはなかった。
――そして次の日。俺はまた、不思議な体験をすることとなる。