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ロールキャベツトマト煮込

作者: 日向夏

「さて、恋の練習をしようと思う」


 さて、また変なことを言い出したと大地だいちは思った。場所は大地のアパート、狭苦しいワンルームでバストイレはユニットタイプである。クラスメイトには、一人暮らしがうらやましいといわれるがいいものではない。


カビた匂いを発する畳の上に、ホームセンターで買った安物のクッションを二つ置き、その上にそれぞれ大地ともう一人が座っている。眼鏡をかけゆるく癖のある髪の女性、大地だいちよりも三歳年上で現在、市内の大学に通っている。大地とは同郷で、幼い頃は『おねえちゃん』なる恥ずかしい呼称を言わされていた相手である。


「それは練習するもんなのでしょうか、先輩」


 現在、『おねえちゃん』から『先輩』にクラスチェンジである。二人ともご近所の古風なじいさんがやっていた道場に通っていたためだ。もう十年以上呼んでいるだろうか。


「何事も反復練習が大切だと私は思う。もちろん、コツをおさえることが重要だ。それについてはこれを参考にする」


 まるで会議のような口ぶりで『先輩』こと薫子かおるこは、畳の上に新書サイズの本を置く。なにか根本的なところからずれているようにしか思えない。


「『必修! 恋愛成功マニュアル』ですか」

「ああ、『必修! 恋愛成功マニュアル ―これさえあれば、貴方も恋愛上級者―』だ」


 サブタイトルまで最後まで読むのが彼女らしい。

大地はペットボトルのお茶をすする。けふっとぬるい茶を呑み干すと、潰れかけた目で薫子を見る。日曜日くらい朝の特撮ものが終わったころに起きたいものなのだが。


「それで何の用ですか。自分、今日はちゃんとご飯つくりたいんですけど」


 洗濯や掃除は嫌いだが、料理は大地の趣味だった。今日は、仕込んで冷凍していたロールキャベツをじっくりことこと煮込む予定だったのだ。朝のうちに煮込んでおけば、夕方には冷えて味がしっかりしみているはずだ。平日は、学校があるので休日くらいはちゃんと食事を作りたかったのに。


 薫子がちらりとキッチンへ目をやる。二畳ほど、コンロは一つしかない狭苦しいキッチンだ。コンロの横にシチューの素が置いてある。昨日特売で買っておいた。


「今日はシチューなのか?」

「いえ、ロールキャベツです」


 大地の実家では基本シチューにロールキャベツを煮込む。

 薫子が不服そうに大地を見る。


「トマトケチャップだろ、普通」


 薫子宅はトマト派である。たしかにそれが主流だろう。しかし、マイノリティを抹殺するのはよくない。


「食べるのは俺なんで。あとケチャップ切らしてます」

「お前のことだから、ホールトマト缶くらい買い込んでるだろう」


 一つ八十八円のセール品を買い込んでいたのがばればれのようだ。だが、断言する。


「食べるの俺なんで」


 大地の言葉にもやっとしながらも、薫子はもう一度畳の上の本を叩く。


「とりあえず、いくぞ!」

「……」


 大地は言いたいこともあったが、薫子に手を引っ張られ仕方なく部屋を出ることにした。毎度のことながらこの人には勝てないな、と思う。






「恋愛とは、危機的状況において起こりやすい」

「吊り橋効果というやつですね」

「そうだ」

「でも、それって脳の錯覚じゃなかったんですかね」

「錯覚でも、疑似体験を繰り返すことで、恋愛というものをとらえることができるだろう」

「でも、この方法どうなんすかね」


 ウイーンという音が響く。がたがたと音がなり、後ろからざわめく声が聞こえる。


 大地は舌を噛まないように口をしっかり閉じる。下ろされた安全バーをしっかり握り、うつろな目で世界を見る。


「うぎゃああああああ!」


 絶叫がこだまする。

 ジェットコースターの最前列はきつい。






 大地は、真っ青な顔でベンチに寝そべった。


「大丈夫か?」

「大丈夫じゃないですよ」


 差し出されるジュースの紙コップを受け取り、大地は喉を潤す。先ほど、絶叫したために喉はからからだ。


 場所は、テーマパーク。賑やかな家族連れやカップル、友だち同士で騒ぐ姿が見える。売店の傍では、マスコットの着ぐるみが子どもに風船を配っている。


 まだまだ寒い季節だが、日が照っているためそれほど寒さは感じない。だが、それは大地の体感温度のようで、普段研究室でぬくぬく引きこもっている薫子は、もふっとしたコートにもっさりとしたマフラーをぐるぐる巻きにしている。フレームの太い眼鏡もあって、どんくささを体現したかのような女性である。それでいて妙に男らしい口ぶりなので初対面の人間は大概面食らってしまう。大地にとっては物心ついたときにすでに『おねえちゃん』として存在していたので、彼女の口ぶりがこれ以外であったらむしろおかしいと思う位だが。


 それにしても、寒天の上でカビを生やしてにやにやすることを生きがいにする薫子が、いきなり恋愛なんぞ似合わない言葉を出すものだからどういうつもりかと思いきや、こういうことであったとは。


 先ほどの本を開いて音読している。百人一首ではないのだから、そんなの暗記は意味がない。テストで五教科百点をとることのほうが、通知表の協調性の欄に〇がつくことより簡単な女性だ。


 一体なにが理由なんだ。


 大地は呑み干したカップをごみ箱へと投げた。からんと音を立てて、シュートが決まる。


「先輩、こんなことして何の意味があるんですか?」


 大地は携帯電話をいじりながら言った。薫子はチュロスをもぐもぐ食べてほっこりした顔をしている。本を読みながら食べ物を食べるのはよくない。


「意味か? 恋とは大切だぞ。相手を相互に理解することによって、互いの絆を深める。これは鳥のつがいにもいえることだが、はては子孫をより多くのこすことにつながる」


 たしか、鳥のつがいって普通に不倫繰り返して托卵してんだっけな、と以前薫子が言っていたことを思い出した。忘れているわけでもないだろうが、完全に、今読んでいる本に毒されている。


「子孫残したいんですか?」

「当たり前だろう、生物としての本能だ。理想としては、一回の出産で三つ子を男、女、オカマを産む」

「オカマってなんすか? 産もうとして産むもんじゃないでしょ!」

「オカマとは男の身体に女の魂が宿る完全生命体だ」


 なぜか誇らしげにふふんと鼻を鳴らす薫子。


「意味わかんないですよ!」


 大地は携帯電話をジーンズのポケットに入れると、薫子のチュロスを折った。シナモン味だろうか、すこしぴりりとする。


「あっ、勝手にとるな! 自分で買え」

「金ないですよ。仕送りまでまだ半月あるんですよ」

「なら、入場料金払わなきゃいいだろ。私が払うと言ったんだから」

「それとはなんとなく別問題です」


 大地はシナモンのついた指先を舐める。貧乏学生なりに矜持というものがある。たとえ『おねえちゃん』とはいえ、女性におごってもらうのは気が引ける。


 少し口をとがらせて薫子は眼鏡を指先で上げる。道場に通っていたときからずっと眼鏡だ。大きな大会に出たときも眼鏡で、試合のときだけ外していた。コンタクトにしたほうが多分成績ももっとよかっただろう。いつも準決勝で負けていた。


「さて、次はどうしようか?」

「ゲーセンがいいです」

「フリーフォールとお化け屋敷どちらがいい?」

「二択っすか?」


 質問の答えも与えられず、大地はフリーフォールのちホラーハウスのコンボをくらい、チュロスが酸っぱいものとともに逆流しそうになるのだった。


 大地は絶叫マシンもホラーも大嫌いだ。






「昼はどうする?」

「先輩のおごりなら中華、ワリカンならジャンクでお願いします」

「自分で払うんじゃなかったのか?」

「食い物は別です」


 二杯目の清涼飲料水を口に運びながら大地は言った。薫子はテーブルの上で手帳にメモを書いている。昔からの癖だ。まめに日記をつけるなど彼女らしくもないようだがそうでもない。


 物事を記録としてつけるのは、彼女の性格によくあっている。


「中華かあ。食べたくないような、ないような」

「つまり食べたくないんですね」


 氷だけになったカップを振りながら、大地は薫子の手帳をのぞきこむ。見ているとジェットコースターとフリーフォールとお化け屋敷の後の心拍数と体温が書かれていた。そういえば耳に体温計つっこんでたり、脈をはかっていたことを思い出す。なんだろう、この対照実験。


「今のところ、ジェットコースターが一番心拍数上がったなあ。ホラーハウスは、もう少しひねりが欲しかったな。あれでは、怖がることもできない」

「それって俺に対する嫌味っすか?」


 ホラーハウスは駄目だ、あのいきなりわけのわからないものが飛び出てくるあれは駄目だ。心臓に悪すぎる。

 この人には、怖いものなんてないのだろうか、とたまに薫子のことを思わなくもない。なんとなく、近づいて手帳をもう少しのぞきこもうとしたら。


「スパイ行為は容認しない」


 ぱしりと手をはたかれる。


「ここは乙女の日記は見ちゃだめですというところです」


 冗談めいて言っていると、園内放送が聞こえてきた。


 カップル限定のイベントが広場であるらしい。ご参加くださいとのこと。


 そういえば、バレンタイン前だよな、と大地は気が付いた。カップル連れが多いわけだ。


 薫子が恋などと言い出したのもそれが原因だろうか。


「さて、行こうか」

「やっぱり行くんですね」


 大地はまたうなだれながら薫子へとついていく。彼女にとって、自分はいつまでたっても便利な弟分なので仕方ない。






「ハートってなんで赤かピンクで描かれるんでしょうかねえ」

「臓器を示すにあたり青か緑で塗られていたら、腐敗かウイルスの感染を疑わなくてはいけない」

「うん、そんな答えを待っていたわけじゃないけど、実に先輩らしい返答です」


 ここで普通の女の子であれば、あまりにピンクと赤にまみれた広場に大地が辟易していることを理解してくれただろうか。いや、少なくとも大地が以前付き合っていた彼女は、喜んで暖色系の色に囲まれた小物店に入っていたものだから、どうなのかわからない。


「人間の雌は、赤や桃色といった色を好むのには理由がある。遠い昔、我々の祖先が狩りをしていた時代、雌は果物の採集をしていた。すなわち、その名残である。それが、今の時代、チョコレートなるものの装飾となって雌を引き付けるすべになるとは、企業とは恐ろしい」

「その理屈でいえば、先輩の祖先は果物じゃなくひたすら芋でも掘っていたことになるんですね」


 おばあちゃんの作ったおかずのような色の服を着た薫子に言った。もう少し可愛い恰好をしろとでも言いたいけど、彼女の立ち位置がこれなので仕方ない。


「芋の栽培は狩猟生活よりずっと後のことになる。すなわち、私のほうがより近代化した人間というわけだ。芋と言えば、筑前煮が食べたくなった」

「そのうち作ります」

「鶏肉はけちらずちゃんと骨付きを使ってくれ。胸肉はいかん、あれは駄目だ」

「材料費ください」


 同郷のよしみもあって、たまに薫子は大地の家でご飯を食べていた。薫子はまともな夕飯、大地は材料費と互いに利益もあったのだが、ここ数か月薫子の訪問はなかった。そして、久しぶりにやってきたと思ったらこのとおりだ。


 ハートをモチーフにしたキャラクターの着ぐるみと、コンパニオンらしきおねえさんがバスケットを持ってカップル一組一組に小さな包みを渡している。ほんのりと甘い匂いが漂っている。包みの中身は十中八九チョコレートで、その提供元らしいお菓子メーカーが広場の一画で特設コーナーを作っていた。


 サトイモのような色の服を着た薫子でも、コンパニオンのおねえさんは雌だと認識してくれたらしく、どうぞとチョコの包みを渡す。

 食いしん坊の薫子は、食べていいかと、大地を見る。場違いもはなはだしい。


「それの使い方、説明するみたいですけど」


 数十組のカップルが集まった広場の中心で、マスコットの着ぐるみとおねえさんはわざとらしく男の子と女の子のぬいぐるみを持って手を振っている。子ども相手の人形劇じゃあるまいし、なにがやりたいんだかと思っていると。

 着ぐるみとおねえさんは人形の口と口をくっつける真似をした。あいだに、チョコの入った包みをはさんで。


「ただでさえ、冬場の乾燥した空気の中、ウイルスが繁殖しやすくなっているのに、こういうイベントはどうなんだか」

「見ていて恥ずかしいです」

「経口感染など、推し進めるのはどうかと思う」

「うわー、写真も撮るのか。今の入ってたな、うん、入ってた」


 カップルたちが特設会場に設置されたステージに順番に上っていく。背景には、テーマパークのシンボルであるお城が建っており、その前で記念撮影をするものだが。


「先輩、心拍数上がりそうですか?」

「他人の接吻行為を見て興奮する趣味はないようだ」

「以下同文」


 配られたチョコレートを女性が男性に口移しで渡すというイベントとのこと。数日前からあっているらしく、大きなパテーションには、のべ数百組のカップルのキスシーンがはりだされていた。


 実に趣味が悪いことだと思うが、このまま列に並んでいては大地たちもその中の一つになってしまう。


「先輩、そろそろここから……」


 大地が提案しようとしたときだった。


 ぼんやりと薫子がパテーションの方を見ている。正確には、そこに写真をはっているカップルのようだ。


「どうしたんですか? 先輩」


 大地が聞いても薫子に反応はない。

 代わりに、視線に気が付いたのかカップルの女のほうがこちらを見る。あからさまに笑い、隣の男の肘をつつく。

 声は聞こえない、ただ何を言っているのか簡単に想像がついた。


 隣の男が女に言われてこちらを向く。その顔色が一瞬青ざめたかのように見えたが、何事もなかったかのように彼女の背を押してそそくさと行ってしまった。


 薫子の顔がうつむいている。ぎゅっと拳を握り、ゆっくりと歩きだす。


「先輩!」

「か、観覧車はまだ調べてなかったな」


 歩調がだんだん速くなる。歩くのから競歩、そして小走りに代わる。


 大地は走っていく彼女を追っていくことしかできなかった。






 大地は観覧車へと突っ走る薫子を追いかける。いまだ、道場でやっていた鍛錬を忘れていないのか、インドア派とは思えない走りだった。


 呼び止める係員にフリーパスを提示して駆け込むように観覧車へと乗り込む。段差があったのか薫子がこけるところを大地は受け止めてそのまま倒れ込んだ。


「大丈夫ですか?」


 係員が心配そうにきいてきた。


「だいじょぶです、閉めちゃってください」


 動いている観覧車を止めることはできず、係員はがちゃんと観覧車にロックをかけた。

 ゴンドラの中、奇妙な体勢のままの二人。


 なんだよ、その反応。

 

 さきほどの逃げるような行動、誰から逃げたというのだろうか。


 大地は、薫子らしからぬ行動にどうしようかと思った。 


「落ち着きましたか、先輩?」


 さすがに走って疲れたのだろう。荒くなった息がようやく落ち着いてきた。


「……落ち着く」

「落ち着かないでください」


 肩の上に薫子の頭が乗っている。眼鏡は転んだはずみでとれてしまったらしい、その分距離が近い。癖のある柔らかい髪の向こう側のマフラーの隙間からうなじが見える。彼女の体温で温められた空気が頬に当たる。


「小っちゃいころ、よくこうしたな。道着じゃ冬場寒くってさ」

「ええ、よく湯たんぽにされましたよ。俺」


 そしてまた湯たんぽにされているようである。大地の上にのったまま動こうとしない。

 もう小さいころとは違うというのに。


「なあ、恋ってなんだろうな」

「それを知るためのその本なんでしょ」


 大地は床に落ちた本を見る。


「本でなんでも知識が得られたら苦労しない」

「そうでしょうね」


 ゆっくりと観覧車の高度は上がっていく。駆け込んだせいで、薫子の鞄の中がぶちまけられている。役に立つかもわからない新書の他に、移動中の暇つぶし用だろうか、分厚い専門書が一冊転がっている。それに財布やハンカチ、飴玉のほかに、白いコンタクトケースとドラッグストアで売ってあるような化粧品が転がっていた。コンパクトの中身は落ちた衝撃のため、中身が崩れ、肌色の粉をまき散らしている。


 彼女らしくないものだ。口紅のひとつ、マスカラのひとつを買う金があれば、海外の専門書や実験器具を買うほうに使うのに。ましてやコンタクトケースなんて。ケースがあるということは中身もあるだろう。でも、眼鏡をかけていることから、彼女には合わないようだ。


 薫子は大地の上にのって頭を下げている。彼女がどんな表情をしているのか、まったくわからない。ただ、癖のある髪が少し震えているような気がした。


 大地の目に、ページが開かれた手帳が見えた。小さな文字でびっしり書かれているそれを見て彼女の行動に納得できた気がした。


 淡々とした日常を語る中で色味が見える。その中に、大地の知らない人間の名前が頻出する。時期はちょうど大地の家にごはんを食べなくなった頃くらいか。


 なるほどねえ。


 こんな変な先輩にも、まがりなりにも彼氏というモノが存在していたらしい。そして、それは過去形となっている。


 さっきの男、もしかしなくても彼がそうだろうか。早々と新しい彼女を見つけるとは。


 大地は左手で頭をかきむしると、残った右手で開かれた手帳を閉じた。


「女々しいよな。今更気になったところで何になる」


 薫子はきっと今日、彼がここにくることを知っていたのかもしれない。恥ずかしいと思いつつ、大地を巻きこんでまでこうしてくるほどに。


 自分がされたら嫌だろうな。


 大地は思う。大地が思うことなのだから、薫子もきっとわかっている。でも、やめられなかった。


 恋というのは、筋道に通ったものではないらしいから。


「先輩、恋って難しかったですか?」

「難しいもなにもわからないから、仕方ないだろ!」


 ぎゅっと大地の襟首をつかんで身を縮ませる。マフラーの隙間からさらにうなじの奥の背中が見える。分厚いコート着ているけど中身は薄着、服装はずいぶん手抜きだ。化粧もしていないし、眼鏡はそのまま、眉毛はちょっと剃ったあとが目立ち始めていた。


 とても恋をする人間の格好じゃない。そして、それに付き合わされる相手は、さらにその対象でもないだろう。

 けっこうむかついた。


「眼鏡はあんまり可愛くないっていうし、このアイドルの顔は好きだっていう。服はもっと薄着でひらひらしたものがいい、言われた通りにしようと頑張った。でも、わからないんだ」

「なにがですか?」

「相手が好きだといってくれた、付き合っていればそのうち好きになると思った。でも、違う。私が好きだといったのに、なんで私じゃないものに変えようとする。それに、そのうち好きになるというのに、心拍数も上がらない、体温も平常値のまま、話を続けていたいというより面倒くさいと思ってしまう。それでも、恋というものがわかれば、相手のことも好きになれると思ってたのに」


 その前に相手に振られたわけか。

 

 物好きもいたものだと大地は思う。彼女にコンタクトを買わせ、化粧品を買いそろえさせるなんてがんばったものだ。だからこそ、そいつの女の見る目のなさを鼻で笑いたくなる。

 もう少し待っていれば、世界一かわいい彼女ができたかもしれないのに。


 早々と見切りをつけて新しい彼女を作るとは。


「先輩、ファンデーションはまだ必要ないですよ。徹夜明けの酷い顔ならともかく、血色と肌艶はそこらの女子高生よりずっといいんですから」

「……」

「眉毛は下を少しだけ剃るだけで十分すよ。形は悪くないんで、むしろ細すぎるのは時代遅れに扱われますし」

「……」

「それと唇は少し荒れているのでリップくらいは……」

「やけに詳しくないか? 大地」


 少し赤くなった目で、にらんでくる薫子。

 大地はそっと視線を外す。話題が他の男からはなすことには成功したが、そちらに食いついて来られると困る。


「誰に教えてもらった? そんな高等技術!」

「いや、友だちにですよ。高等でもないし」

「どんな友だちだ! 他にどんなことしてたんだ!」


 なぜか攻め立ててくる薫子に大地は苦笑いをする。少なくとも野郎とコスメの会話をすることはない。

 

 自分だって、彼氏いただろうが。こっちはいつまでも幼稚園のガキじゃない。ちょっと気になる女の子とお付き合いして別れるくらいの経験はしている。いつまでも弟扱いしないでもらいたい。

 

 そんな理屈は通用しない。いつまでたっても、薫子にとって大地は弟なのだ。

 

 それがなんだか悔しかった。


 恋なんてわからないとか言っておきながら、あれは完全の女の子の行動だった。


 だから仕返しすることにした。


 大地は、薫子のぐるぐる巻きのマフラーをゆるめる。野暮ったい髪の毛をはらうと、ゆっくり首の後ろに唇をつけた。


 びくりと静電気が走ったかのように、薫子が動いた。唇の冷たさに驚いたのか、それとも。


「だ、大地!?」


 いい反応だと大地は思った。そのまま、うなじに歯を立てた。


「……!?」

「先輩、観覧車の心拍数はどうですか?」


 耳元でささやくように言った。トマトのように真っ赤になった薫子を見て、大地は満足げに笑う。

 いつも後ろにくっついてきていた弟分はとうにその身長をこしているのだとわかってもらいたい。細い手首をおさえ込むことなんて簡単だ。


「先輩、ご飯今日はうちで食べません? ロールキャベツ、トマト煮込にしますから」


 ねえ、と頬をゆっくりと撫でた。

 困惑する薫子に、まともな恋を教えてやりたくなった。


「いいですよね? 薫子・・さん」


 観覧車はようやく十時の針に届いたところ。

 地上につくまで、しばし時間はある。

 


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― 新着の感想 ―
[良い点] 風景描写自体は少なくても、二人ともすごく生き生きとしていて、目の前にありありと情景が浮かんできます。 [一言] 読了と同時に、私が頬を両手で挟んでいやんいやんと首を左右に振ってしまいました…
[一言] 続きを!続きを!
[良い点] お互いに大切な物を見つけられて幸せになれるといいですね^^ [一言] それにしても相手の男もひどいですね・・・。 リア充爆発しろ
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