自殺女
俺は、階段をかけ上がる。何も迷うことなく、ただ間に合えと願って。『今回』は少し遅れてしまった。授業中に寝たせいで、担任に呼び出されていた。わざわざ昼休みにすること無いのに。
はやくしないと、由子が……。
階段を一段飛ばしでかけ上がりきり、その勢いのままドアを開ける。太陽の光が眩しくて、目が眩む。うっすらと開けた目に入ってきたのは、青い空と灰色のコンクリート、そして一人の女子生徒。
間に合った!
俺は安堵しながら、声をあげた。
「由子!」
自分の呼吸がうるさい。空を見ていた由子は、ゆっくりと顔をこちらに向けた。いつもと同じ、何も考えていない顔だ。
「西田か……。何だ?」
由子の手は手すりに乗っている。ギリギリだったというわけだ。俺は、由子の返事に苛立ちを覚えた。
「何だじゃねえだろ。そんなところにいないで、教室に戻るぞ」
俺は由子に近づき、腕をつかんだ。何の抵抗もしない。ただ、腕を掴んだ俺の手をじっと、不思議そうに見るだけである。
由子の腕を掴みながら階段を降りていく。由子の腕は細い。力を入れれば、すぐに折れてしまいそうだ。
廊下に出ると、その場にいた生徒はこちらに目を向けた。そして、近くにいる生徒と陰口を言い始める。
「あれ……自殺女だよな」
「屋上から来たし……」
「いつも一緒にいるのって、西田一郎だよな……」
『自殺女』という言葉が耳には入る。その瞬間、心が痛む。俺のことじゃねえ、由子がそう呼ばれてるから、痛むんだ。
大体、本人に聞こえてたら意味ねえじゃねえか。そんなんは陰口とは言わねえ、ただの悪口だ。
自殺女と言った一年生に、俺は言った。
「おい。本人がいる前でわざわざ言うことか? それは。大体、それを言って失礼になるとか思わねえわけ?」
そう言うと一年生は、面倒だなあと言う顔をしながら言い返してきた。
「なんですか。本当の事を言ってるだけじゃないですか? 何度も自殺しようもしてるんですよね? だったら、自殺女でしょ。ほかに何かありますか?」
「名前の事じゃねえよ。本人の前で言うなって言ってんだよ」
「言いたいことを言う、普通の事じゃないんですか?」
「お前、理解力ねえな。まだ脳みそ小学生なんじゃねえの? 中学生になったと思って、浮かれてんじゃねえよ」
言い合いになっているとき、誰かが俺の制服を引っ張った。俺は、何だよと言いながら振り返る。制服を引っ張っていたのは、由子だった。
「何だ?」
「……私、自殺しようとしてないんだが」
……っ!
またかよ……。
心臓が速くなるのを感じた。
俺は今、三回目の『今日』を過ごしている。
一体、いつになったら俺に明日がくるのだろうか。
由子が、私、自殺しようとしてないんだがと言わない日が来るのだろうか……。