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第八話

 青ちゃんは重症だった。

 血止めをしても痛々しい右腕の切断面から血があふれ、あっという間に布団は血の赤に染まってしまう。

 そして、酷い現実がぐさりと私の胸を突く。

 青ちゃんの右目は――もう二度と光を見ることが出来なくなってしまっていた。

 私も、こんなひどい怪我を診るのは初めてで、正しい処置が出来るか不安で仕方がなかった。手が震え、体が震え、目からは涙が零れ落ち。

 それでも、青ちゃんを救えるのは――救うことが出来るのは私だけだとわかっていたから。震える手に、体に、『私がしっかりしなきゃ』と何度も言い聞かせ、処置を施していった。――ただ、言い聞かせる声が震えていたのはしょうがない。




 何故、右腕がないのか。何故、右目がないのか。何故――青ちゃんがこんな傷を負ったのか。

 わからなかった。私には――わからない。

 いつもそう。私は何も知らない。私のしらないところですべては動いていく。私だけをとり残して。

「…………」

 なんとか一命を取り留めた青ちゃんは消え入りそうな、本当に小さな寝息を立てて眠っている。青ちゃんは今まで時折痛みの波に襲われ、声にならない声で叫びをあげていたからろくに睡眠もとっていなかったのだ。それは私も同じだけど――

 青ちゃんが悲鳴を上げるたびハチが隣の部屋から飛び出してきて青ちゃんの枕もとに座りこみ、私と一緒に身をよじる青ちゃんを抑え込む。傷口に触れてしまわないように、傷口が青ちゃんの体の下に入り込まないようにするために。

 そのたびにハチはとても傷ついたような、とてもつらそうな顔をして青ちゃんの名前を何度も何度もつぶやいていた。

 本当に……何があったの?

 疑問は抱いていたけれど、私は青ちゃんの傍を離れることはできなかったし、ハチは隣の部屋の隅で膝に顔を埋めていたから聞くこともできずにいた。

 もう、危険なところからは脱した。

 ここまで安定するまで、一体何度お天道様が昇ったのだろう――もう、それも分からない。ただ、今は夜らしい。雨の季節だというのに月が出ているのだろう、月明かりで部屋はとても明るかった。

「……っ」

 青ちゃんが小さく息を殺した。

 私は青ちゃんの枕もとに置いた桶から水に浸した手拭いを絞って取り出し、静かに青ちゃんの額に浮かんだ汗を拭き取る。

 その時、青ちゃんがそろりと左目を開いた。右目は――今は包帯が巻かれている。

 私は手を引っ込めて青ちゃんの顔を覗き込んだ。

 片目だけで私を一瞥するとまだ焦点が定まっていないのか、それとも記憶がないのか、青ちゃんは小さくつぶやく。

「……なんで、お前がいる?」

 私は言葉を探しながら言葉を紡いだ。

「ハチが、ハチがね、青ちゃんを助けてくれって……私の元に」

「……でこぱちは」

「隣の部屋にいるよ」

 それを聞くと青ちゃんはまた目を瞑り、そして息を吐くのと同時に言った。

「……なんで……」

「え?」

 私がその呟きに首をかしげた時には青ちゃんは眠りに落ちていた。

 ほう、と息をつき、胸をなでおろす。

 それに気がついたのかハチがそろりと襖をあけた。

「……青ちゃん、なんて言ったの?」

「ハチのこと。でこぱちは? だって」

「…………」

 ハチは微笑んだ私の顔に安心したのか張った肩を落とした。これで、いつものなで肩だ。

 私はもう一度青ちゃんの汗を拭き、桶の水に浸してしぼり、今度は額にそれを置いた。

「もう平気なのか、青は」

 ハチによって開けられた襖の隙間からジジ様の声が入ってきた。私は振り返り、頷く。

「もう、大丈夫。峠は越えたから――あとは青ちゃんの意識がはっきりとしてくれば、心配ないわ」

 私の言葉にハチが心配そうな声音で問う。

「青ちゃん……元気になるの? 前みたいに、笑ってくれる?」

 ハチの声は語尾が震えていた。また、不安の波が襲ってきたのだろう。私はもう一度、強く、頷いた。

「大丈夫。きっと……ううん。絶対に大丈夫。青ちゃんを、私を信じて」

 私の言葉にハチはこくりと頷いた。

 草庵に沈黙が流れる。月夜に音は無い。とても、とても静か。まるで、音が聞こえないかのようだった。

 その沈黙を破ったのは――

「デコ。一体何があった」

 ジジ様だった。

 鋭すぎる質問。ハチが苦しんで、悲しんでいる姿を一番肌で感じていたのはジジ様なのに……

 静寂がまた流れる。でも、一瞬だけだった。

「なんで青があんなんになった」

 酷く低い声でそう問うたジジ様にハチは一瞬びくりと肩を跳ねあがらせた。

 そして間もなくしてハチの背が少し丸くなり、小刻みに震える。私の位置からでもわかった。ハチは、きっと泣いている。

「……すんごく、すんごく強い奴と会って、青ちゃんとおれで、やっつけて……」

 つっかえながら、ハチは続ける。本当に、本当に小さな声で。

「青ちゃんは、青ちゃんはすごく、綺麗でカッコイイんだ。だから、おれ……」

 言葉を詰まらせたハチは、うつむいてしまった。

 ……いつものハチじゃない。嫌な予感が私の体を駆けあがる。胸が、ぎゅうっと締め付けられるようなとても嫌な感じ。

 そして、まるで息を吐くようにハチは言った。

「青ちゃんみたいになりたいって……思っちゃったんだ。そしたら『あいつ』が」

 腕で涙をぬぐうハチの言葉を聞き、私とジジ様はハチの肩越しに顔を見合わせる。

 ……青ちゃんのこの怪我は、ハチが……?

 ジジ様は煙草の燃えかすを囲炉裏の灰の中にトントンと落とした。その横顔は、感情のかけらもない顔。でも、目だけは何故か揺れていた。まるで、何かを思い出したかのように。

 けれど、その表情が窺えたのは一瞬のことで、ジジ様はすぐに表情を戻してしまった。そしてもう一度煙草をくわえるとハチに向き直る。

「おめぇが、やったのか」

「…………」

「……一つ教えてやる」

 ジジ様はそう言ってふーっと煙を吐き出した。

「二人の人間がいたら、いつか、離れ離れになっちまう。年の違い、身分の違い、男女の違い、強さの違い。別れの覚悟もねぇのにずぅっと一緒にいようなんざ思うな。人間は同じにはなれねぇ。結果、こうしておめぇは青を死なせかけてる。……仲のいい奴ほど――別れの覚悟をできてねぇ奴等ほどその別れは酷えもんだ」

「……何が言いたいの、ジジ様」

 ジジ様の言葉に、思わず眉を顰める。

「大切な人と一緒に居たいって思うのは当然のことでしょう? ……ジジ様は、青ちゃんとハチに『別れろ』っていうの?」

「そぉじゃあねえ」

「じゃあ何が違うって言うの?」

 ジジ様に次々と反論の言葉を口にする自分に驚いた。胸の中がまだざわついている。

「ヒトは、いつか死んでしまう。その命をどう使うかはその人自身にあるわ。 大切な人とずっと一緒に居たい。それは、無理なことじゃない。みんながみんな、『別れの覚悟』なんてするはずない。考えたくだってない。青ちゃんは死んでない。ハチも、青ちゃんを殺してなんてない。それに、ハチは青ちゃんのことを大切だと思っているから、ここに連れて来たんでしょう? ……大切な人の命が尽きてしまうのを、黙って見過ごすことが出来ないから」

「黙れ、きさら。おめぇが口出すことじゃあねぇんだよ」

「嫌。絶対に黙らない。だって、ジジ様の言葉を認めてしまったら、私は――一人になってしまうから……ジジ様とも、玖音とも、青ちゃんとも、ハチとも……一緒に居られないってことになってしまうから」

 私がそこまで言うと、不意に後ろから右手首をつかまれた。

 驚いて振り返ると、青ちゃんがうっすらと目を開けて私たちを見ていた。

 私の手首をつかんだその力は瀕死の傷を負った人だとは思えないほど強く、私は少し呻いてしまう。それでも、青ちゃんは気が付いていないのか離してくれない。

 そして、青ちゃんはジジ様を睨みつけるようにして言った。

「……あんたに何があったのかは、知らない……――けど、あんたと、お――……こいつらは違う……一緒にすんなよ……」

 そこまで言って青ちゃんは左腕に入れていた力を解放し、同時に私の右手首にも血が回ってきた。青ちゃんの顔を見ればまた眠りに落ちてしまったらしい。私はうっすらと手形の残る手首をす、とさすってから青ちゃんの腕を布団の中へ戻した。

 そして、もう一度ジジ様を振り返った。

「ジジ様。ジジ様は一体、どうしてヒトを避けるの? ヒトは、一人で生きていけないんだよ?」

「……言うようになったな、きさら」

 ジジ様はそう言って私たちを鼻で少し笑い、自分の部屋に引っ込んでしまった。




 青ちゃんの怪我は順調に良くなっていった。ただ、無くなってしまった右腕と右目の代わりになるものは無くて少し寂しそうな、辛そうな顔をする。それを見るのがどうしても悲しくて、苦しくて。でも、何もできない自分が悔しかった。

 青ちゃんは右利きだ。

 でも、右腕はもうない。

 きっと、これからの生活に支障ができ始める。

 それは、ハチも分かっているみたいで青ちゃんの手伝いをするようになった。――前よりたくさん。

 ハチを見るたび、青ちゃんが一瞬だけ目を反らす。意識が戻りだして間もないころは本当にひどかった。ほとんど無視も同然だ。

 それでもハチは負い目を感じているのだろう。どんなに無視をされても青ちゃんの傍を離れなかった。そのおかげか、今は右腕を失う前ほどではないけれど、だんだんと元に戻りつつある。私にとって、それが何よりの救いだった。

 

 

 

 そして、青ちゃんが回復するまで、たくさんのことがあった。

 羅刹族のヒトへの襲撃、政府から派遣されてきた羅刹狩り一味――烏組からすぐみ、そして、町奉行様のお名前。

 ――賽ノ地町奉行、『近松ちかまつ景元かげもと

 彼が、この地さいのちを急速に変えてくださっている。

 羅刹から人々を守り、そして羅刹狩りが羅刹を狩る。

 羅刹狩りのおかげか、しのびに回ってくる任務しごとは一気に減った。

 玖音くのんはと言うと町の人々があまり町から出ないように見張っているらしい。この任務しごとはもちろん奉行所絡みだ。

 けれど、草庵ここは変わらない。

 いつもと同じ、穏やかな時が流れてゆく。ただ、少しだけにぎやかになっただけ。

 ハチが、青ちゃんがいるから。

 私は命を奪ったことがある。でも、こうして命を救うこともできるんだ――

 そんな自分の力に驚きと嬉しさを感じていたからか。

 『あの夢』は見ていなかった。


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