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視界が霞んでいく中でリリスティアが少女のアバターへと戻っていく。
「終わりね、最後のプレイヤーさん。もうあなたの理性は消えていくだけよ。」
俺は声を殺した笑い声をあげる。こんなことが有り得るのだろうか。
「何がおかしいの?」
「ん、いやだって――ライフゲージが回復しているからさ」
驚くべきことに何故かライフが回復しているのだ。
リリスティアは一瞬目を見張ると、その姿に似合わぬ舌打ちをする。
どうやら何か知っているようだ。
「忘れていたわ、ラスボスたるジャッジメントオーブの第二形態」
どうやら一度じゃ俺は倒れず、しかも第二形態に移れるらしい。
――身体が突然見えない力によって綺麗に起こされる。
顔の口の裂け目に垂直に裂け目が生まれたのが分かった。
恐らくリリスティアから見て鉄球頭に十字が刻まれているはずだ。
「なるほどな」
開発も考えたものだ。
俺が口を開けば頭は食虫植物の親玉の如く、×印に開く。
ジャッジメントオーブ――その名に恥じない、十字架と罰を象徴するラスボスな訳だ!!
「ふふ、喜んでいるところで悪いけど、意味のある変化は無いわ」
「どういうことだ」
「ジャッジメントオーブの第二形態の能力――プレイヤーが今まで倒してきた敵NPCを召喚できるのだけど、これは私がこのゲームの支配者でいる上で全敵を掌握させてもらってるから使えないの。
残念だけど、あなたはもう一度私に倒されるだけなのよ」
再び笑みの戻ったリリスティアはそう宣告する。
「そんなのやってみなきゃ分からねえだろ」
ステータスを見れば文字化けした能力があり、これだと思い発動させる。
その途端、天井が崩れ去り赤くなった空が顔を覗かせた。
そしてそんな世紀末じみた上空にはいくつもの棺桶が漂っていた。
「派手なエフェクトなだけで中身は空っぽよ!! 滑稽にも程が――」
リリスティアの嘲笑が終わらぬ内に棺の蓋が外れ、住人達が姿を現す。
それは敵モブなどではなかった。
「何でプレイヤーのデータが……」
姿を現したのは広場で無惨にやられていたプレイヤー達だ。
但し、本人たちの意識は宿っておらず、それこそ先の俺のドッペルゲンガーもどきのように機械的な動きでこちらへ降りてきている。
「なるほど。お前にとって倒してきた敵がプレイヤー達だから、こうして俺が召喚できた訳だ」
「――ッ!! 論理的にそうなった訳ね!!」
彼女にとって完全に予想外な出来事だったようだが、そもそも彼女というコンピュータウイルス自体が俺らにとっては予想外な存在なのだ。
彼女がこの世界を支配してしまったからこそ、俺やアリシア、果てにはこの能力までイレギュラーな事態が連鎖している。
「総員攻撃!!」
俺がステータスに表示された号令を叫べば、プレイヤーの亡骸たちは一斉に手に持った銃の引き鉄をひきはじめた。
機関銃の雨を遥かに凌駕する、まるで銃弾の土砂降りがリリスティアを襲った。
「こんなもの私には効かな――!?」
彼女は自身が液体であるために銃撃は効かないと言いたかったらしい。
無論、通常の銃弾ならばそうだったろう。
「データそのものを射出するなんて!!」
簡単に説明するとプレイヤーたちの放った銃弾は純粋なデータそのものであり、リリスティアのデータと打ち消しあっているのだ。
リリスティアがウイルスならばプレイヤーたち――俺も含めて――はワクチンなのかもしれない。
「くっ!」
弾丸が有害だと分かると必死に回避し始める彼女。
俺はもちろん突っ立ったままでいるつもりはない。
「ふんっ!!」
リリスティアめがけて大斧を振り下ろすが逃げられる。だが、それも計算のうちだ。
「ひっ!?」
彼女が逃げた先にはプレイヤーたちの弾丸が撃ち込まれていく。
じゅわっと蒸発するようなエフェクトが発生し、リリスティアの身体が一回り小さくなった。
俺は再び攻撃をしたら今度は避けられなかった。銃弾よりも俺の攻撃を受けることにしたらしい。
効果が無いと思い込んでいて追い込むために攻撃していたが、くぐもった声を聞く限り痛みは感じているようだ。
「あなたの大斧まで私を怯ませるまでに変化してるわね……」
「とんだ誤算だったな、自分がもたらした変化のひずみにやられていくなんてさ」
結局彼女は俺とプレイヤーたち全員の攻撃を回避せざるを得なくなった。
攻防逆転、俺が有利となった今ひたすら逃げ回るリリスティアを追い続ける。
プレイヤーたちも容赦なく弾丸を浴びさせていく。これら全ての攻撃の回避などもちろん無理な話。
俺の攻撃が掠めるだけでリリスティアは呻き、彼女の身体を弾丸が削り取る。
銃弾に晒されて、塩をかけられたナメクジのように小さくなっていく彼女に近づいていく。
「ま、待って」
「待たねえけどゆっくりやってやるよ。いたぶってくれたお礼だ」
大斧を思いっきり振り下ろす。
ぱちゃ、と小さな水音がしたかと思えば例の蒸発音とともにリリスティアの身体は削除された。
終わったのだ。
この悪夢の元凶を遂に倒したのだ。
「まだよ」
リリスティアの笑いが混じった声に振り返る。
そこには未だに拘束されたままのアリシアがいた。
「……! 拘束している身体が残っていたか!」
「そうよ。そしてアリシアを傷つけられたくなければ私の言うことを聞きなさい」
リリスティアは通告する。
アリシアを奪還するためにここまで来た。しかし彼女を見捨てなければ世界が獣の庭になってしまう。
俺はどうすれば――。
「ノゾム、私のことはもういいの」
「アリシア!!」
今まで黙っていたアリシアの口が開く。
リリスティアは「体のコントロールは奪ったはずなのにどうして!?」と困惑していた。
「私の記憶、偽物だったわ。私は造られた存在だった」
アリシアの独白が続く。
リリスティアが再び完全拘束を試みているようだが、上手くはいってない。
「それでもノゾム、あなたは一緒に戦ってくれた。私のためにここまで来てくれたわ」
アリシアの目が開く。大粒の涙が零れ落ち、彼女は笑った。
「リリスティアに向かって言った言葉、とってもカッコよかったわ。
――今までありがとう」
「何を言って――!?」
「な、何よこれ!?」
アリシアの身体が突如光りだし、リリスティアはパニック気味にスライム状の身体を蠢かした。
「私はNPCアリシアにインストールされしプログラム〈鉄の女籠〉。
存在理由たる悪魔の涙の確保を実行します」
アリシアは光の檻となってリリスティアを包囲する。
無論逃げようとするリリスティアだったが檻の隙間はどんどん小さくなり、やがて球体となって完全に封じ込めた。
「この世界の女王たる私のハッキングが効かない!?」
リリスティアは光の球体に封じ込められたが未だに抵抗を続けてるらしく、篭った声が響いた。
「おいアリシア! どういうことなんだ!」
俺の問いに答えるように突如として上空に黒い穴が開いた。
「それは僕が説明しよう!!」
聞き覚えの無い男の声が穴から聞こえてきたと思えば、それと同時に黒い触手のようなものがいくつも生えてきた。
「悪魔の涙を拭取るためにヒロインアリシアに仕掛けを施したのは他でもない、使徒たる僕であーる!!」
俺は唖然とする他無かった。
アリシアが別れの言葉を告げ光の球になったかと思えば、喋る触手が現れたのだから。
「んじゃ任務完了、撤収ー」
触手はアリシアだった球を囲い込みながら黒い穴へしゅるしゅると戻っていこうとした。
リリスティアは完全に沈黙させられたようで、もう一言も声をあげなかった。
「おい待て」
俺はアリシアだった球を連れて居なくなろうとしてる触手を呼び止めた。
「あ、そうそう。この世界は崩壊するけど、それと共に君達の意識は元に戻るから安心しなよ」
しかし君がラスボスの姿になったのは意外で面白かったよ、と触手は付け足した。
「アリシアはどうなった」
「どうって、最初からこのために造られた擬似人格にすぎないよ」
「返せ」
触手は戻りかけていた動きを止めた。
「なんで彼女にこだわる? 元より非実在人物なんだよ彼女。
それに君達の世界じゃVRとかいう体験できる夢が発達してて、そんな女の子山ほどいるんだろう?」
「確かにそうかもしれない。でも――」
俺は万感を込めて叫ぶ。
「それでも彼女と一緒にいた時間は偽物じゃない!!
俺にとって彼女は人形なんかじゃない!!
――愛する、生きてる一人の女だった!!」
だから返せ。
俺は罰印に口を開く。
すると、触手は小刻みに震え始めた。
「素晴らしい」
予想外の言葉に理不尽に対する俺の怒りが抜けていく。
なんなんだコイツは。
「愛。唯一僕らが定義できず議論され続けてるもの!
それを擬似人格に向け続けているとは!!」
触手がぐねぐねと気持ち悪く動き出す。
どうやら喜んでいるらしい。
「何でもいいから彼女を返せ」
「それは出来ないよ。彼女の人格はここにはもう無い」
俺は大斧を手から落として完全に脱力した。
まるで――彼女が死んでしまったみたいじゃないか。
「とはいえVRとかいうこの世界を僕は隅々まで把握してる訳じゃないよ。
だから探せばいるかもね?」
僅かに残った希望を触手はちらつかせた。
更に彼は提案する。
「僕の大好きな愛をみせつけてくれたお礼だ。
この世界が崩れ去っても他の場所へ、そのままの姿で探し渡る術をあげよう。
ただし――」
「もったいぶるな、はやく言え」
「本当にせっかちさんだねえ、もう元には戻れないよ」
どうするとばかりに首をかしげる触手。
「探すに決まってるだろ」
「さっすが!! 男前!!
んじゃちょいと失礼――」
伸びてきた触手が俺の身体を突き刺した。だが痛みなんてもうどうでも良かった。
俺の頭の中はアリシアを見つける意志で満席だった。
「あ、僕の名前を教えるのを忘れてたね。んーそうだなあ」
最後までもったいぶるのをやめず、楽しそうに触手は告げた。
「使徒クロモリ、と名乗っておこうか。それじゃあお姫様探し、頑張って!!」