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第一章

 僕は昔から勤勉だった。両親も両親ともが厳格であったことが遺伝しているのかもしれないが、兄が奔放で激しいことが好んでいたことから、この勤勉さというのは僕自身の性分であるのだと考える。僕は学業においての個人勉強を大して苦に思ったことはなかったし、何事においても飽きて投げだすということはなかった。

 

 しかし、言い換えれば無趣味だったのだろう。飽きることはないが、これといった楽しみは無く、また友達が楽しいと勧めてくれたことでさえ、やってはみるものの、特に興味が湧くわけではなくその時のことで終わってしまった。


 つまり、勤勉ではあるが実直ではなかったわけだ。僕は全てのものに対してある一定の距離を保っていて、誠実に向き合うことはなかったのだろう。いずれにせよ、僕は自分がさして正直な人間であるとは思わなかった。


 他人の言や行動に自らを仮託して、楽な選択肢ばかりを選んできた。それは自由の放棄というか、思考の停止といったもので、社会的には正しくはあったものの、全く面白みのない人間であったのだろう。それが正か非かということではないのだが、先が見えていて、いずれ行き詰るのは目に見えていた。


 だからこそ、僕は御堂に浪漫的、希望的な行く末を感じたのかもしれない。または、行く末というよりか精神性というべきか。

 

 御堂五十六という男は人よりも一五度ほど高い角度に視線を置いていた。それは、向かうべき道筋という意味でもそうであったし、現実的な彼の身体の話としてもまた然りであった。


 彼は僕が価値を見出さない全ての物に対して誠実であったと思える。彼の怒りの原動力はその理想ための是正であり、苛烈ではあるものの徹底したリアリスムの追及だった。

 

 それと同時に僕の勤勉さ、不正直さというものは必要不可欠な要素であった。御堂を理解するのにはどちらも欠けていては、それは両者の溝となり、交流は断絶せざるを得なかっただろう。僕は彼の非凡な才能を理解できる才能を持っていた。持っている自信は、あった。


 だがそれは、決して離別を示唆しないわけではない。御堂が抱く才能のうちの危ういまでの感受性というのは、邂逅でもあり、そこに離別も孕んでいるのだった。しかし、出会った頃の自分はそのような関係性を理解するわけもなく、僕は学校生活でのコミュニティのあり方として捉えていたに過ぎなかった。


 僕なりにそのことについては実感するところはあったのだと思う。僕はもしかしたら焦っていたのかもしれない。虫の知らせとでもいうような、果てなき行く末の、予感があった。

 

 僕が御堂のことを知ったのは、入学して間もない頃だった。


 御堂のことは僕が、というよりかは、当時は人の間で結構な噂になっていたものだった。


 僕たちが通う高校の校舎は、四階建ての古ぼけたコンクリート造りだった。その校舎内では、毎日の刷り込みによるヒエラルキー構造に対しての違和感を取り去るためのもの、かどうかはわからないが、一階の校舎が三年生の教室、二階の校舎が二年生の教室、飛んで四階の校舎が僕ら新入生、一年生の教室となっていた。


 僕らは新しい生活を始め、それに慣れていくには、毎日毎日長いとまではいかないが、冷たい急な階段を登らなければいけなかった。


 しかし、まだ僕が知る由もない頃の御堂は、入学時すでに車椅子生活を余儀なくされている人間であり、昇降運動をする運動器官は持ち合わせていなかった。そして、この古い校舎には身体障がい者のためのバリアフリー設備などはもちろん用意されているわけもなく、何らかの対策案が、学校側より御堂が入学するまでに用意されなければならなかった。


 結局、学校側としては専属の介護人を付けることや、交代での介助といった間に人を立たせるというもっとも至極な案を御堂に提案したのだった。教師だけではなく生徒も交えた、障がいへの理解を深め、相互扶助の精神を養う教育の一環だとも。


 御堂はその最後の一言が気に食わなかった。いや、気に食わないといえば彼は全ての物が気に食わなかったのだが、そのことに関しては、それ以前から彼の頭の中ではプランが出来上がっていたらしく、その学校側の提案を最初から撥ねつける気でいたのだった。


 御堂はまずしきたりとなっている、学年別のフロア分けを徹底的に糾弾した。それは、フロア分けの意義や理由などから、さらには古い体制制度による衰退の歴史、また自分の障がいレベルからの正当な言い分など、ありとあらゆる抗弁を思いつくまま、まくしたてたそうだった。僕にはその話を聞いた時、憤然たる姿で理路整然とした理屈を張り上げる車椅子の男がありありと想像できた。


 恐らく、その抗議は教師陣は予想しなかったことだろうと思う。


 御堂は学校側の話を聞いている最中は大人しくしていた風だったらしい。そこへ来てのその突然の怒りは、寝耳に水、まさに窮鼠猫を噛む、果てや未知のものに対する恐怖なる感情があったのだろうと想像させられた。


 さらには、これは噂ではなく本人から聞いた後日談であるのだが、御堂は現教師人の日頃の悪徳などを言葉の節々にちらつかせながら言葉を重ねていったらしい。正当な理論と三段論法まがいのこじつけでは、決め手に欠けるとはよく言ったものだが、僕が気になったのは、どこからそのネタを仕入れてきたのかということだった。


 そして飽くなき抗弁の後日、僕らは一度もその階段を上ることなく、自分たちの教室へと辿り着けることとなった。僕らの学年は卒業まで一階の教室を使うこととなったのだった。


 その噂は僕たちが抱く疑問の当然の帰結として、出回って然るべきものだったが、しかしその噂が与えた御堂の抗議活動と勝ち得た結果は痛快だった。


 彼の名はそのスタイリッシュなフォルムの車椅子と共に、すぐさま人の口の端に上ることとなった。


 一見見ると多少アバンギャルドすぎるきらいはあるものの、よく似合っていた髪型と端正な顔立ちで、爽やかな印象さえ受ける青年である。普通の応対を心がけていれば、このまま学校の人気者にさえなって、気持ちのよい高校生活を送れそうなものだった。


 だが、果たしてそうはならなかった。そのエピソードは僕ら生徒らと御堂の利害が一致し、そこに神話性に近い理想の投影が行われただけであって、現実にはその地点へたどり着くどころか、真逆へと転換していった。


 先ほどの一件だけでは御堂のことを説明したことにはならず、彼の横溢なる活力はその噂だけにおいてとどまることはなかった。

人の噂は七十五日というが、彼の場合はその七十五日を待たずして、また話が耳に入った。


 曰く、同じクラスの生徒と喧嘩をしたと。


 それも口でののしり合う口喧嘩にとどまらず、車椅子から自身を宙に舞わせた、体重を加えての右拳による一方的暴力だったらしい。現場は登校時間の昇降口だったようで、目撃情報は無数にあった。皆が口を揃えて、恐ろしいパンチだったと話した。


 相手はというと、靴箱前で御堂を補助するつもりだったらしく御堂の車椅子に、静止の声も聞かず強引に触れたらしい。朝の時間帯でなければ、殴打されるといったところまでいかなかったのかもしれないが、朝方は機嫌の悪い御堂を沸点に一瞬で追いやったその不幸な生徒は、近くの生徒たちによって保健室へと運ばれていったという。


 御堂はこの事件で初の停学となった。このことを皮切りに、彼は多くの敵対関係を作り、教室内での堂々の村八分の存在を築いていった。


 彼の怒りの対象がそれは生徒の時もあれば、教師の時もあり、いずれにせよ御堂が加害者、他が被害者という構図に変化がつくことはなく、英雄譚は次第に醜聞となり、最初の一年が経過していった。


 御堂は常に悪意の中で生活を送っていた。それは主に敬遠という形をもって彼に囲いを張り巡らされた。進学校であったという理由もあるのだろう。目には目を、歯には歯をというように、暴力的な手段や直載な方法での攻撃や報復はどうにもなかったようだった。


 御堂本人としては、それも望むところというか、どこ吹く風といったもので、体育の授業など身体でのコミュニケーションを必要とする授業は、ペーパーだけで免除を受けていることもあり、またその他の諸事に対しても、集団生活のストレスにさらされることなくやってきた風だった。

真実のところは本人以外知る由もないのだが、浅薄な観察から言わせてもらえば、望むところというのは的を射ているようにも思えた。


 それは、後々聞かせてもらった彼の経験談からも推測されたのであるが、起こった状況に対して事を甘んじて受け入れ、経験則として喜ぶといった奇特な心理作用を作っているらしいようだった。


 その話は僕には理解することはできなかった。何とか理解しようと理由をこじつけてみるものの、嫌悪を薬として飲み込むということはわからなくもないが、リアリティがなかった。そこまで僕には物事を断定的に割り切ることはできなく、生涯決してこのことを理解するには至らないだろう。


 今だって御堂には鈍感とは思えていない。彼はロックやシャウトを好んだが、僕が一番好きだったのは彼のバラードだったからだ。


 僕にはわからなかった。


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