おわりそしてはじまり
「四年前」
「あ?」
洗濯物を畳みながら呟いた私に、煙草の煙をふかしながらジジ様が答えた。
煙が縁側に出るのを見て、溜息を吐く。
「もう、ジジ様煙草、少しは控えて?」
「いいだろぃ。年寄りから楽しみを奪うな。――四年前がどうした?」
ジジ様に問われ、私は残り少ない洗濯物に手を伸ばして呟いた。
「四年前に、青ちゃんとハチが現れて。あの時、青ちゃんとハチがいなかったら、私はどうなっていたんだろうなって」
「……さぁな」
縁側から風が吹く。まだ風は暖かい、春の風だ。
朝早く目覚めてしまったから、少し眠い。でも、今日はなんだか気分がいい。……少しだけ、嫌な予感がするけれど、『あの夢』は見ていない。
四年前、私の周り全てが変わった。明るく、楽しいものへ。
たくさんの大切な人がいてくれた。
私を支えてくれる人が増えた。
どうしてだろう。
わからないけど、一つだけわかることがある。
それは、青ちゃんとハチが私を救ってくれたということ。盗賊からも、あの夢からも――
洗濯物を畳み終え、私は裏の畑から野菜をとるために井戸で水を汲んでいた。
井戸の水汲みは少しだけ重労働。小さい頃はできなかったけれど、今はもう大丈夫。
桶を上まで引っ張り上げて、水を別の桶に汲んでいると、目の端に懐かしい極彩色の着物が二つ映った。
ぱっと顔を上げるとそこにいたのは。
「あ、青ちゃん! ハチも、お帰り!」
桶を置いて、手を振る。
それを見て青ちゃんは少し微笑んだ。ハチは嬉しそうににこにこと笑っている。
「二月? 三月ぶりかな? ちゃんとご飯食べてる?」
嬉しさのあまり気持ちが跳ねる。微笑みながら二人を迎えたけれど、青ちゃんの右足に巻かれた包帯が見えて私は息を呑んだ。
「青ちゃん、怪我してる!」
「ああ、さっきな……後で診てくれるか?」
「駄目! 今! 今すぐ!」
なんで顔を出すたび怪我をしてくるの!
私はそう言いたいのをこらえて青ちゃんの左手首をつかんだ。右腕がない青ちゃんはさやのない刀を左手に持っているけれど、そんなの気にしてられない。
ぐいぐいと引きずるように青ちゃんを引っ張っていたけれど、ハチに怪我がないかと思いだしてぴたりと足を止めた。
そして、振り返ったハチの腕には。
ぐったりとした『鬼』の子が。
私はハチからその子を取り上げて
「ハチの馬鹿っ!」
と怒った。
「なんでー?」
とすぐにハチが返す。
私はハチに正座をさせて、鬼の子を背に庇うようにした。とても細くて、弱弱しい。
「だって落ちてたんだから拾ったっていいじゃん」
唇を尖らせて「訳がわからない」と言うような顔をしたハチに私は首を横に振る。
「落ちてるわけはないの。命あるものを落ちてたなんて言っちゃいけない」
「でもそこに在ったんだから同じじゃん」
「違うよ。命あるものは違う。刀やお茶碗と一緒にしないの。相手の意思を無視して勝手に連れまわしたりしちゃ駄目。ハチだってさ、突然青ちゃんの傍から連れ去られたら嫌でしょう?」
いつの間にか杉の木に寄りかかって私たちの様子を見ている青ちゃんをちらりと見てそう言うとハチも一瞬青ちゃんを見た。
そして、ふんぞり返って強気に言う。
「おれはそんな事させないよ。そんなヤツ、殺っちまえばいいんだ!」
もう!
私はハチのおでこを指ではじいた。
「みんながハチみたいに強いわけじゃないわ。抵抗できなかったら、どうするの?」
ハチがわかってくれるようにゆっくりと優しく言う。
今まで先生が私に諭してくれたときのように。
「敵わない相手だったらどうなの? 手足を獲られて、命を獲られたら、どうするの?」
「それは」
「右腕と右目のない青ちゃんの左目を塞いで、左手を使えなくして連れ去るヒトがいたらどうなの?」
それを聞いてはっとしたようにハチは青ちゃんを見た。
「それは卑怯だっ!」
「そうでしょう?」
私は怯えたようにハチと青ちゃんを見る鬼の子の綺麗な金髪をそっと撫でた。はっとしたように見上げた鬼の子の瞳は少しだけ安堵したようだった。
そして、ぎゅ、と私の腰のあたりにしがみつく。
「ハチのしている事も卑怯じゃない。この子の何処に、ハチに抵抗する力があるっていうの?」
私の言葉に押し黙るハチ。
きっと、私の言葉をわたってくれたのだと思う。
「分かるでしょう? 命あるものに干渉するのは、落ちている石を拾って持ってくるのとは違うのよ。たとえば、この子が望んで私の元に来たいと言ったのなら、ハチが此処に連れてくる理由はあるわ。でも、そうじゃなかったんでしょう? ハチは勝手にこの子をここに『連れてきた』んでしょう?」
私がそこまで言うと鬼の子は細い腕に力を込めてさらにしがみつく。
本当に、細い。
こんなに栄養状態が悪いということは、母様と父様と一緒ではなかったのかもしれない。
たぶん――捨て子か、あやかしを売り買いする人たちから逃れてきたのかのどちらかだろう。
「命あるものにはね、それだけで自由に生きる権利があるのよ。それを奪う事は誰にも出来ない。ハチにも奪う権利はないの。理由もなく奪われていい自由はない」
ハチは私の言葉を聞いて眉をハチの字に寄せて押し黙った。
少ししゅんとした様子のハチは、自分がしたことが悪いことだとわかってくれたみたい。
私は肩の力を抜いて、ハチが嫌いな言葉を呟くように言った。
「これは私の我儘かもしれないわ。でも、ハチには卑怯な事しないでほしいの」
「……分かった」
「ありがとう」
にこりと微笑むとハチはごろんと地面に寝転んだ。
ハチは考えることが嫌いだと、随分前に青ちゃんが教えてくれた。
だから、私がお説教をすることがある。回数は――少ないとはいえない。
少しだけ思いにふっけていた私の着物の裾をちょいちょいと鬼の子が引っ張って、ぼそりと呟く。
「いや……じゃ、ないよ」
「なあに?」
よく聞き取れなくて私は鬼のこの視線に合わせるようにしゃがみ、首を傾げた。
そんな私から視線を外すようにして鬼の子はぼそぼそと続けた。
「あのチビはキライだし、ここに来るつもりはなかったけど……ここにいてやってもいい」
ああ、すごくかわいい。
どことなく玖音に似たような言い回しの鬼の子に、思わず顔がほころぶ。
「じゃあ、あなたもここに住む?」
私がそう問うと鬼の子はこくこくと頷いた。その頬はほんのりと赤い。
右手で鬼のこのとても小さな手を握り、左手で先程水を汲んだ桶を抱えて杉の木に寄りかかっている青ちゃんと寝転がっているハチに声をかけた。
「青ちゃんの治療もすぐにするから、中で待ってて。二人とも……と、三人とも、おなかすいてるでしょう? ご飯の支度するわ」
ご飯、と聞いて歓声を上げたハチはあ、そうそうと私の背中に声をかけた。
「あのさー、さっきから思ってたんだけどさ」
「何?」
振り返って首をかしげる。
するとハチは私の丈の短い着物の裾を指差して言った。
「その着物短くない?」
……? え?
「短……って、まさかハチっ」
慌てて裾を抑える。顔が、耳が熱い。
「うん。さっきからずっと中見えてたんだけ――」
私はハチの言葉が最後まで言われる前にハチにひざ蹴りをしていた。
もう、お嫁さんになれない……
――この日を境に、新たな物語が幕を開ける。
おわり
最後までお付き合いいただきありがとうございました><