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滅びの神と風の白狼

作者: アザとー

「ひどい有様ですね……」

 その白狼は、真っ白な毛皮にしみこみそうな煙の臭いに鼻を塞いだ。

 戦渦に焼き尽くされた村は見る影も無い。

 豊饒の畑は踏みつくされ、家屋は僅かに煙の上がる消し炭と化して、略奪の跡さえ定かではない。

「これが神の仕事なのですか」

 振り向けば『神』は、踏み残された一輪の花に触れようとしていた。勝者のように凛と焦土に立つ、小さな白い花に。

 だが、『神』の節強い指先が触れた瞬間、薄い花びらは灰燼となって飛び去り、強く立ち上がった茎は禍火に包まれる。

 滅びを与えた指先が悲しそうに垂れ、『神』は俯いたままだった。

「せっかく残った物まで! それがあなたのやり方なのですか、滅神!」

 白狼のひときわな咆哮にも、『神』の姿勢が揺らぐことは無い。彼は瞑い視線を低く地面に這わせ、次に滅ぼす対象を求めていた。

 持ち主を失ってドロの中に転がった人形を見つけ、彼が動く。

「神!」

 形あるものが滅びに堕ちる光景を、これ以上見たくはない。

 滅神を止めようと白狼が身構えたそのとき、赤子の癇強い鳴き声が響き渡った。

「!」

 『神』は戦き立ち止まり、白狼を振り見る。その瞳には滅びを与える傲慢な神性など欠片もなかった。

 ただ複雑に入り混じった悲しみと、戸惑いと、そして、希望……?


 山洞の住処に、白狼はその子を連れ帰った。

 もちろん、滅びの手を持つ『神』になど触れさせもしない。だが、師匠である彼への敬意を決して失ったわけではなかった。

「よかったんですか、この子を助けたりして」

 白い毛皮に赤子を包み込んでの問いに、滅神は少し目尻を下げたようであった。

「お前もいずれ神となる身。そのお前が望んだ奇蹟に、ワシが口出すことなどできんよ」

 この狼は年経り、白き風の獣として生きながらの転生を果たした『風白狼』だ。今は更なる神性を宿す日に備えて、この『滅神』の下で日夜の研鑽を積んでいる。

「ワシはお前に、滅神を継がせるつもりは無いんでな。お前自身の道を見つける良い機会にもなろうて」

 それきり背中を向けてしまった師匠は、これ以上の質問に答える気などなさそうだ。

「とりあえず、これはどうすれば……?」

 勢いで連れては帰ったものの、孤狼として生きてきた彼は赤子を扱いあぐねていた。

 白い毛を掴んで機嫌よく笑っていた『彼女』が、突如に黙り込む。

 気難しげな表情と、むふむふと苦しそうな鼻息。

「……具合でも?」

 鼻先で触れようとした瞬間、衝撃と戦慄が白毛を波立たせた。

「臭っ!」

 その声に滅神の背中が小さく揺れ、赤子は驚いて泣き声をあげる。

「ごめんなさい! びっくりしましたね! ごめんなさい!」

 必死にあやすが、尻まわりの不快も手伝って、赤子はますます声を張るばかりだ。

「あああああ、どうすればいいんでしょうね」

 ついに滅神が立ち上がり、風白狼を叱りつけた。

「ばかもの、取り乱すな! まずは里からおしめを拝借して来い。乳を良く出すヤギも連れてくるのだぞ!」

「私がですか?」

「ワシが触れるもの全てを滅してしまうことは知っておるだろう」

「だからって、私だって狼なんですけど?」

「ならば捨ててくるのだな。運がよければ誰ぞが拾ってくれるやもしれん。まあ最悪でも飢えて死ぬだけじゃ。お前には関係ないことじゃろう?」

「あなたはっ! 本当に滅びの神ですね!」

「ああ。だからこんなガキなぞ、知ったこっちゃ無い」

「私がいない間に、この子を手にかけたりは……」

「するわけがなかろう。『知ったこっちゃ無い』のだからな」

 風白狼は泣き続ける赤子をそっと下ろして立ち上がった。

「泣かせたままでいいんですか」

「ふん、泣き死んだという話は聞いたことが無い。案ずるな」

 滅神の瞳がほんの僅か、優しく緩んだのは何故だろう。

「それに泣き声はな、生きておる証じゃ……」

「そういうものなのですか?」

 首をかしげながら、風白狼は里へ向けて走り出した。


 あれから……五年の歳月が過ぎた。

 滅神のアドバイスで育て上げることができた赤子は、おかっぱの愛くるしい幼女に育ちあがっている。

 これから滅びを迎えようという村を見下ろす崖の上で、風白狼は背中からその幼子を下ろした。

 滅神と並び立つ育ての親を見上げて、少女はもぐっとつぶやく。

「ちゃん、オシゴト行くの?」

「ああ、大人しくここで待っておいで」

 鼻先で額を撫でる優しい仕草に、滅びの神はふいと顔を背けた。

「言い忘れていたが、お前、クビじゃ」

「なっ! 何でですか!」

「なあ、風白狼よ。ワシは滅神になる前、ただの人間じゃった。子を育てたこともあるのじゃ。」

「答えになっていません!」

 それでも師は振り向こうともしない。

「戦渦で子を失い、生き残ったわしは全てを呪い、そして全ての滅びを願った。ただ滅ぼすだけの力を望んだ結果がこのざまじゃよ」

 彼は、決して振り返ろうとはしない。妙に力強い声だけが風白狼の鼓膜を揺する。

「お前はもう、一人でやってゆける。その娘をつれてどこへなりと去ねばいい」

「神……」

「なあ、風白狼よ。お前は何の神になりたい?」

「紡神に……この子の、そして全ての未来あるものたちの物語を紡いでいきたいと思います」

「うむ」

 ついに最後まで、師は弟子を振り見ることはなかった。

 静かに滅びを待つ村へと駆けるその背中を見送りながら、風白狼の胸に残されたのは、たった一つの言の葉であった。


……それに泣き声はな、生きておる証じゃ……


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