第十話
玖音の想い人はやっぱりハチだった。
玖音が草庵に遊びに来た時、明らかに動揺していたし、ハチも「また会ったねー」って喜んでいた。
でも、ハチは玖音に想われているだなんて全く気が付いていないみたい。それどころか、いつもの調子で「青ちゃん青ちゃん」だから、玖音は青ちゃんのことが羨ましいのか妬ましいのか……物凄く喧嘩腰になって話しているのを聞くとなんだかおかしかった。
とても穏やかな日々。
毎日が楽しい。そう思うようになったのは、たぶん、青ちゃんたちと出会ってからなのだと思う。
青ちゃんたちが草庵に居るようになって二月くらいになる。
先生からもらった紅花の成長は早くて、緋色の綺麗な花が咲いた。その緋色は『あの夢』の緋色とは少し違う。心が温かくなるような気がする。怖くない。
その花を先生に教えられた通りに細工して、匂い袋を作って常に持ち歩くようにしていた。玖音も、他の種類の花の匂い袋をもらったらしい。
私は青ちゃんとハチの着物を縁側に座り、縫い合わせていた。
この二月でいろいろなことがあった。
羅刹族がたびたび賽ノ地に降りてきては羅刹狩りと奮闘を続けているということ。
賀茂川に死体が浮いているのを目にすることが少し減ったこと。
そして、あの朋香さんが、景元様の隠密で、あやかしだということ。
もっとたくさんのことがあった。
それを一つ一つ思い出して、私は溜め息を吐く。もう、雨の季節は終わり、夏の暑い日差しが降り注いでいる。薄手の着物でも熱いから着物ではなく、忍び装束を着ていた。袖がないから涼しい。裾もかなり短いけれど、中が見えてしまうことは無い……と思う。
左腕にはまだあの時の傷がうっすらと残っていて、見るたびに喪失感と虚脱感と悲しみが思い出される。
「きさら終ったー?」
ハチが私の背中に声をかけた。振り返ってみると、熱そうに団扇で顔を仰ぐ青ちゃんとつまらなそうに寝転がっているハチがいた。青ちゃんが外に行かないからハチは動けないんだと思う。青ちゃんとハチはいつも一緒だから。
青ちゃんは、最近左手で生活することに慣れてきたみたい。今では刀を振ることもできるようになっていた。
すごく早い回復だと思う。やっぱり、青ちゃんは心も強いんだ。
ジジ様が二人に剣術を教えていたのは右腕を失った青ちゃんのためだったのかもしれない。……それにしては随分と適当だったのは否めないけど。
そんなことを思いながら私はもう一度視線を手元に戻し、「もう少し待ってね」とだけ呟いた。
青ちゃんとハチは草庵の外に出るたびに盗賊に喧嘩を売られているらしい。
玖音がそう教えてくれた。一度だけ、巻き込まれて大変だったと。
確かに二人は目立つ。荒れ野原にはない、極彩色の着物を翻し、歩く。
しかも二人ともまとっている空気が独特で、立っているだけでも視線を奪われてしまう。――初めて二人と出会ったとき、私がそうだったように。
だからいつも怪我をしてきたり、着物を破ってきたりする。
怪我と言ってもほとんどがかすり傷で、大きな怪我はない。――ただ、この前ハチが右頬に切り傷を作ってきて、どうしたのか聞くと「自分で切ったー」って言った時は本当に驚いたけど――二人の怪我を診るたび、やっぱり強いんだ、そう思った。
それに――二人は絶対に背中は怪我をしてこない。それは、きっと。
「はい、できた。もう、この柄の布を探すの大変なんだから、あんまり破らないでね?」
「はぁーい」
なんとなく膨れたハチに着物を手渡しながらそう言う。
次は青ちゃんの着物。青ちゃんはよく右袖を切ってくる。なびく分、相手の刀に当たってしまうのだろう。
「器用なもんだな」
青ちゃんが熱そうにしながら呟くのが聞こえた。
「そう? 私は、これくらいしかできないから――」
戦うことが守る強さの青ちゃんとハチ、玖音。
直し、治すことが守る強さの私。
大丈夫。みんながいれば、私はきっと、怖くない――
戦いで守られる立場なら、終わった後に守ればいい。
青ちゃんの緋色の着物を見て、あの夢の緋色が重なる。
あの夢の見た日、必ずと言っていいほど何かが起こる。たとえば、二人がけがをして帰ってきたり、玖音の仕事場で火事が起こったと耳にしたり、狩人によって罪のないあやかしの命が奪われたり。
私にとってあの夢は何か悪いことが起きる前兆に見る物へと姿を変えている。
もしかしたら、過去の出来事なのかもしれない。
失った過去を取り戻すことはできない。でも知らないことは、少し怖い。知らないことが多すぎるから――
知りたくても、誰も教えてはくれない。
でも。それでも。
いつかきっと、話してくれる。ジジ様も、青ちゃんも。
だから、私は信じて待っていよう。
青ちゃんの緋色の着物を縫いながら、私はそう決意した。
言葉には出さない。
これは私の決意だから。
「なんか楽しそうね、きさら」
遊びに来た玖音が縁側に居るハチにちらちらと視線を送りながらそう呟いた。
縁側へと続く部屋で私たちはお菓子をつまみながら話していた。襖を全て開け放ち、風通しはとてもいい。
「うん。楽しいよ? 毎日にぎやかだし、寂しくないから」
「そうよね。ジジ様と二人っきりじゃ楽しいものも楽しくないわよね」
「く、玖音……」
はっきりと言った玖音に私は少し苦笑いをする。
玖音は最近町奉行所からの指令で動くことが多くなったらしい。それなりに収入もあるんだと教えてくれた。
私はと言うともはや忍の仕事はほとんどやっていない。たまに呼ばれたかと思えばほとんど怪我人の治療が仕事だ。
どうやら玖音がそうしてもらえるように働きかけてくれたらしい。これで、誰かを傷つけることから遠ざかるでしょ、と笑って言ってくれた。
「それにしてもあっついわね。頭から水かぶりたい気分だわ」
首巻いた布を外して玖音が呟くと、ハチが嬉しそうな声を上げた。
「あーおれもかぶりたい!! ね、いいでしょ玖音? 一緒にかぶろー」
ひょっこりと私と玖音の間から顔を出し、にっこりと笑ったハチを見てたちまち赤くなってしまった玖音。
「ば、馬鹿じゃないの?! だ、誰があんたとなんか……」
それをみてくすくすと笑う。
ほんと、わかりやすいんだから。
そんな私たちを見て青ちゃんは溜息を吐く。「ほんと、めんどくせぇ」、と呟きながら。
大切な人がいて、守ってくれる人がいて、楽しくて、悲しくて。
私は、これからもずっと、みんなと一緒に居たい。
ジジ様は「ずっと一緒にいようなんて思うな」って言っていたけど、私は、そう思う。
それに、きっと。
賽ノ地がだんだんと活気づいて行っているように、きっと、平和な日が来る。誰もが争わず、穏やかに暮らせる日は来る。
この賽ノ地が――命を失う地ではなく、笑顔であふれる地になる日はきっと来る。
それまで、辛いこと、怖いこと、悲しいこと、苦しいこともきっとたくさんある。
わかってる。でも――それでも。
青ちゃんとハチと出会って、わかったんだ。
私は、命を奪うこともできてしまうけれど、その命をつなぐこともできる。
私を頼ってくれている人がいるということが分かる。
だから、その人たちのために、私は、精一杯生きよう。
忍は奪うだけじゃない。救うこともできるのだから。