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第四話

 青ちゃんたちと別れて二日。

 今日は朝から雨が降り、空気がしっとりと重く、唐傘で雨を防いでいるのに着物が重い気がする。

 そんな中、私は玖音くのんと町に買い出しに出ていた。

 町に行く途中、賀茂川かもがわが目の端に映った。

 この賽ノ地さいのちに流れる賀茂川にはよくヒトの亡骸が浮いている。

 おそらく、この辺りで争いあっている盗賊の人たちなのだろう、身なりは町人のそれはと違っていた。

 だからなのかもしれないが町までいかないと魚などのものは手に入らない。

 ――もっとも、新鮮ではないことは確かなのだけれど。

 でも最近賽ノ地に来た奉公様がなんでもすごい人らしくて、町は確実に安泰へと向かっている気がする。――気がするだけで、実際はそんなに変わっていないのかもしれないけれど。

 いつもの忍び装束ではなく、瓶覗色かめのぞきいろの着物を着ている玖音は少し歩きづらそう。おまけにこの雨。慣れない服装で歩くのは大変だと思うけど、忍び装束のまま町に行くのは任務しごと以外では危険。他の忍に狙われる。

 私たちは政府のお抱えの忍とは違う。雇われればなんでもする、よろづ屋のような忍だ。

 そして、江戸ではもう賽ノ地さいのちの忍は必要なくなったらしい。

 なんでも、『羅刹狩り』がやっと江戸に復帰したとか。

 ――今まで、一体どこで羅刹たちを狩っていたのだろう。

 そんなことを考えながら、私は少しめんどくさそうな顔をしてある玖音を気遣わしげに見た。

 そんな私の心を見抜いたように玖音は唇を尖らせた。

「別に、歩きづらくなんてないんだからね。ちょっと慣れないから……」

「わかってるわ」

 くすくすと笑いながら私は目の前に見えてきた町をまっすぐに見つめた。




 町まで来ると人気ひとけは少し増える。

 でも、いつもよりも人が少ないのは雨の所為ばかりではないらしい。

 なんだか様子がおかしい。出歩く人たちの足は、みな奉公所がある方向に進んでる。

 ふと地面に目を落とすと、地面に引かれた赤い線を見て眉を顰めた。

 雨でだいぶ薄くなってはいるが、たぶん、これは『血』。しかもよく見ればいたるところに飛び散っている。

「町で揉め事なんて珍しくもないけど……今日はなんだか変な感じね。出歩いてるヒトもなんだか逃げているような……」

「うん。早く用事を済ませよう? ――なんだか、嫌な感じがする」

 唐傘の下で私たちは頷きあい、なるべく肩を寄せながら、周りに注意を払いながら急ぎ足で町の大通りを歩いた。

 その時、路地裏に鮮やかな赤とこれまた鮮やかな向日葵ひまわり色を見た気がしたが、そのまま通り過ぎた。




 町にいる先生の下で包帯や医療用の道具を分けてもらい、お店で食料を調達した。

 買い込んだ荷物を抱え、片手で唐傘を持った私と玖音は少し逃げるように町を出た。

 先生の話によると、なんでも奉公所によって捕まった人斬りが脱走し、また悪事を働いているらしい。

 しかもその人斬りは一度に何人ものの人を殺し、その血を浴びることに快感を覚えるという、いわゆる『変態』だそうだ。

 ――先生の言う変態はたくさんあって、私にはどれがどれだかよくわからなくなってきているのだけれど。

 私は雨で色を失った町を思い出して呟いた。

「やっぱり、奉公様が変わっても、賽ノ地ここは変わらないのね……」

 そうね、と玖音も目を伏せる。

 町から離れ、いつもの荒れ野原を歩いていた。町を離れれば、さすがに人斬りの心配はないだろう。

 いつもなら風に舞う葉の数のごとく喧嘩を売ってくる盗賊の人たちも雨のおかげで出てこなかった。

 まだ昼間のはずなのに、光が差さない所為せいかどんよりと暗い。

 しかも、強い雨の所為で周りの音が聞こえないと共に、視界までもかすんでよく見えない。

 ここで何かに背後から襲われたら――


 そう考えた刹那、悪い予感が当たった。


「?!」

 背後から殺気。

 しかも、おぞましいくらい強い殺気だ。

 私たちは唐傘を捨て、反射的に懐の苦無くないを握る。

 振り返れば、足取りがおぼつかない大男が血で濡れた刀を握り、私たちを狂気の色を秘めた目で見つめていた。

 この雨の中だというのに、何故刀の血が流されないの?

 私は不審に思い、目を凝らす。

 見れば、刀自身が血を流していると錯覚するようなおぞましい猩々緋色しょうじょうひいろの刀だった。

「こいつ、人斬り――!」

 玖音の眉が跳ね上がり、攻撃の態勢に入る。

 玖音は忍らしい、速さを重視した接近戦を得意とする。相手が動く前に完璧に仕留める。先手必勝な戦い方だ。

 私が動くよりも早く、玖音は男に突っ込んでいった。

 もちろん、玖音が何の考えもなしに突っ込むなんてことはしない。一気に距離を詰め、姿をかき消す。実際には距離を詰めれば敵の視界が狭まる。それを利用して後ろに回り込むのが狙い。

 刹那、男の口元に狂った笑みが浮かぶ。

 男はものすごい速さで刀を薙いだ。あまりの速さに、流石の玖音の対応できず、苦無で何とか受け止めて、弾かれた。

「きゃあっ?!」

 私の足元まで転がり、玖音は呻く。

 私はゆらりゆらりと近づいてくる男をき、と睨み、構えた。

 突っ込んでこられる前に、私から仕掛ける。

 足を少し開き、左手に手裏剣を挟んで男に向かって投げつける。

 狙いは足。

 歩けなくなれば、私たちを襲ってくることはない。そう思ったからだ。

 だが、やはりこの男は目にもとまらぬ速さで飛んで行った手裏剣を刀でたたき落としてしまった。

「血が……血が欲しい!」

 狂ったように叫んだ男は地面を蹴り、玖音よりも速く私たちに詰め寄って刀を振り上げる。

 心臓がどくり、と鳴った。

 男の動きがとても遅く見える。何もかもが遅い。

 私は咄嗟に右手の苦無を投げつけていた。

「がぁ?!」

 男は一歩後ずさり、苦無の刺さった左足を見つめる。そこから流れ出した鮮血に男は自らの手を当て、また笑った。

 その間に玖音を半ば引きずるようにして男から距離をとる。雨の所為で着物が、髪が濡れ、重たい。

「血だ。血だぁ……」

 男は血で濡れた手を嬉しそうに見つめる。

 怖い。

 直感的にそう感じた。

「あ、あいつ、狂ってる! あんなの、ヒトじゃないわ!」

 よろよろと立ち上がりながら玖音は苦無を構えなおした。

 私も最後の苦無を懐から取り出し、男を一瞥する。

 この人は、確実に私たちを殺そうとしている。

 しかもあの速さ。逃げ切るのは不可能。背を向けた瞬間、背を斬られてしまうだろう。

 今までも何度か『死』を感じたことはある。けれど、いつもどこかでそんなことはない、大丈夫、と安堵していた。

 じゃあ、私たちはこの男を倒さなければいけないの? 倒すということは――

 ――避けることはできなかったのだろうか。

 この男が私たちをつけているともっと早く気づいていれば……

 いまさら後悔したってもう遅い。改めて、この地の摂理を思い知らされる。

「玖音……」

「……腹、括んなさい、きさら。本気で行かないと、こっちがられるわ」

 低く、静かな声で玖音は言った。

 自然と体が構える。

 私たちが戦闘態勢に入ったのを感じたのか、男はこの雨の中でもわかるくらい嫌そうな顔をした。

 そしてまたゆらりと刀を構える。

「おとなしく……死ねぇぇ!!」

 狂った男の声が、激しい雨音の間を貫くように耳に刺さった。

 その刹那、空気をも斬る速さで突っ込んできた男は私たちの体を斬り裂かんと刀を横薙ぎにした。

 それを私は右に、玖音は左に回避する。

 回避した場所から玖音が手裏剣を放った。手裏剣は正確に飛び、男の右足に深々と刺さる。

「ぐぅ……!」

 左足と右足。両方の足に深い刺し傷を負っているのにこの男はまだ立っている。

 男が歩くたび、傷口から血が流れ、男の着物の色を変えてゆくのに。

 ――この人が歩くことをやめてくれれば、私たちを追うことをやめれば、正気に戻れば。

 雨の中で動く男と玖音の姿を捕らえる。

 握りしめた苦無が、カタカタと震えている。

 その震えを抑え込むように私はさらに強く苦無を握り、男との間合いを詰める。

 それを見た玖音が男の注意を自分へ向けようと飛び上がった。

 男の視線は玖音の姿を追う。

 その隙を狙って素早く男の背後に入り込み、その背を深々と斬り裂いた。

「がぁっ?!」

 肉を断つ感覚。苦無を伝ったそれは全身をしびれさせた。

 途端、男の背から血があふれ出る。

 でも、この傷ではまだ致命傷では――

 玖音もたたみかけるように苦無を男の頭上から放った。

 苦無は男の首に刺さる。

 私は男から距離を置き、玖音も器用に着地すると飛びのいて私の隣に来た。

「終った……?」

 肩で荒い息をしながら、私は血で濡れた苦無を握る手をだらりとおろした。

 玖音も手裏剣を懐にしまいこんで、呼吸を整えるように大きく深呼吸した。

 男を見れば、立ち尽くし、その足元には血だまりが出来てゆく。雨が降っているが、男から吐き出される血の量は雨では流しきれない。

 あの怪我では、助からない。

 背に重傷、首に刺さった苦無で神経がやられているだろう。

 立っていられるのも時間の問題――

「大丈夫、きさら」

「え?」

 玖音は私の男を見る視線を遮るようにその間に立った。

 そして、気遣わしげな声と瞳で問う。

「その、あんた――」

 だが玖音の言葉は続かなかった。

 目の前が、赤に染まった。

 瓶覗かめのぞき色の着物が翻った。

 時が、止まった。

 玖音の右肩を裂き、私の左腕をかすっていったものは、あの男の、猩々緋しょうじょうひ色の刀。

 驚いて動けなくなった玖音の肩越しに見たのは、片膝をつきながらもにやりとこちらを狂気の目で見つめる男の姿だった。

 玖音が膝から折れるように倒れこむ。

 私は玖音の体が地面にたたきつけられる前に玖音を支えた。

「玖音! 玖音っ! しっかりして!」

 玖音の右肩の傷は深い。でも、止血すれば――

 狂った男は狂気を含んだ視線を私たちに送りつけたままその場に崩れた。

 それから、ピクリとも動かなくなる。

 

 ――私から、大切な人を奪っていかないで……

 

 動かなくなった男を睨みつけ、私は玖音を見つめた。

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