第七章
とかく事態は収拾し、なぜか僕がみんなを代表して怒られることとなった。
幸いだったのは、あのすさまじい状況において機材が損壊、故障していないことだった。僕とモヒカン店員は二人で後片付けを行い、同時に機材の具合を確かめたが、どうやら後々面倒くさいことにならなくて済むようだった。
モヒカン店員は最初こそ怒ってはいたものの、不意に途中からおかしな態度を見せ、遂には僕に自らの近況とその悩みを打ち明けてきた。よく見ると、頭には不可思議なピンクのモヒカンを乗せてはいるものの、顔立ちは柔和な弱弱しい線をしていて、口調なども物静かな人間のそれであった。最近はバンド内で恋愛関係がもつれてやりにくいと語る彼は、モヒカンもピンク色ではなく、セピア色と呼んでしまいそうな脆弱さが見て取れた。
僕にそんな相談をされても困るのだが、その彼の采配により僕らの処罰やこれから如何が関わってくるため、僕は彼を無碍にもできず、沈痛な面持ちを作り、適当なところで相槌をうち、一般論を返してあげた。
僕にとっては取るに足らない内容の返答だったのだが、モヒカン店員はそれで気分を良くしたらしく、僕らは晴れて無罪放免となった。
最後には僕がモヒカン店員を慰める形をもって終わったのが腑に落ちなかったが、待合室でてっきり待っていると思っていた御堂が何も言わずに先に帰ってしまったのを知って、急に投げやりな感情が襲いかかってきた。
僕は徒労感に見舞われながら、青い顔をして椅子に腰かけている和也に声を掛け、スタジオを後にした。
通りはすでに街灯が点き、暗がりの中に淡い色を射していたが、何分田舎なのかその光源は十分に足りていないように思えた。街の中心地から外れたところにあるせいか、人通りも少なく、夜の到来というものが十二分に感じられた。
空々しさからくる寂しさを寒さと勘違いした僕は、今だ手放せないでいるマフラーを一層巻き付け、和也と共に住宅地へと歩を進めた。車のクラクションが遠く響き渡ったが、自動車の姿は見当たらなかった。
和也はスタジオを出て、最初こそ大人しかったものの、相手が僕だけだということを歩きながら咀嚼するように認識したのか、次第に口数が多くなっていった。
「いや、ひどいと思わない? 俺はただギターの腕を見せろっていうから付いてきただけだぜ。何だってあそこまで言われなきゃなんねえんだよ。っていうかまだバンドやるとも言ってねえうちからさあ、あり得なくない? いや、マジマジ。あいつ頭おかしいって。なあ」
僕は一番悪いのは和也の演奏だと思ったが、それを言っては元も子もないため、考えを改めた。
「まあ、確かにひどいと思われる部分はあったかもしれないね」
「だろ? そうだよなあ、絶対そうだって! そうとしか考えられないだろ」和也は殴られた頬が痛むのか、さすりながら言った。「だってこれ絶対腫れてるだろ。どう、やっぱり? うわ、そうだと思ったもん。めちゃくちゃ痛えもん。これ明日、女の子になんていえばいいわけ? なあ。いや、でもちょっとワイルドでかっこよかったりもするかな」
僕は唖然としてしまった。
殴られた人間がこうも囀るのかということについて、和也は規格外であった。まるで自分は小物ですと言わんばかりのうっとおしさには、驚嘆すべきところがあった。もしくは殴られたショックでこうなってしまったのかと僕は邪推せずにはいられなかった。
「和也、大丈夫?」僕は本当に心配していた。
「ん、ああ。大丈夫だ。奴のパンチなんか全然きかねえよ。むしろ殴ったあいつの手がどうにかなっててもおかしくないんじゃないかな。あのときはまさか殴りかかってくるとは思わなかったけど、でもやっぱあいつはおかしいよな。ああ、絶対おかしい」
そう言う和也の顔はだんだん腫れてきていた。瘤取り爺さんの童話を思い出させるほどに肥大した頬は、恐らく後日残念な結果を生むに違いなかった。
僕は通り道の小さな公園の自動販売機で彼に缶ジュースを買って差し出した。
僕はひどいことになる前に少しでもと、その冷たい缶を頬に当てて、応急処置として欲しかったのだが、和也は受け取って言った「センキュウ」という馬鹿にしたのか礼を言ったのかわからない言葉と共に、プルトップを開き、炭酸飲料を嚥下した。
大方の予想通り、その炭酸水が和也の口内を刺激して、和也は含んだジュースに四苦八苦していた。
「ちょっとでも冷えるかなと思って」僕は多少の皮肉を込めて言った。
「ああ、悪いね、でもセンキュウ」その言葉をどう受け取ったのか、和也はしかし嬉しそうだった。
僕は自分の分に買ったオレンジジュースを手に持っていたが、そのひりひりとする芯の通った冷たさに嫌気がさして、飲む気が失せ、和也に差し出した。「これを頬に当てた方がいいよ」と。
僕らがいる公園は正に切り取られた一画という感じで、遊具もなく、あるのは庇つきのベンチだけだった。
木に囲まれているために暗く、ポツンとある街灯だけが頼りの何もなく、大して広くもないその公園に僕と和也の影だけが広く伸びていて、奇妙な動きをしていた。今は夕食の時間帯であるのに、どこの家庭からの生活音は聞こえず、本当に住宅街であるのか疑わしいほどだった。
五月とはいえ、まだ日は短かった。僕はすでに沈んでしまった太陽に見切りをつけ、ふと空を見上げた。
さっと星明りの前に何かの影がよぎったが、それが何かはわからなかった。羽根の生えた、鳥のようでもあった。だが鳥にしてはフォルムが、というよりも印象が禍々としていて、物が喉に詰まったような気持ち悪さを覚えずにはいられなかった。
何処かで見たことがある気がした。
強迫観念めいたその想起を僕は必死に、切実に行ったが、僕にはその正体も残滓さえ記憶に引っ掛かることはなかった。
不意に僕は和也に声をかけられ、振り向いた。
和也はいつの間にか、ギターケースからギターを取り出し、ベンチに腰かけていた。えらく芝居がかったポーズだった。
浅薄な和音が和也の指の動きと共に響き、和也は笑った。
「俺は決めたぜ、森崎。俺はおまえらとバンドをやるぜ」
頬が痙攣していた。どう見ても、まだ痛みが残っているのに無理に笑おうとしたからだった。それでも和也は続けた。
「だが、勘違いするな。俺はあいつ、御堂のためにバンドをやるんじゃない。森崎、お前との友情のためにバンドをやるんだ」
和也は右手を僕に差し出した。
手のひらを若干上に向けて、僕に見せるように差し出してきたので、僕は何かくれるんだろうかと思い、和也の手の中をのぞいたが何もなかった。
まさかこれは握手をするために手を差し出しているのではないかと思ったが、しかし握手をするには少しばかり手が傾き過ぎていたし、何より握手をする理由が見当たらなかった。
僕がその差し出された手に向けて悩んでいたのはほんの数秒のことだとは思うが、その数秒間の中にはえも言われぬ堪えがたき葛藤があった。ここは手を差し返すべきなのかどうかということに関しては、思考回路を余りある速度で回転させたが、やはりその真意は全くわからず、とりあえず五分の可能性ということでこれは握手だと決め打ち、僕は和也の手を遠慮しながら握った。
和也は満足そうに頷き、つながれた手にさらに左手を添え固く握り合わせた。
その反応からこれが正解だということはわかったが、過剰な演出が過ぎていて、この男はバカなんじゃないかと思ったが、ああバカだったなと思い出し一人納得した。
こうして思わぬ形で三人目のメンバーが決定した。
和也はひどく理不尽なそれこそ惨めなほどの暴虐も受けたにもかかわらず、何を思ったのか自ら破天荒なバンドに志願したのだった。それは、もともと和也は勧誘された立場であったので、結果的にはその勧誘という目標は成功したということだった。これが僕が思い寄らなかった形だった。
わからないことだらけだった。
どうして御堂が初見の時点で和也を勧誘しようとしたのかも、和也があんな目に遭いながらもバンドにはいることを了承したのかも、そして後日、御堂が何事もなかったかのように和也を受け入れていたのかも、すべては理にかなっているとは思わなかった。和也は僕のためにバンドをやると言った。
僕はそれがすべてであるようには絶対に思わない。何か打算的な部分が少しでもなければ、彼に利点はないのだから。和也の言はあくまでも建前だと、僕はそうとしか考えられなかった。
僕はこの日のことが全て目の前で起きているのに、身近な出来事として認めることはできそうになかった。
何もかもが僕の想像の範疇外で動いていた。これが御堂の描いたプランだったのだろうか。
そう思えるほど僕は楽天的にはなれなかった。要所要所でのアクションはあったものの、全体を通せば杜撰な筋書きであったのははっきりとわかることであり、これは計画というべきものではなかった。
そう、御堂は決して全能ではない。だからこの日のことは偶然であるはずなのだが、御堂を見ているとそう思えないのも事実だった。
後にもその不可解さはまた第三者を介して、ますます深まっていった。