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第一話 

 熱い、熱い。

 目の前を揺れるのは恐ろしいほど鮮やかな緋色。

 この緋色はなんだろう。

 怖い、冷たい。

 手を染めるは猩々緋しょうじょうひ

 この猩々緋はなんだろう。どうしてこんなに冷たいの?どうしてこんなに怖いの――?

 足元に転がるこのヒト達は誰だろう? あの逃げていくあの黒い人たちは誰だろう?

「きさら――」

 そう、私の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。




「……」

 また、同じ夢。

 何もかもが赤とさまざまな感覚で染め上げられた、怖い夢。

 夢であることは確かなのに、妙に体が敏感に感じ取る恐怖はなんなのだろう……

 それを確かめる術を私は知らない。

 ジジ様が知らないことを知るのは十二の私には難しい。

 私が床から抜け出すと、

「またあの夢を見たのか?」

 ジジ様がすぅ、と部屋の襖を開いてそう覗き込んだ。私は小さく頷く。

「うん。でも……大丈夫。もう、慣れたから」

「そうか」

 ジジ様は感情を入れずにそういうと、縁側の戸を開放する。

 爽やかな風が、私の髪を揺らした。

 気持ちいい。

 私はぐ、と背伸びをしてから朝食を作るべく台所へと向かった。 



 温かな昼下がり。あの夢のことなんてすっかり忘れて私は裏の畑にいた。

 ジジ様が植えた野菜。世話をするのは私の仕事だから。

 井戸から汲んだ水を撒いているとたたた、と軽快な足音が聞こえてきた。

「きさらー!」

 その声のする方に目を向けると懐かしい、濃い紺青色の忍び装束。

「玖音! 久しぶりだね!」

 一月ひとつきほど前に任務に出た、私の親友、玖音。

 任務、無事に終わったんだ。

 玖音は私の前に立つと微笑んで、はい、と小袋を手渡してくれた。

「はい、これ御土産ね」

「ありがとう。あと、お疲れ様。どうだった? 江戸の方は」

 私がそう問うと玖音は少しばかり眉を顰めた。

「どうもこうもないわ。江戸なんて最悪な場所よ。此処なんかより、ずっとね」

 はっきりとした言葉。

 江戸が最悪な場所? 江戸は、北倶盧洲ほっくるしゅうの中央なのに?

 私の表情を見てとった玖音はため息をついてその理由をつらつらと話し始めた。

「知ってるでしょうけど、今回の任務は江戸の政府お抱えだったわ。あたし達、忍を使う政府の任務なんてたかが知れてる」

「――暗殺……よね」

 その言葉を口にした途端、胸の奥が痛くなった。

 やはり、その響きはどこかおぞましさを秘めている。

 玖音は眉を顰めたまま続ける。

「そう。今回は――羅刹だったの」

「?!」

 声が出ない。何か言おうと口を動かしたけれどそれはぱくぱくと動くだけ。

 政府に危険をもたらす『ヒト』の暗殺なら、何度か玖音から聞いたことがある。私はジジ様から「暗殺の仕事は受けるな」って言われてるから受け持ったことはない。

 でも、忍に『羅刹』の暗殺をさせるなんて聞いたことがない。

 そんな私に玖音は困ったように笑った。

「江戸の政府の奴らはほんとに卑劣なやつばっかり。忍なんてたくさんいるから何人死んでも痛くないのよ。それに、あたしたちみたいな辺境の忍は特にね」

「玖音……!」

 私は胸の中にひしひしと募っていった感情を抑えきれず思わず玖音に抱きついた。

 私の突然の行動に驚いた玖音は一歩後ずさり、目を泳がせる。

 玖音の胸で私はぎゅ、と目を瞑った。

「よかった……! 無事で……!」

「あ、当たり前でしょ?! あたしが死ぬはずないじゃない!」

 大切な人が死んでしまうのは――やはりつらい。

 大切な人を失ったことなんてないけど、でも、命を失うことって、とても怖い。

 玖音はやんわりと私を押し返して、泣きそうな顔で微笑んで見せた。

「でも、一緒に行った何人かは――死んじゃったけど」

 私は玖音のようにたくさんの仕事を受けていない。だから、忍の仲間も少ないけど、玖音は違う。きっと、親しい忍もいたんだ。

 私は我慢できずについに泣いてしまった。私が泣いたって、失った命が戻るわけじゃないけれど――涙が止まらなかった。

「きさらっ……アンタが泣くことじゃないでしょ……?」

 震える声で玖音がそう小さく言ったのが聞こえる。

 玖音は我慢してるのに。辛いのは、玖音の方なのに。

 あふれる涙はとどまることを知らず、流れ続けた。

 いつまでも草庵に戻らない私を気にかけたジジ様が畑にやってきて、私たち二人をなだめるころにはもうお互い目は真っ赤に腫れあがり、見られるものじゃなくなっていた。




 さんざん愚痴を言った玖音はなんだか少し元気になったみたい。

 帰り際に見せた笑顔で、そう思った。

 すっかり日が暮れ、空に星が輝いている。

 夕食を済ませた頃にじじ様が呟いた。

「羅刹族と乱闘か……」

 ふぅ、と煙草の煙を吐き出してジジ様はしわの寄った顔にますますしわを寄せる。

「きさら、お前は見たことがないだろうが、この賽ノ地さいのちには羅刹族がたぁんと現れるときがある」

「そうなの? でも、どうして?」

 ジジ様の向かい側に座り、首をかしげる。

 そんな私にジジ様はため息交じりに、

「ヒトを襲うためだ」

 と、淡々と告げた。

 さぁ、と血の気が引くのを感じる。

 夜でも暖かい季節なのに、妙に寒い。私は思わず腕をさすった。

 どくどくと、心臓がうるさくて、まるで耳元にあるみたい。

「いいかきさら。よく聞け」

「はい……」

「お前は忍だ。玖音のように羅刹族と戦わねばならない時がいずれ来る」

「……」

 じじ様の言葉に、黙り込む。でも、ジジ様は気にも留めず、続けた。

「だがこれだけは忘れるな。――一人では戦うな。一人の時に出会ったら、死を覚悟しろ」

「……はい」

 小さいけど、しっかりと返事をした。

 そろり、とジジ様の顔を見たが、ジジ様の顔から感情を知ることはできなかった。




 すっかり夜も更け、闇が辺りを包んでいる。

 今、何時だろう。

 時間を計るもの――月が見えないから、知る術がない。

 でも、ジジ様はもう鼾をかいて寝ている。ジジ様の時間は正確だから、たぶん、子の中刻?

 私は欠伸を噛みしめながら医療についてつづられている書に目を通した。

 ときどきこの辺りには盗賊達が現れて、襲われることがある。いつも玖音と一緒だから二人で相手をしているが、怪我をすることももちろんあった。

 だから忍、と言ってもほとんど仕事を受けない私は、何か役に立てることがしたくて、医療を学ぶことにした。

 二年程前――まだ私が十くらいの時か。懐かしい。

 町の先生からの教えもあって今では軽い打撲から大きな切り傷まで治療できるようになった。

 だから、ある程度の怪我なら、心配はない。

 でも病気に関しては全く知らないことが多い。病気は怪我と違って体の中のもの。軽い風邪なんかは薬草で何とかなるけれど、流行り病は手の施しようがないのが事実。

 賽ノ地さいのちで流行り病が出たなんて聞いたことはないけれど、知っていて損はないから。

 それで、ジジ様や玖音を助けることが出来るなら、苦じゃないもの。

 私は一通り書に目を通してから布団にもぐりこんだ。


 流石にもう瞼が重い。

 私は目を閉じた。


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