第3章 墓野家の秘宝
第3章 墓野家の秘宝
ある日の夕方便利屋福来で福来剛毅と富吉憧一がまたたわいもない会話をしている。
「ねえ、兄貴、一緒に神聖戦士ニキのイベントに行こうよ」と憧一がこどもがねだるような口調で言った。
「行きたきゃ一人で行けよ」と剛毅は突き放すような口調で言った。
すると、玄関のドアが開いて、20歳くらいの青年が1人中に入ってきた。この青年は身長170センチくらいのきゃしゃな体つきで、カジュアルな服装をしていた。そして、シャツの胸ポケットからトランプのスペードのエースを取り出すと、このカードを剛毅と憧一に見せて、「はじめまして。墓野勉と申します。神岡さんからの紹介でこちらに伺いました」と丁寧な口調で言った。剛毅は立ち上がってカードを受け取ると、勉に座るように勧めた。勉が座ると、剛毅も座った。
「それでは、墓野さん、ご依頼の件というのは」と剛毅が話しかけると、「僕はまだ大学生ですし、さん付けで呼ぶのはやめていただけますか」と勉が遠慮がちに言った。
「それじゃあ、勉君でいいのかな」
「はい、先月僕の祖父が亡くなったのですが、祖父は生前僕に受け継いでもらいたい大事な宝物があると言っていました。しかし、その宝物がどこにあるのかを教えてくれませんでした。そこで、この宝物を一緒に探していただきたいのです。詳しいことは僕のうちでお話したほうがいいと思います」
「了解、すぐに行こう。憧一、お前はここに残ってくれ」と剛毅は言うと、勉と一緒に玄関から外へ出た。
福岡市中央区平尾の高級住宅街の一角に墓野勉の家はあった。広い敷地に立派な門構えで、門を通って敷地内に入ると、広い庭があり、すぐには建物は目に入らない。剛毅と勉はしばらく歩いた後、墓野邸の玄関にたどり着いた。
勉は邸内に入ると剛毅を彼の祖父が使っていた部屋に案内した。この部屋は彼の祖父が寝室とは別に書斎として使っていたもので、壁際の大きな書棚にはぎっしりと本が並んでいて、別の壁には琴を弾いている平安時代の女性の描かれた日本画が掛かっている。そして、高級感を漂わせた机の上には書類が山積みになっており、左手に槍を持ち右手には盃を手にした黒田武士の博多人形が1体ある。
「勉君、おじいさんは何か宝物のある場所がわかるヒントのようなものを残さなかったのかな?」
「ヒントなのかどうかわかりませんが、僕宛てに手紙が残されています」と言って勉は机の上に置いてあった封筒を取り上げると剛毅に見せた。
「手紙を読ませてもらってもいいかな」
「はい、どうぞ」
剛毅は封筒を受け取ると、中から手紙を取り出して読んだ。
「酒は飲め飲め 飲むならば 日本一のこの槍を 飲み取るほどに飲むならば これぞ真の黒田武士。これは『黒田節』の歌詞だ」
「そうです。だから困っているんです。祖父はどういうつもりでこんなことを書いたのか全然わかりません」
「この歌詞には何か由来があるの?」
「それはですね、黒田家に仕えていた母里友信という槍の名手が福島正則の屋敷で大きな盃に注がれた酒を見事飲み干した褒美として『日本号』という槍をもらったという故事に由来しています。この博多人形のモデルがその母里友信です」
「触ってもいい?」
「どうぞ」
剛毅は机の上にあった黒田武士の博多人形を手に取ってじっくり見た。
「この盃の底には梅の花の紋章があるけど、これには何かわけが?」
「梅ですって」と勉は少し驚いたような口調で言うと、「ちょっと見せてください」と言って剛毅から人形を受け取って盃の底を見た。
「これは太宰府天満宮の印です。この印を黒田武士の博多人形に使うなんて普通はありえません」
「それなら何か特別の理由があるんだろう。まず黒田家は太宰府天満宮とどんな関係にあった?」
「黒田官兵衛は天満宮の戦火で焼けてなくなった建物を再建しましたし、境内に隠居所を建てて住んでいたことがあります」
「君のおじいさんはどうなの?」
「祖父は毎年初詣は太宰府天満宮でした。初詣以外にもよく行くことがありました」
「そういうことなら、太宰府に行こう。きっと何かわかると思う」
翌日、剛毅と勉は太宰府天満宮を訪れた。2人は鳥居をくぐると、心字池に掛かる橋を渡り、菖蒲池を右に見て、如水の井戸に向かった。井戸の側に着くと、「これが黒田官兵衛が使っていた井戸でこの辺りにあった庵に官兵衛は住んでいたそうです」と勉が説明した。2人は今来た道を戻り、菖蒲池と心字池を左に見て、絵馬堂の側を通って、社務所に向かった。
2人が社務所に着くと、男性の職員に応接室まで案内された。その部屋で2人が待っていると、70を過ぎている宮司が現れ、宮司は2人を見ると、おごそかな態度で「ご用件を伺いましょう」と言った。勉は黒田武士の博多人形の写真を宮司に見せて、「この通り、祖父が残した人形に天満宮の紋章が付いています。祖父から何かお聞きではありませんか」と問いかけた。
「あなたは確かに墓野さんのお孫さんですね。おじい様からお預かりした物があります」と言って宮司は勉に茶封筒を渡すと、「おうちでゆっくりお読みなさい」と穏やかな口調で言うと部屋から退出した。勉が封筒の中にあるものを取り出して見ると和綴じの書物だった。
「それはどういう…」と剛毅が問いかけると、勉はその書物を少し読んでから答えた。
「これはどうやらシーボルトが日本のアリストテレスと呼んだ貝原益軒の研究ノートのようです。貴重な資料ですから、うちに帰ってじっくりと読むことにしましょう」
勉は一人自宅に戻ると、貝原益軒の研究ノートを読み始めた。益軒の書いた序文によると、このノートには史実だと確認できなかったため黒田家の公式の歴史書『黒田家譜』および福岡藩領内の公式の地理歴史書『筑前国続風土記』に載せなかった様々な伝説が記されているという。勉は夢中になってこの書物を読み通した。
数日後、勉の祖父の書斎で剛毅は勉に尋ねた。
「それで何がわかった?」
「このノートにはいろいろと興味深いことが書かれていますが、祖父の言っていた宝物と関係がありそうなことといえば、晩年の黒田官兵衛に関する伝説でしょうね。早良郡板屋村、現在の福岡市早良区板屋の村民の言い伝えによると、ある時如水公、つまり、黒田官兵衛がわずかなお供を連れて、脊振山中に入ったそうです。ところが、山中で突然官兵衛の姿が消え、しばらくしてからまた姿を現しました。この時官兵衛は何か非常に満足した様子だったそうです。ただ、官兵衛が脊振山に行った理由と山中での不思議な体験については何もわかっていないと書かれています」
「なるほど、お宝は脊振山にありそうだな」
「でも、どうしますか。これだけでは脊振山のどこを探せばいいかわかりませんし、何を探せばいいのかもわかりません」
「勉君、民謡の『黒田節』の歌詞には続きがあるよね」
「はい、2番は、峰の嵐か 松風か 訪ぬる人の 琴の音か 駒ひきとめて 聞くほどに 爪音頻き 想夫恋」
「当然これにも由来が」
「はい、これは『平家物語』第6巻で描かれている故事に由来しています。その故事というのは、高倉天皇の寵愛を受けていた小督局という美女が行方不明になり、天皇の命を受けて、弾正少弼源仲国が小督局を探したところ、『想夫恋』という愛する男性を想う曲を弾く琴の音が聞こえたので、彼女の居場所がわかったということです」
「そういう話なら、あそこに掛かっている絵の中の女性は小督局じゃないかな」と言うと剛毅は琴を弾いている平安時代の女性の描かれた絵を壁から外して額縁の裏を見た。すると、何かがガムテームで貼り付けてある。剛毅がガムテープを外すと、中に紙に包まれたものがある。包み紙も外すと、中身はUSBメモリだ。剛毅はこれを勉に渡した。勉はそれをすぐにノートパソコンに接続した。そして、メモリ内のファイルを開いた。
「これは祖父が書いた脊振山の探検記です」
「だったらそれを読んで、できるだけ早く脊振山に行こう」
「はい」と勉は元気よく返事をした。
(つづく)