37.ヒーローには なれない
ようやく、戦闘に入ります。ここまで長かった…。
穏やかに吹いていた風が、ぴたりと 止まった。
サワサワと葉のこすれる音が止み、あたりは 静寂に包まれる。
「…… こんな緑豊かな キレイな森で、昼寝とかしたら 最高なのにね」
「む…… 昼寝か? それは 我も賛成だ。 街中の 喧騒もイイものだが、やはり自然の良さは 捨てられぬ」
課題の二日目も、夕方になっていた。
兵士長が 姿を消し、目の前には 変態男…… 否、風変わりな《賢者》様。
相変わらず、赤の森は 普通の森と 一見は何ら変わりはない。
希望を失った者たちを 惑わす、《イモムシ》がいなければ。
思考を狂わす 《赤い実》が無ければ。
この森は、美しい自然を 多くの人々に 提供し続けてくれたであろうに。
思わず 険しい表情になっていた 叶人の額を、ニコルは軽くツンツンと つついた。
「な…… 何?」
「――― 見失っては、ならぬ」
「え?」
ほんの少しの間、叶人を覆っていた 黒いモヤが、スッと 消えていた。
「ニコル…… 今、何か…… あった?」
「ん、たいしたことでは ないが。 目には見えない 《戦い》は、すでに始まっておることを、忘れてはならぬぞ」
「そうなんだけど…… やっぱり、今の 何か変よ。 気付かないうちに…… 私、何だか……」
上手く 言葉で表現できない、気持ちの悪い 《感覚》。
まるで、自分の心を わしづかみにされて、体から 抜き取られるような、そんな感覚だ。
「む…… 《敏感》であることが、裏目に出たか。 そなたは 今、《向こう側》に 《引きずられて》おったのだ」
「…… 向こう側? …… 引きずられて?」
何だか ホラーっぽい表現だか、ゾンビに匹敵する 《赤い実を食べた連中》を目にした後では、たいして 恐怖はわかない。
「圧力を与えているのは 《そなただけ》ではないということだよ、アリス。 沈黙を守っているのかと思いきや…… イモムシの方も、《仕掛けて》きているようだな」
「仕掛けてって……」
「言い方は様々あれど、《呪詛》という表現が 一番しっくりくるか? 禍々しいモノが そなたに近付き、そなたの心を 乱そうとしていたのだ」
言われた瞬間に、ハッとした。
確かに、ニコルに つつかれる直前に、胸の中で 《黒い思考》が広がりそうになっていた。
この森の元凶は、確かに イモムシであり、赤い実も 諸悪の根源で 間違いないのだが…… それ以上でも、それ以下でもない。
それなのに、引っ張られるように、黒い思考は 叶人の《心》を覆い尽くそうとした。
悪は――― 滅ぶべきだ、と。
許すべきではなく、《憎むべきもの》なのだ、と。
己のみが 《正義》であり、相手は 《悪》なのだ、と。
「私…… 今、すごく 《恐ろしい感覚》に、捕らわれてた……?」
ゾッとした。
《いなければ》なんて 思考は、相手を憎み、排除するときのものだ。
しかも、自分が 正義のヒーローを気取って、相手を 消し去る…… そんな感情。
「憎しみを消すことなど、人が生きるうえでは 不可能なことだ。 憎む思いも 自然の産物だからな」
「ち…… 違うわ、私…… そんな、会って間もないイモムシさんを、憎むなんて……」
「落ち着け、わかっておる。 そなたは、引きずられただけ――― そう言ったであろう? 今のは、そなたの《思い》とは別のもの…… それこそ、イモムシの 《策》でしかない」
どういうことかと、ニコルの 次の言葉を おとなしく待つ。
「そなたが イモムシを憎み、排除しようとする…… 己の 《正義》を示すために、な。 それで、イモムシは 優位に立てる。 そなたの行為が ただの《傲慢》であり 《間違い》だと、堂々と 攻めることができる。 そうして、そなたは 敗北する――― 己の 浅はかな行動を悔いて、今度は 己自身を…… 己の能力の無さを《憎む》ようになる。 己を憎み、ひいては 世を憎み、生きていることを憎み…… 行きつく先は、わかるであろう?」
「あ………」
つまり、イモムシの 《犠牲者》が、また一人 誕生…… というカラクリだ。
「憎しみという思いは、人からは 切っても切り離せぬもの。 それを、イモムシは よく知っておるという話だ。 だからこそ、奴の言葉は 人を惑わすのだろう」
「残念ね…… イモムシさん。 読みが甘いわよ」
叶人は、小さく 笑みをこぼす。
「自分が 正義だ…… なんて、私は これっぽっちも考えたことなんか、ないわ」
「それはそれで、なんとも 問題発言だな、アリス」
ニコルは、おもしろそうに 叶人を見つめた。
真っ直ぐに 生きなさいと、教わってきた。
悪に染まることは 罪だと、言っていたのは 母だ。
けれど 現実は、そう簡単に 許してはくれない。
できの悪い 自分を恥じて、少しでも 見栄を張ろうとして、失敗して、もっと 《惨め》な思いをして。
良いモノばかりを 追いかけて、必死で 《そうなりたい》と願って。
嫉妬、妬み、憎しみ――― そういった 《黒い感情》は、自分だって とっくに 《経験済み》なのだ。
「…… 主義主張が違うなら 戦うべきだと、教えられて育ったわ。 その影響か、いまだに 《ケンカ》ふっかけちゃう《悪い癖》があるのも、自覚してるわ――― でもね」
自分が正しいと、自分の選んだ道を進んできたのは 事実。
しかし、それは 《正義》でも なんでもない。 ただ、自分の《主張》を押し通そうとする、わがままな小娘…… その表現が正しい。
だいたい、正義とは 何ぞや…… と逆に問いたい。
人として、正しい道。 万人に、正しい道。 世界の在り方として、正しい道。
そんな 《御大層なモノ》、そんな簡単に 転がっているわけがないだろう。
「正義なんて…… 私には、ほど遠い話だわ」
自分の 思いは、もっと単純で、もっと 幼稚で。
ただ、いつも。
「気に入らないから…… だから、戦う。 単純に、ただ それだけしかないわ。 残念ながら――― そこらの ゴロツキと変わらないのよ、私って」
きっと、こういうことを言っても、白ウサギだけは 頬を染めて 褒め称えるのだろう。
チンピラの次は、ゴロツキ。
我ながら、どうにも 荒っぽい言葉だが、キレイではないのだから ぴったりだと思った。
「ここは ゴロツキとしての 《意地》を、見せてやらなくちゃね?」
《正義のヒーロー》ならぬ、自分は女だから、この場合は 《ヒロイン》と言った方が正しいのか。
とりあえず、正義の使者なんてものには、逆立ちしたって なれないだろう。
「…… 正義でもないし、すでに 《傲慢》なのは 認めるわ。 だけど、私は それで絶望したりはしない。 だから、そのことで 私を《攻める》のは、ムダなのよ」
もとより、自分の 能力の無さなど、他人から指摘される以前に、痛いほど身にしみて わかっている。 毎日 毎日、そう思わない日など、決して 無いくらいに。
相変わらず、ニコルは 楽しそうだった。
こんな場面にきてもなお、マイペースな 御仁である。
「…… もし、万が一のときは――― 後ろを振り返らずに、一目散に 逃げてね?」
叶人は、少しずつ 近付いてくる気配を 正確に感じ取っていた。
近付いてくる…… 生き物の、音。
これから 戦おうとしている、第一の 相手。
負ける気は ない。 勝たなければ、命が危ない。 自分だけではなく、目の前のニコルにも、被害が及んでしまう。
今朝 出会ったばかりの自分と、運命を共にするのは 勿体ない。
「仲間になって欲しいと思ったけど…… その話は、とりあえずは保留ね?」
「なぜ、保留になるのだ?」
「だって…… ニコル、あなたは 《丸腰》でしょう? 魔法使いが 魔法を使えないのなら、戦えないじゃない」
「それなら、そなたも同じだぞ、アリス。 《演奏家》のくせに 楽器が弾けないのなら、戦えないだろう?」
「私は、戦うわよ。 ヴァイオリンが無くても、できることはゼロじゃないから」
「なら、我も 同じ。 魔法が無くとも――― この身が、立派な 武器になるぞ?」
「…………」
―――― 《この身が》って…… いったい、何をやらかすつもりだ、露出狂。
「…… ちょっと待って。 ものすごい 素敵なセリフなんだけど、素直に 受け入れられないわ。 何をする気か、怖くて 聞けないじゃないの」
「ふむ、そう難しいことではない。 我は 賢者といえど、常に魔法ばかり使っているのではない、ということだ。 こんなに素晴らしくも 美しい 《肉体》があるのだから、それを 《活用》しない手はないと、そういう話を―――」
「いや、やめて、それ以上 言わないで」
どんなふうに 肉体を活用するのか…… なんとなく 想像できてしまうのが、嫌だ。
黒いマントに、際どい パンツ一枚――― やれるといったら、《アレ》しかないだろう。
「やめて、ニコル…… アレをやったら、本物の 変態よ。 ただの変質者よ、犯罪よ?」
「犯罪だと? ふむ…… 確かに、我のカラダに 人が釘づけになるのは、罪かもしれぬな…… う~む」
顎を押さえて 本気で悩みだす賢者様。
頼むから、何もせずに おとなしくしていてほしい。
「…… 来るぞ」
「ええ…… わかってる」
風は、止んだままだ。
吹いてくるのを 待っているだけでは、事態は 何も変わらない。
風が無いなら、起こせばいい? それとも、諦めればいい?
「時間があるなら…… 風が吹くまで 待つわ。 風が どうしても必要なら、何としてでも 起こすわ。 でも――― 今は、その どちらでもないのよ」
つまり…… 風だけに、こだわらなくて いいということだ。
見方を、変える必要がある。 昨日とは 異なる攻め方を、選ばなければいけない。
その、第一歩が、もっとも 重要。
すうっと、叶人は 大きく息を吸った。
木々の陰から 姿を現した 三人組に向かって――― 問いかける。
小細工も 何もない、ひと言。
「あなたたち――― どうして 《ソレ》を、手に持っているの?」
相手の体の ど真ん中を傷付ける、小さな一撃。
声を張り上げなくても、この森全体に 響き渡るような、確かな 感触があった。
叶人は、確信する。
切り口は…… 間違ってはいない。
間違っていないのなら、このまま いっきに 攻め込むのみ。
「ごちゃごちゃと ウルセェんだよ!」
「さっさと 食われてしまえばいいんだ!」
「赤い実も アリスも、全部 僕らのエサなんだから!」
巨大なナイフと フォークと アイスピックが、叶人を狙う。
「アリス、兵士長の帰りが遅くないか?」
間一髪 攻撃をかわして、背中合わせになったニコルが 言いだした。
「まったく…… 有言実行を絵に描いたような 男だと思ったのだが、意外に ノロマだったのだな」
あの兵士長を相手に ノロマとは…… 賢者様も、自分と違わず 《怖いモノ知らず》らしい。
「ノロマなんて言ったら 斬られるわよ? ただでさえ、なんだかニコルに対して 敵意をむき出しにしていたし」
「あれは 仕方がない。 剣士にとって、魔法は 《天敵》と呼べるからな」
…… それだけではないような気がするのは、気のせいだろうか。
「兵士長はね…… 多分、迷っているのよ」
「…… 迷う?」
ウラァァと 野太い声とともに、長男ブタの ナイフが振り下ろされる。
即座に 手の中に召喚した ヴァイオリンで、なんとか ナイフを薙ぎ払った。
「私に勝算があるのか、早く 見限った方がいいのか、いろんなことを 考えて…… 考え過ぎて、今が一番 迷っている時間だと思うの。 バカじゃないからこそ、考え過ぎて 迷うことになるのよ。 それが 兵士長の 《弱点》なんじゃないかしら?」
間髪入れずに 二男のフォークが近付くが、突如 ニコルが取りだした《モノ》によって、あっさりと 跳ね返される。
「ニコル…… ソレは、何?」
「む…… これは 《杖》というものだが。 知らなかったか?」
――― 杖くらい、知っている。 魔法使いが 持っていそうなアイテムだということも。
「あなた…… 杖なんか、どこから出したのよ?」
「どこからって…… マントの中に決まって……」
「決まってないわよ! どこの世界に、杖が出てくるマントがあるっていうのよ!」
「…… 今、目の前に、あるぞ?」
カキ~ンと、どう見ても 《木製》の杖が、《金属製》のアイスピッックを防いでいる、目の前の事実。
もう慣れたはずだが。
やはり、この世界は おかしい。
「我は 賢者だから、本来は 杖など必要ないのだ」
必要ない、とは……?
「魔力の 《増幅》と《制御》が、杖の役割なのだ。 下位の 魔法使いには必須だが、我には無用」
「だったら、何で 杖なんか持ってるのよ?」
「――――― なんとなく、だが?」
攻撃を避けている最中にも 関わらず、叶人は うっかり脱力しそうになってしまった。
そんな杖ごときで、無理やり 魔法使いたることを 主張しなくてもいいと思う。
まず 直すべき点は、《持ち物》ではない。 その 《服装》だ。
「ニコル…… 一度、じっくりと 話し合いたいわ……」
「奇遇だな。 我も そなたと話がしたいぞ、アリス」
「それは…… 光栄だわ」
半ば 投げやりになって、叶人は 答える。
やはり、この世界の住人なのだ。 一筋縄では いかない。
「もし、兵士長が 戻らない場合…… どうするのだ、アリス?」
戻るか 戻らないかは、五分五分だろう。 今朝の時点で 叶人から去らなかったことを考えれば、少しは期待してもいいのかもしれない。
それでも、所詮は 期待止まりだ。
何を選ぶかは、兵士長にしか わからない。
「何を選んでも…… 私には、兵士長を責める資格はないしね」
昨日までは、まったく関わり合いたくはない相手だった。
今だって、たいして 理解しているとは言い難い。
けれど、ほんの少しだけ見えた、兵士長の 《素顔》。 その 《片鱗》。
彼にだって、心がある。 強烈な 殺気を振りまきながらも、傷付いた顔だってすることを、もう知っている。
「目障りなんだよ、この マント野郎!」
長男ブタは、ひょいひょいと 攻撃をかわすニコルの方に、標的を変更した。
「待って、ブタさんたち! その 《獲物》は、《そんなこと》をするためのモノじゃ ないでしょう?」
「う…… うるさい、アリス!」
「動揺するということは、まだ 《意識》があるんでしょう? 《思い》が残ってるんでしょう?」
「アリス、後ろだ!」
長男に 気を取られていた叶人の背後から、すさまじい勢いで アイスピックの先が向かってくる。
「くっ……!」
「アリス!」
「僕の勝ちだね、アリス!」
高らかな 勝利宣言をする 三男ブタの笑みが、すぐ間近まで迫っていた。
こんな…… あっけない《終幕》って、あり?
これでは、昨日の 初戦と、たいして変わらないではないか。
ふと 視線を先へとやると、少し離れたところから イモムシが見つめているのに気が付いた。
『所詮は、この程度のものだな』
そう言われているような 気がして ――― 腹の中が、カッと いっきに熱くなる。
その瞬間に、叶人の中で ぱちんと何かが はじけた。
「…… 《大事なモノ》なら…… 何で 大事にしないのよ!?」
凶器に 怯みもせずに、そんな言葉が 口から滑り出ていた。
叶人の表情と、なによりも 放たれた 《一撃》に、三男の手は ぴたりと止まる。
「エル、左から……!」
「え……」
キ~ン
いち早く気が付いた二男が 叫び終わる前に、小気味いい音が その場に響き渡った。
叶人を 背後から襲った三男のアイスピックが、空高く舞い上がって 遠くへと消えていく。
「おぉ~ …… よく飛んでいくな。 あれでは、取りにいくことはできぬな、感心 感心」
のんびりと 感心しているのは、一人だけ ペースが崩れない 賢者だけ。
やったのは、当然 叶人でも ニコルでもない。
神がかり的な速さで、三男の左側から 攻め入った人物…… それは―――。
「…… ごめん、アリスちゃん。 ちょっとだけ――― 道草 食っちゃってたんだ~」
申し訳なさの カケラも見えない、へらへらと 笑う、赤い服の男。 来るか 来ないか、《賭け》のような存在だった、 問題の 人物。
「…… 来るのが 遅いわよ、兵士長」
「いやぁ~ つい、うっかりとね~」
…… 君のことを、《見殺し》にするところだったよ。
普通の女性なら、腰が砕けるほどの 《甘い視線》と、《魅惑的な声》だった。
殺気とは 異なる、壮絶な 《色気》。
言葉の内容を 聞いていなければ、叶人でも くらっときたかもしれない。
「やっぱり 君って、殺したいくらい 可愛いからさ~」
殺す時は―――― 誰かの、他人の手ではなくて。
「俺が…… この手で、殺してあげる」
熱烈な 《愛の告白》ならぬ、強烈な 《殺人予告》とは。
「アリスは…… 男運に 恵まれていないのだな」
お願いだから、しみじみと 言わないでほしい。
泣きたいほど、それは 自覚している 事実なのだから……。
なんだか、ニコルとの 会話ばかりが目立ってきている文章で すみません。ニコル氏は しゃべらせやすいので、ついつい 彼に逃げてしまう ダメな作者でございます。
やってしまったら変質者と同じ… という、カナトが文中で言っていた 行為、皆様は 想像できたでしょうか。昭和の時代には、多数 出没していたのです、そういった変態さんが。見せちゃ いけないよね。せめて、家の中で 鏡に向かってヤレよ… って話。まぁ、そういう趣味の人は、外でやらないと意味がないのでしょうが…。
さて、いろいろ ありつつも 戻ってきた兵士長。そして 次回のカナトは、ブタさん達の 内面へと迫る…… という予定です。 お楽しみに。




