第二話
玖音が任務から帰ってきてから三日が過ぎ、私はきれてしまった薬草を取りに行っていた。
今日は朝から曇天で、もうすぐ日が暮れるというのに晴れる兆しはなかった。
今にも雨が降り出しそうな空に、思わず、ため息が漏れる。
降り出す前に帰らなくては。
急ぎ足で草庵への帰り路を歩いていた。
私が自分の背丈よりずっと高い草が生い茂っている荒れ野原を籠を背に歩いていると、
「ガキがいたぞ!」
急に怒声が響き渡った。
その声と同時に私の行く手を遮るように男の人たちが現れる。その手にはきらりと鋭く光る刀。
え? ガキって私のこと?
思わずあたりを見渡して見るけれど、私のほかに、子供らしき人影はない。
「へへ。ガキ相手なら俺達でも倒せるよなぁ!」
狂ったように声を上げる、ずいぶんと太った男の人。
「散々他の盗賊どもに負けてたからな。思う存分、殺っちまおうぜ」
そう、静かに言う細身で背の高い男の人。
そして、さっきの怒声の人が私に切っ先を向けてにやりと笑った。
「怨まねぇでくれや。俺たちに遭っちまった自分を呪いな!」
「!」
任務の最中なのに……!
こんな人たちに絡まれたのは一度や二度じゃない。でも、三人を一人で相手するのは初めて。
どうしよう……!
私は懐に忍ばせている苦無を右手で握りしめて左手には手裏剣を三枚ほど掴んだ。
「こいつ、忍かよ?!」
私の武器を見て震えあがった太い男の人。
「はっ! 忍っつってもガキに変わりはねぇ。行くぞ!」
「ガキガキって……!」
確かに顔は幼いし、外見は子供だけど……!これでも玖音よりは胸だってあるのに!
そんなことは知らないであろうこの人達に思わず毒づく。
「大人しく死になっ!」
太い男の人と細い男の人が一気に詰めよってきた。二人を回避するのはきっとできない。
私は飛び上がって、二人の頭上から手裏剣二枚を投げつけた。
私の手から放たれた手裏剣は鋭く回転しながら二人の体を目掛けて飛んでゆく。
「ぎゃっ?!」
「ぐぅ!」
着地した場所の後ろからそんな悲鳴が聞こえてきた。
うまく当たったみたい。
「このクソガキがぁ!」
この三人の中でたぶん一番強い人が着地した私に向かって駆けてくる。
速い。
流石は大人の男の人。私も忍とはいえまだ子供。たぶん、この人よりはまだ遅いはず。
私は振り下ろされた刀を低い姿勢のまま、左に避けた。
避けるついでに苦無で相手の脛を深々と斬ってやった。
肉を斬り裂く感触が、苦無を通して私に伝わってくる。
やっぱり、慣れない。
その感触が腕まで伝ってきて、私は思わず顔をしかめた。
そして、避けたところから飛びのこうと足に力を入れる。
だが。
「きゃっ?!」
何かに躓き、転んでしまった。
苦無が手から離れ、どこかへ行ってしまう。
「ここで死ねぇ!」
その声にハッとして顔を上げた時にはもう遅い。
細い男の人が私の心臓目掛けて刀を槍のように突いてきた。
足が震えて動かない。
目の前が真っ白になって何も見えなかった。
でも。
「……?」
痛みがいつまでたっても襲ってこない。心臓を突かれると、痛みって来ないで死んでしまうの? そんなの聞いたことがない。
そろりと目を開けてみると鮮やかな緋色の着物が目の前にあった。
「ガキ一人に大の大人が三人がかりで襲って……恥ずかしくないのかよ、お前ら」
まだ声変わりのしていない、男の子の声。
顔をあげて私より背丈の高い男の子の顔を見ようとした。でも、私を背にかばうようにしているから、彼の顔は窺えない。わかったのはとても綺麗な青い髪を持つ、私と同じ年くらいの男の子だということ。
「そうそう! 女の子をいじめんのは、卑怯者がすることなんだぞっ!」
緋色の着物の男の子の前から声が聞こえてきた。そしてひょい、と緋色の着物の男の子の後ろに座りこんでいる私の顔を見る。
声の主はどこかまだ幼い感じの男の子。緋色の着物の男の子よりも背丈が小さい。たぶん、私よりちょっと小さいんだと思う。
風になびく飴色の髪に、眉よりちょっと上で切られた前髪のせいで、幼く見えるんだ。
しかも着物は鮮やかな向日葵色に、赤い綺麗な花の模様。
この二人……すごく目立つ。誰なのかな。
腰が抜けてしまって立ち上がれない。
「あ、あの」
「でこぱち、あとの二人殺ってこい」
「はぁい!」
私の声は完全に無視して緋色の着物の男の子が向日葵色の着物の男の子にそう言った。
しかも、でこぱち?
でこぱち、と呼ばれた男の子はその小さな体には物凄く不似合いな長刀を振り上げて、私の手裏剣が腕に刺さって呻いている太った人と、脛を斬られて蹲っている男の人に向かっていった。
その鮮やかな刀さばきに目をとられ、でこぱちくんを見ていると、緋色の着物の男の子が私の前に立って、視線を遮った。
「見るな」
酷く静かな声。そして、次の瞬間、肉が切れるあの音と共に男の人たちの悲鳴が聞こえてきて、私は思わず目を見開いた。
静かになった荒れ野原で私たちは二人に向き直った。
「ありがとう、助けてくれて」
「うんっ! 女の子襲ってるやつら、許せなくってさ!」
お礼を言う私ににかっと笑って見せた、でこぱちくん。
あの男の人三人はこの二人によって死んでしまったらしい。
すごく強いんだ、この二人。
私はちらりと緋色の着物の男の子を見る。
緋色の着物の男の子はなんだかめんどくさそうに木によりかかって私たちの様子を見つめていた。
「私、きさらって名なの。あなたは?」
「おれ、耶八っ! あっちは青ちゃん!」
「青ちゃん?」
色の名前の男の子?
私は『青ちゃん』と呼ばれた男の子を見つめた。
『青ちゃん』は「余計なことを……」と呟いてため息をついている。
耶八くんは不思議そうな顔をして私に尋ねてきた。
「ねぇねぇ、きさらはどうしてこんな場所に一人でいたの?」
「薬草を取りに行った帰りだったの。私の家、すぐ傍にあって――そうだ。よかったらうちに来ない? お礼がしたいし、ご飯でも食べて行って?」
そう言った私に耶八くんは目を輝かせて私の顔を覗き込む。
「ほんと? ――ねえ青ちゃん! きさらがご飯食べさせてくれるって!」
青ちゃんは一瞬驚いたように目をぱちぱちさせ、そしてすぐに表情を引き締めると静かに言った。
「礼を言われるようなことはしていない。第一、俺たちは人殺しだぞ? お前のことだって殺すかもしれない」
人殺し――そうなのかもしれない。
でも、私が二人に助けられたのは事実。それに――
「私だって忍だよ? 命を奪ったことだって、あるわ。それに、本当に悪い人殺しは、殺されようとしてる人を助けたりしないし、ましてや『殺す』だなんて宣言しないでしょう?」
そう、きっぱりと言った。
私は実際、ヒトの命を奪ったことはない。でも、あやかしなんかは任務で討伐したことがある。
ヒトでなくても、同じ命があるもの。重さは同じだから。
罪の重さも、同じはず。
青ちゃんは私の言葉に眉を顰めた。けれどすぐにその眉尻を下げて、はぁ、と大きな溜息を吐く。
まるで、これ以上言いあう方がめんどくさいかのように。
「わかった。家はどこだ」
私たちの方に歩きだしながら右手で頭をかく青ちゃん。赤くて綺麗な目が、少しだけ伏せられている。
青ちゃんの言葉に耶八くんは飛び跳ねて喜んだ。
「やったぁ! 久しぶりのあったかいご飯だっ」
「そうなの? あ、あんまり期待はしないでね? 豪華なものは出せないから」
私は慌ててそう言うが、耶八くんは気にしてないみたい。
そんなにお腹すいてるんだ。
「そりゃあ孫が世話になったようじゃな」
「別に大したことはしてないッスよ」
草庵に着くころにはすっかり夜になってしまって、私は初めて四人分の夕食を作った。
畑の野菜はたくさんあるから、なくなることは多分ないんだろうけど。
温かいご飯を頬張っていたハチ――耶八くんをそう呼ぶことにした。なんか、犬みたいだし――は、ふと何かに気がついた家の中を首をめぐらせて見渡し、私を見て首をかしげた。
「ねえ、きさら。きさらにはお母さんとお父さんいないの?」
「え?」
突然の問いに気の抜けた声が出た。
「おっまえは……」
青ちゃんがそう眉間にしわを寄せてハチの頭をぐりぐりと押す。
ハチは自分が何か悪い事でもしたのだろうか、と不安そうに青ちゃんを見上げた。
そんなハチを見て、青ちゃんは諦めたかのように溜息をつく。
「悪い。こいつは頭が足りないんだ」
「え、あぁ大丈夫。そうよね、やっぱり、不思議だよね……」
最後はもごもごと口の中で喋ってしまった。別に、気に留めるほどのことでもないけど、改めて人から言われると、なにか変な感じ。
そのままなんだか重い空気が部屋を包みこんでしまった。
誰も、何も話さない。
ハチはその空気に耐えられないのか、それともほんとに気にしていないのか、そのままご飯を食べ続けている。
青ちゃんは目を伏せるとガシガシと頭を掻いた。その顔に「めんどくさい」と書いてある。
その上ジジ様は先ほどから黙りこくっているため、なんだか私だけが気まずいままでいた。
「父様と母様、かぁ」
夕食を摂り終え、私は布団に入っていた。
隣の部屋には青ちゃんとハチがジジ様と一緒に寝ている。
なぜ二人がまだいるのかと言うと、ジジ様が出て行こうとする二人を引き留めたからだ。
『今日は満月。鬼が出るかもしれねぇ』
とか言っていたような気もする。
ぼんやりと天井を見つめながら、父と母の面影を探す。
だが、見つけることはできない。
物心ついたときにはすでにジジ様が私の唯一の家族だった。
だから、父も母も、覚えていない。
もちろん、私がどこで生まれ、どこで幼い日々を過ごしたのかも知らない。
ジジ様に問うても教えてくれない。
『おめぇは俺の孫だ』
答えはいつも、同じだった。
そして、気になるのはあの夢。
最近、あれは夢ではなく記憶なのでは、と思う。
けれど、あの景色がどこで、一体どんなことが起きていたのか……何度見ても理解しがたいものだった。
「……」
どんなに記憶をたどっても、この草庵で過ごした日々でぷつりと切れている。
それから前の記憶は、思い出せない。
部屋に降り注ぐ月明かりの中、私は静かに重い瞼を閉じた。