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第十三章

誰にでも与えられるのっぺりとした平坦な時間を僕らも同じ単位で共有している。時間は概念であり、流動的なものであるけれど、単位として表した時に固定的なものとなる。だから、僕と和也とその女の子は練習という過ぎ去った時間でいえば、同じだけの時を過ごしていた。


だが、密度というものがある。それは多分に個別な要因に根を張っていて、その要因が作用する能力や才能は様々であるが、すべては結果という現実に収束する。


そのような観点から見れば、そのショウと名乗った女の子はその個別な要因が突出していて、これまでの時間で僕や和也が培ってきた経験と技術を、素人であったにも関わらず、驚異的な伸びしろによって僕らを軽く凌駕していた。


「ショウはまるきりの素人だ。それまでドラムに触ったこともなければ、訓練を受けるためにドラムパートを勉強したりもしていない」


その御堂の談を僕はそのまま鵜呑みにするわけにはいかない。


そうしてしまうと、彼女はこのスタジオに入ってからのたった小一時間で、僕らと同じステージまで上り詰めたこととなる。確かに練習を聞いていると、おやと思う瞬間はあった。演奏に関しての初歩的なミス、認識の違いからくる早計を感じる瞬間もあった。


しかしそのことを差し引いたとしても、その技術やセンスは舌を巻くものがあり、決して初心者のそれではなかった。


いくら僕らが下手くそで、修練を重ねなければいけない凡人だとはいえ、それでも納得するわけにはいかなかった。例えちっぽけなプライドや自信だとしても、その一線だけは持ちこたえないといけないと強く気を引き締めた。


だから、開始からの一時間の個人練習では、僕は今までにないモチベーションで練習でき、これまでにない成果を得られたような気がした。もはや先達者としてのアドバンテージを死守しようとかそのような勝ち気ではなく、焦燥と突き上げによる切迫感からくるモチベーションだったのだが、それはそれで効果があった。


しかし、その後の音合わせでその僕の努力と成果は些細なものだったことを知った。


完成度では僕も和也も未熟なものだったが、ショウのドラムは非の打ちどころがないように感じた。さらに言ってしまえば、独創性も驚くべきもので、原曲にはないちょっとしたアレンジ、パフォーマンスからもその片鱗を窺えることができた。


和也は先程の例にも懲りず、すごいねなどとのたうちまわりフランクに接触しようとしていたが、僕は戸惑うことしかできない。


ショウという名前しかパーソナリティを知らないのも相まってか、僕は得体の知れない不可解さを感じ始めていた。対照的に僕は自分のふがいなさも露見し、ナーバスへと落ち込んでいった。


そのとき不意に、後ろから肩をつっ突かれた。硬性の鈍い感覚が僕の肩を押した。御堂は自身のドクロマイクのヘッドを僕に突きつけていた。


「ショウは元々根幹が出来上がっている。軽い手ほどきでもあそこまで伸びる」


一見これは御堂が慰めの言葉をかけているようにも聞こえるだろう。だから仕方ないのだと、僕にアドバイスをくれているようにも取れる。


だが、実のところは違っているのだろう。僕にはわかっていた。御堂の目はその技量に付いてこれるよう配慮しろと物語っていた。その挑戦的な目は、うっすらと細められていて微笑を浮かべていたようにも見えた。


御堂がマイクのスイッチを入れた。通電の気配が静かに、そして確実に伝わった。


「ドラムは大丈夫だな」


満足そうな張りのある声が電気信号を介して通った。


「それでは一度、頭から通す」


流暢にマイクから流れた声には迷いがなく、凛としていた。つまり、これはボーカルを入れて、四人で合せて演奏を行うことの宣言らしい。


途端にベースが重量を感じさせた。四キロ弱のベースが軋みを、僕の肩に響かせた。その鈍い鈍痛は肩をして、腕、手、指と末端まで走った。僕はこの痛みを無視することができない。右手の中指は小刻みに振動していた。


さっきの通しではドラムのラインに圧倒されて、僕はただコード表をなぞるのみになっていた。ベースラインも何もない、ただの低音の連続。例え間違えたとしても、僕の間違いなどは些細なことで、他のパートの演奏に飲み込まれてしまうだろう。


では、御堂のボーカルが入ったら? 


僕はしっかりと弦を押さえ、弾くことができるだろうか。この演奏する前でさえ、指は震え、ストラップは肩に食い込み悲鳴をあげようとしていた。


僕には所詮ロックバンドなど向いていないのだろう。


自身が望み選んだ方法ではなく、あくまで受動的に選択の余地もないまま、言われるがままをやってきた。だから、いくら練習しても上手くはならないし、それこそ才能の違いを見せつけられる。僕は停滞しているのだ。


でも、御堂の歌は聞きたかった。それを僕は希求していた。


僕はいつの間にここまで待ち望んでいたのだろうか。以前の合わせ練習で御堂がギターを弾いた時は、このまま楽器を演奏してもらいたいとあれほどまでに欲していたのに、どうしてだろうか。ドラムのパートがついたから、そんな場当たり的なことだっただろうか。


僕はまだ御堂の歌を聴いていない。


それこそ、爆発的な推進力をはじき出す御堂の車椅子のような罵声は僕の耳を劈いても、それがまだアンプを通した楽器との競合が果たされる瞬間をまだ目の当たりにしていない。


僕はいつの間にか自己を失っていた。


僕という存在はベースを弾くメンバーではなく、ただ一つの単一、ベースラインとして演奏を繋げるだけのものであるような気がした。ただ一つのバンドを行う構想の一部に嵌めこまれた。かつてない期待は御堂に掛けられていた。


僕は彼の存在を知ってから無意識に理解はしていた。自分の中の明白なまでの期待は、御堂にスポイルされ具象化されていたことを知った。


だからこれは僕がはっきりとした希望として抱いた結果だった。


演奏が始まる。ショウの持つスティックが頭上に掲げられ、クロスを作った。そこから四拍子、叩かれた後に僕らは弾きだした。幼稚で放縦な演奏が、敷衍するように奏でられた。


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