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第五話

 酷く呼吸が苦しい。

 寒いわけではないのに体が震えていた。

 腕の中で玖音くのんが呻く。いつの間に出てきたのか、玖音の相棒――金次郎という鼠のようで鼠ではない、小さな忍動物にんどうぶつが玖音の首の布の上に立ち、心配そうに玖音の顔を覗き込んでいた。

「金次郎……」

「ちゅぅ……」

 雨に打たれ、左腕が痛む。――足元に血だまりが出来る。

 私がもっと強ければ。

 後悔だけが胸の中に巣食い、心が冷たく冷えていく。

 それでも医療の勘だけは鈍らなかった。

「金次郎。あの袋の中に包帯があるの。取ってきてくれる?」

「ちゅい!」

 私の声に金次郎は飛び出していく。そしてすぐに包帯が入った小さな包みを咥えてきた。

「ありがとう」

 金次郎からそれを受け取り、玖音の傷より上できつく縛りあげた。

 その際、玖音が痛みに顔をゆがませたのが目に入り、胸が痛む。金次郎も玖音の顔を見て辛そうな声を出す。

 玖音は、私が助けなくちゃ……!

「……あなたたち!」

 突然雨の中に響いた声に思わずびくりとする。

 声のした方へと視線を滑らせると、この雨の中、薄紅色うすべにいろの着物をまとった顔の見知った女性がいた。

 茜色の唐傘を差し、足早に私たちのもとへ駆けてくる。

「先生……」

 女性――彩乃あやの先生は私たちと、離れた位置に倒れている男を見てすぐに状況を理解したのか頷いた。

 そして玖音を私の腕から抱き上げる。

「ここからだと……町の方が近いわね。診療所に戻るわよ、きさら」

「……はい」

 私は今度は着物の袖を破り、左腕の止血をする。

 そして荷物を持って先にかけ出した先生を追った。

 男を振り返ることは、しなかった。

 



「もう、大丈夫。傷は深いけど、縫うまででもないわね」

「よかった……」

 玖音は、助かった。

 胸をなでおろし、布団の上に寝かされた玖音を見つめる。金次郎も隣で眠っているようだ。

 右肩の傷は痛々しく包帯が巻かれている。

 それでも玖音の顔色はさっきよりずいぶん回復したみたいだった。

 枕元に置いた桶で血を流し、手ぬぐいで汗を拭いた先生はす、っと私に視線を移した。

 貫くような視線に、なんだか落ち着かない。

「あの男、人斬りね?」

「……」

 ――図星。

 先生はなんでも分かってしまうんだ。

 私は膝の上に置いた拳をぐ、と握る。

「私がもっと強かったら、玖音がこんな怪我することなかったんです。私が弱いから――」

 先生は私の言葉を遮るようにふ、と息を漏らした。

 古びた診療所の屋根を強く叩く雨音に消えてしまいそうなほど本当に小さな吐息。

「貴女は本当に強くなりたいの?」

「え?」

「本当に強さを求めているのかって聞いてるの」

 先生の言葉の意味がわからない。

「どういう……意味ですか?」

「強さは」

 そこで切って先生は私の方へ体を向けた。

 私も先生の方へ体を向ける。

 雨の所為かな。先生が用意してくれた澄んだ空色の新しい着物が妙に重く感じる。

「貴女が求めているのは守る強さじゃない。誰かを傷つける強さだわ」

「! ……どうして、そう、思うんですか?」

 息が苦しい。喉が痛い。途切れ途切れに絞り出した声は震えていた。

 その震えが怒りからなのか、恐怖からなのか、悲しみからなのか。

 私には、わからない。

 私の問いに先生は軽く目を伏せる。

「さっきの言葉。貴女のさっきの言葉は、自分と、あいてに向かって放った言葉じゃないかしら? 少なくとも私にはそう聞こえたわ」

「……」

 言葉に詰まる。

 そう、なのかもしれない。

 さっきの言葉は忍としてヒトを殺せない私の弱さと玖音を傷つけたあの男への怒りからの言葉。

 ――どうして先生はこんなにもわかってしまうのだろう。

 私自身わからないところまでまるで見透かしているようだ。

 先生、本当はお天道様の使いなの?

 先生は続けた。

「貴女に強さは必要ないんじゃない? 貴女にはとっくの昔にその強さ――守る強さを持ってるじゃない」

「え?」

「医療の心得よ」

 先生は表情を緩めて言う。

 医療。先生から教えてもらった、私が皆にしてあげられる最低限のもの。

 私は首をかしげる。

「医療が、守る強さですか?」

 先生は頷いた。

「そう。傷つけもしない、戦いも望まない。傷ついた人を癒すのが生業なりわいのもの。貴女は理解しているはずよ? 怒りで、恐怖で体が震えても医療の勘だけは鈍らなかったんじゃないの? そうでなければ、止血なんてできたもんじゃないわ。そんな貴女が、どうして強さを求めるの?」

 諭すような言葉には棘は無い。でも穏やかであり、厳しかった。

 先生から視線を外し、少し目を伏せながら抑揚のない声で呟く。

「私は――命を奪うことがまだ怖いです。ヒトは、特に……一番怖いのは、あやかしでも羅刹でも夜叉でもない――ヒトなのに。その一番怖いものを倒せないんです。私は、忍だから」

「だから強さが欲しいの? 殺すことが目的で?」

「!」

 私の言葉を遮って言った先生の言葉に息を呑み、押し黙った。

 部屋には玖音の穏やかな寝息と雨音だけが聞こえる。

 その中で先生は玖音の布団を掛けなおしながら続けた。

「貴女は玖音やほかの忍と比べて、とても未熟だわ。忍の守る強さは戦うことと教わったはずでしょう? 『自分と仲間、主の為に戦え』。違うかしら? けれど貴女は忍びとしての術を磨くより医術を選んだ。どうして?」

「……誰かが傷つくのを見るのが嫌で、私が救えたらって……私は、忍としての仕事が出来ないから」

「そうでしょう? ――そう言って貴女は私の元に来たんですものね」

 わかっていて、問うた。

 先生は、私に確認させるために――?

「その時すでに貴女は殺すことはできないのよ。医術は救うのが生業。その反対のことはできない。……いいえ、医療の心得がさせない。強さが欲しいのなら、自分の身を守るだけの強さにしなさい。他の人を守れるほどの強さを貴女は扱えない」

 きっぱりと、先生は言い切った。

 その目に強い意志の色が見えて、私は思わず目を反らしてしまった。

 昨日までなら――ううん、あの男とさえ出会わなければ私はこのまっすぐな視線をきっと受け止められていたのに。

 そう思うと胸が締め付けられるようだった。

 先生はその強い瞳を少し伏せながら、顎に右人差し指を当てた。

「……例えを言いましょうか。そうね……竹刀を扱うのに物凄く長けた人がいたとしましょう。あくまで竹刀よ? 刀ではないわ。その人が『あやかしが出たから手伝ってくれ』って言われて集団で退治に行ったとする。退治に行くのだから武器は刀よね? ――たとえ竹刀を巧みに扱う人でもね、慣れない武器で敵を倒そうなんてしたら、敵だけじゃない、自分も仲間も傷つけて、下手をすれば殺してしまうかもしれない」

 そう言って先生は少し怖い顔をした。

 先生はすごく美人だから、怖い顔をしていても全然怖くはない。

 けれど、その顔が、言葉が頭から離れない。


 ――敵だけじゃない、自分も仲間も傷つけて、下手をすれば殺してしまうかもしれない。


 その言葉が頭の中に反芻する。

 それが、私が求めている、力……?

「貴女は強さを手に入れている。その強さを信じなさい。……貴女は優しい。誰かを救う――救いたいと思う、貴女の優しさが、貴女らしさであり、貴女の強さなのよ」

 ふと玖音の言葉が頭をよぎった。


 ――あんたが優しくなかったらあんたらしくない、か


 ああ。

 玖音も先生も、私のことをわかっていて言ってくれているんだ。

 もし。

 もし、私が求めている力が先生の言うとおり『傷つける強さ』なら。

 ――私は、欲しくない。いらない。

「これは私の勝手な考えかもしれないわ。でも、貴女にはどうしてもわかってほしいの」

 先生の穏やかな声に私は先生をまっすぐに見つめた。見つめることが出来た。

 外は雨がやみ始めているのだろう。雨音が小さく響いている。

「私に、出来るでしょうか?」

「大丈夫。貴女は私の弟子ですもの」

 先生はそう言ってやっと笑ってくれた。

 その笑顔に心の中に巣食っていた悪いものがほろほろと崩れていく。

 先生は桶を抱えて立ち上がると私の肩を軽くたたいて土間に戻って行ってしまった。

 私はその先生の背中を追い、壁に阻まれて見えなくなってから玖音の枕もとに移動した。

「……玖音。ごめんね。私、強くなる。もっと、医術を学んで、きっと助けになるから……」

 眠っている玖音に向けて言った言葉は、自分でも驚くくらい優しい響きだった。

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