第三章
そこから事態は急転直下、あらぬ方向へ進み、僕はいつの間にかギターを買っていた。
僕はただ使える予算を言って、ATMでお金を下ろしただけに過ぎないのに、僕はその時これまで生きてきた中で一番高い買い物をした。
ギブソンというブランドの、僕の部屋に置いてある兄のギターより一回り大きなそのギターは、ギターでもベースギターというものらしく、弦が四本しかなかった。そのことで僕は御堂に初心者だから四本なのかと聞いたところ、「そうだ」といういかにも答えるのが面倒くさく、あとで教えてやるから今は適当なことを言っとけという返答が返ってきたので、僕は黙るしかなかった。
黙って、財布から札束を取り出した。
十万を超えてしまったら僕の金銭感覚は無くなってしまうらしく、御堂が店員と熱い値切り交渉をしていたが、僕はもうとりあえず払ってしまいたかった。大金を持っているのが、何か恐ろしいことのように感じたからだった。
その買い物を済ませたのは、御堂に話しかけたちょうど一月後のことで、僕はさらに大量の桜を踏みつけ、道路に桜の刺青を施し、なかなかおつな紋様ができ始めた頃だった。
ベースを買う日の前日、出し抜けに御堂はバンドをすると言った。
「曲はもうできている。後はメンバーだけだ」
何とも強引なその発言は、しかし僕にとっては穏やかな帰結と感じられた。
それは多分に計画的なものだったのかもしれない。知り合ってから一月、そのような傾向は御堂の会話の端々から感じ取れるものであり、音楽活動に対する傾倒というものが見え隠れしていたものだった。
御堂自身その前段階ともいうべき自らの熱情のほのめかせかたは、意識的にしろ、無意識的にしろなにかしらの重みを持って僕は感じさせられた。彼らしくはない回りくどさというものはそこにはあったが、この時の僕は目まぐるしく過ぎていく新生活をただなんとか順応しようとしていたので、その違和感には気付くことはできたものの、言及するタイミングは持ち合わせていなかった。
それまでに一度、僕は御堂のお宅にお邪魔したことがあった。
その時こそ御堂に対する不信感にも似た違和感、奥歯に物が挟まったもどかしさというものを覚えたことはなかった。僕が彼の家に行ったのは、日常の会話の流れから僕はその行動を選択したつもりだったのだが、彼はあからさまな嫌悪を示しつつも、機械的に僕を自らの家に招待した。
まるで、こう言ったらこう返すというト書きがあったかのような受け答えだった。
御堂の家は街の北側にある高台の住宅街にあった。
僕がお邪魔したのは放課後のことで、学校からはバスに乗っていったわけだが、公園でボール遊びをする子供たちなんかを車窓から眺めていたのを覚えている。
そしてバスを降りてから百八十歩ほど行ったところに御堂の家はあったのだが、それはなんとも奇妙な家だった。
集合住宅であるのか、同じような建築様相の家屋の一角にある家が御堂の家だったのだが、なぜか渡り廊下で何軒かにわたってその同じような家々と繋がっていた。御堂が案内したのはその一角の中央の家だったのだが、内装を見てもさらに奥の家屋にも繋がっているらしく、僕には何でこんな建築になったのかが理解できなかった。
僕はそのことに対する質問もできぬまま、御堂にガレージに案内された。そこにはギターやドラム、大きなスピーカーなどが立ち並ぶ小粋な音響施設になっていた。
僕はこのガレージに入って溜息を洩らしたことだろう。広い空間に置かれた楽器は今にも鳴り出すのではないかという指向性がまざまざと感ぜられ、部屋が一つの運動を示唆している機能美の感嘆を僕に与えた。
御堂は少しばかり大仰な作りの椅子へ僕を座らせ、自身は部屋に置かれたギタースタンドからアコースティックギターを無造作に取り上げ、抱え込んだ。
掻き鳴らした音がよく響いた。アンプを通さずの生音のみだったが、部屋の壁に反響し、僕の耳を震わせた。音の層が層を生み出し、倍音の幻惑に晒されながら、僕は置物のようにして耳を欹てていた。
ビートルズ、ローリング・ストーンズ、エルトン・ジョン、レッドツェッペリン、エリック・クラプトン……。御堂は曲の前にそう一言いっただけであとは何も言わなかった。ただその立方体の中に爪弾く弦の音を震わせただけだった。
御堂は目を瞑りながらギターを弾いていた。僕は彼の動かない足をじっと見つめていた。整然と車椅子のフットペダルに乗せられた足は御堂がいくらギターを弾こうとも、反応を見せることはなかった。
僕はその時ほど御堂の足を見たことはなかった。線が細く、しかし足としてある以上は動きそうなものだったのに、御堂はついぞ立ち上がることはなかった。僕は彼が立ちあがることを何の気なしに想像していた。それでなくとも足を組み、ギターを更に抱え込むようにするのを心待ちにしていたふしはあった。
やがて見事な演奏が終わり、御堂はギターを置いた。僕は拍手もせずに黙ったまま御堂を見ていることしかできなかった。御堂はそんな僕を見て、肩をすくめただけで彼もまた何も言わずにドラムセットの方に向かった。
この日記憶しているのは、結局僕は最後まで気の利いたことはもちろん、単純な賛辞の言葉さえ口にすることは絶対になかったということだ。はい、いいえのような二択の受け答えしか喋らない僕は招待した側からすれば、つまらない客だったろう。
しかし、御堂はそんな僕には構うことなく、真に迫る集中力をもってガレージに置いてある楽器を演奏し続けていた。
興が乗ると口数が多くなる御堂も、何故かこの日は黙して語らずの態勢を築いていた。僕はただただ弦楽器、打楽器の基本形を学んでいたのだ。音を音として聞き、余計な知識を含まないその時間は濃密な時間だった。
御堂が形作る繊細な儚い和音は、知識として声に出すことはできないが、僕を震わせる力があった。大げさな言い方をすれば、音楽形成という初期段階がそのガレージには収斂されていた。
手慣れた様子でピックをスティックを操る御堂の技術は感嘆すべきものだった。ただ、僕が彼の技術について語る手段を持たなかっただけだった。最後の一音を耳に残したまま、その日は終了し、解散となった。
御堂が家に人を呼びたくなかったのは明白なことだったし、そのことをしても尚、僕を招待してくれたことについては、何らかの思惑があったとしか考えられなかった。その時こそ御堂は沈黙を守っていたのだが、数日後のいきなりのバンド結成というのは多分に漏れずその布石だったのだろう。
だからこそ僕は一連の事柄として、客観的に突発ともいえるそのバンド結成の発言をなんなく受け入れることができたのだった。
問題があるとすれば、その余波が僕の時間拘束までも範疇だったということで、つまり僕は御堂がバンド活動をするということは予測できていても、僕が楽器を扱うということがそのこととイコールになることには着地しなかったのだった。
僕は自分の持ち物となった高い買い物を視界に入れて嘆息した。