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第五章

その日の終業のHRでは、僕らのクラスの教室内は殺伐としていた。


のんべんだらりとした珍妙な語り口で、話を無意味に長引かせることにかけて天性の才能を与えられている野崎教諭は、その日もいつもと変わりなく再度にわたって同様の内容の伝達事項を婉曲極まる表現や、口癖と思われる「逆に」という接続詞をあくまでクリティカルな用語のようにして多用し、自らのクラスの生徒を放課後の解放時間から遠ざけていた。


そのことをよく思わない御堂は、間延びする野崎教諭の言葉に合いの手を打つかのように、言葉の切れ目切れ目に悪意に満ちた舌打ちを挟み、妨害活動を行っていたが、その活動の如何にかかわらず野崎教諭は自らの語り口を止めようとはしなかった。


御堂は佐田和也を下校する前に捕まえる気だったのだろう。それなのに、思わぬところから刺客というべき技術を有する者の邪魔が入ったとなっては、彼の怒りは放射状に広がり、周囲の善良な生徒を実質五センチほど遠ざけることこの上なかったものだった。


この野崎教諭という無害そうな人物はおそらくその周囲に対する無頓着さを買われ、このクラスの担任となったのだろうと僕は常々思っていた。


二年時のクラス替えの際、もはや問題児中の問題児である御堂五十六をどうするかというのは何かしらの談合があったと予想された。そして白羽の矢が立ったのはこの目の前にいる野崎教諭だった。


彼は一年時、担当のクラスを持たない、無個性の塊のような初老で痩身の古文の一教員でしかなかったのだが、いきなりクラスを任されるというこの待遇に関しては、何かの思惑が錯綜していると思って然るべしだった。


僕にはその配置が功を奏したというものかどうかは判断がつかなかったが、しかしながら、御堂は多少のやりにくさを感じてもいるのではないかということが、この時ふと窺えた。


確かに怒ってはいたが、どこか爆発することのできない様が御堂から見られたのだった。導火線に火はついているが、その導火線は果たして正しいのか。自身への疑惑すら抱いていた様相さえ垣間見えたのだった。


そんな無意味な時間も刻々と過ぎ、僕らは野崎教諭の空疎な説法が終わりと見るや、締めの言葉もそこそこに教室を抜け出し、和也の在籍するクラスへと向かった。


クラスを抜ける途中、御堂にはクラスメートが物理的な妨げとなるはずだったが、物わかりのいい彼らはただ黙って机を寄せて道を開けた。触らぬ神になんとやらの精神が見え隠れした瞬間だった。


他のクラスはもういくらか前にHRを終えたのか、玄関まで向かう生徒が飽和状態となって廊下にごった返していた。


僕はイモ洗いだのと毒づく御堂を和也のクラスにとっとと案内して、当の本人を捜そうとしたが、御堂は廊下を通行する人波にぶつかったのか、見たこともない生徒を威嚇してやまなかった。


僕がやっとの思いで、御堂を闘争精神昂る廊下から和也の教室まで誘導し、それから和也の姿を確認しようと教室内に目を向けたが、果たして彼は全くもってわかりやすい形でそこにいた。


人がはけた教室の中で、和也は数人の女の子を相手に何かふにゃふにゃと気の抜けるようなことを口走りながら、窓際の机に腰掛け、自分の持ち物であろうアコースティックギターをふにゃふにゃと爪弾いていたのだった。


その姿に僕は二枚目を演出する古臭いドラマのワンシーンというよりも、なぜか教科書で見た、ボッティチェリの『春』を思い出すという破格な想起をやってしまったため、腹の底から湧き起こる滑稽さが僕を戦慄させた。


こんな滑稽極まりない人間と、御堂をバッティングさせてもいいものだろうかという当惑からくるその戦慄は、恐らく本能的なものだったのだろう。ただでさえ虫の居所がよくない御堂に会わせてしまうのは、さらに悪い結果を生むだけだった。


僕は振り向いて、御堂にあそこでギターを弾いている奴は違う、あんなやつではない、とにかく違うと伝えようとした。


しかし御堂は、和也を視界に捉えるや否や、雑然と並べられた机に打撃音を響かせ、それらが目に入らぬかのように押しのけながら和也に近づいていった。まるで雑兵をなぎ倒す一騎当千の将のように、車椅子の通れる幅というものを関係なく御堂は和也に肉薄した。


和也と三人の女子生徒は、悪名名高い御堂が自分たちを目標と捉え距離を詰めてくるのを見て、それまでの和やかな雰囲気を一転、皆一様に緊張した面持ちとなり怯えた表情を見せた。


そして女子生徒らは次第に近づいてくる御堂が凝視しているのは和也だとわかった途端、皆一様に和也から音もなく距離をとっていった。


御堂は和也の目の前で止まった。こちらからでは表情が窺えないので、これから行われるであろう対話はどのように脅迫に変わっていくのかわからなかった。御堂が車椅子を止めた際のタイヤとリノリウムの摩擦音は悲鳴のように聞こえ、それを機に僅かな無音演奏が流れた。理不尽たる無音が雑音の上を滑るように走っていった。それはこれからの御堂のよく通る暴力的な声が響き渡る前兆のように思えて仕方がなかった。


「君が佐田和也クン?」


だが、御堂が出した声は落ち着いた、柔らかい声だった。おや、と僕は御堂が動かした机や椅子を直しながら思った。


「あ、ああ」


和也は動悸を隠しきれていないままに、相手の質問に答えていた。


「これ君のギターだよね。ってことは君はギター弾けたりするわけ?」


次はもうおや、というものではない違和感を強烈なまでに感じた。若干の親密ささえ感じられる口調には、普段の攻撃的な御堂にはないノリの軽さが存在していた。


決して相手に迎合するはずのない御堂が、昨今の乱れた日本語を使う若者よろしく、砕けた口調で初対面の相手と接していた。僕は眼前で起こっている事態に先ほどとは違った戦慄を感じずにはいられなかった。


「ああ、やっぱり。見た目からしてなんとなく弾けそうだとは思った。いや、もちろんかなりのプレイヤーだともね」


「すごい様になっているよね。どんな曲弾けるの?」


「俺らはバンドやろうと思っているんだけど、やっぱり、佐田クンみたいな上手い人がいると頼れるからさー」


「え、マジ、いいの? 今から俺ら、練習するためにスタジオとってあるんだけど、来てもらったりも?」


「常々音響設備の整ったところで上手い人の演奏を聴きたいと思ったところだよ。マジ、ありがとう」


ここまで話が進むのを見て、僕はようやく御堂の益体もないおべんちゃらの真意を掴むことができた。


御堂は一瞬、その気さくさが窺える笑みの中に嘲笑を混じえたのだった。寸断された表情の連続に紛れた瞬間の悪意。貴様には今のところは飴をしゃぶらせているだけだという言葉とともに、僕には御堂の高笑いが聞こえてくるかのようだった。


これはただの演出の一幕だった。今、持ち上げておいて、逃げ場のないスタジオに連れて行き、息の根を刺すというプランの一環だった。その成果は絶大なもので、元々おだてに弱い和也は先ほどの緊張の反動もあってか、明らかに身の丈以上の賛辞を受け、上機嫌を通り越しての有頂天となっていた。


和也はすでにふにゃふにゃと気の抜けた顔になりながら、女子生徒たちになにやらキザったらしい勿体つけた別れを告げ、僕らと同行する気になっていた。彼は実にわかりやすいほどに術中に嵌っていた。


僕らはこれが初のスタジオ練習の日だった。


僕としては、一対一で御堂に練習の成果を披露し、何らかのアドバイスなり、ともすればねぎらいの言葉なりを予定していたものだったが、そんなものはすでに望むべくもない状況となってしまった。そしてその状況は予想だにする限り、最悪の様相を呈しており、波乱が巻き起こることは必至だった。


一目見ただけで和也の人となりを察し、その弱点を突いた御堂の洞察力や手腕には感嘆させられたが、しかしそこからの話の展開の仕方については不安しか呼び起こせないものであるとして、どうしてそんなことをしたのかは僕にとっては全く理解の及ばないところだった。


彼ならば、和也が大した才能を持っているわけでも、できた人間でないこともわかるようなものだったのに、この行動の意味するところはいくら考えてもわからなかった。


僕は先々で警戒すべきことを考えながら、自分と御堂の持ち物を取りに自らの教室へと足早に戻っていった。


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