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なめないでよね!

作者: 武者頑
掲載日:2026/08/10





「次、春野」

「はい」


私、春野奏。高校三年生。

この吹奏楽部で一番のアルトサックス奏者——少なくとも、そう思ってた。


「いい音だ。安定してるな」


顧問の先生の言葉に軽く頷く。


(当然でしょ……私がこの部を引っ張っていくんだから……)


そう思った直後。


「次、音無」


一年生の音を聞いた瞬間、指が止まりそうになった。深い。綺麗。


(……なんで、こんなに“分かってる”のよ)


私の音の、その先を行くような音。皆も先程の私の演奏なんて忘れたように絶賛する。

ムカつく。認めたくない。だからその日の放課後、私は確かめに行った。


——そして見た。


「……は?」


音無響は私のサックスを持っている。そしてそのサックスを……

ぺろ。


(え……まさか)

「ちょっと待ちなさいよ!!!!」


ドアを勢いよく開けて叫んでいた。

響がびくっと肩を揺らす。 


「先輩……」

「何してんのよあんた!!」


ズカズカ近づいて、サックスを奪い取る。


「それ、私のなんだけど!? ていうか舐めた!? 今舐めたわよね!?」

「はい」

「はいじゃない!!」

「変態なの!? そういう趣味!?」

「違います」


即答。真顔。

余計怖いわ。


「じゃあなんで舐めるのよ!」

「……先輩の音、もっと知りたくて」

「意味わかんない!!!」


心のどこかがざわついた。


「……どういう意味」


声を落とすと、響はゆっくり言った。


「その人が、どういう気持ちで吹いてるか……なんとなく、分かるんです」


一歩近づいてくる。

思わず一歩下がる。


「先輩、すごく努力してる」

「…………」

「悔しい思いも、いっぱいしてる」


やめて。それ以上言うな。


「……やめて」


声が弱くなるの、自分でも分かった。


「……すみません」


響は素直に頭を下げた。

——なのに。


(なんでちょっと安心してるのよ、私)


数日後。 


「音無、どうした。音が浅いぞ」

(……やっぱり)


あいつ、自分の音じゃダメなんだ。練習後、響が声をかけてきた。


「先輩」

「……何」

「もう舐めません」

「……は?」

「嫌がってたので」


まっすぐな目。

だからこそ腹が立つ。


「……当たり前でしょ」


その日から、響の音は迷い始めた。

どんどん浅く、外れていく。数日後、合奏中。響の音が大きく外れた。


(……っ)


見ていられなかった。練習後、私はケースを握りしめていた。

足が動かない。イライラする。ムカつく。

でも——


(あの音、もう一回聞きたい)


「音無響くん」


響が振り向く。少し元気がない。それがさらにムカつく。


「……あんたさ」


言葉が詰まる。


「大会、近いでしょ」

「はい」


私はケースを開け、自分のサックスを差し出した。


「……今回だけよ」


目を逸らしたまま。


「大会終わるまでは舐めてもいいから。ちゃんと消毒してね」


静かになる。


「勘違いしないでよね!」


慌てて続ける。


「別にあんたのためじゃないから! パートのためだから!」

「……はい」


響の手が少し震えていた。


「……本当にいいんですか」


——いいわけないでしょ。

気持ち悪いし、恥ずかしいし、怖いし。でも大会のため仕方なく。それにコイツなら、コイツとならとても素晴らしい演奏ができる気がした。


「……その代わり」

「ちゃんと応えなさいよ」


少し笑ってやる。


「私の音、なめたんなら」

「中途半端な音を出すとか……なめたマネしないでよね!」


響の目が揺れた。


「はい」


(……ほんと……なめないでよね)


それからの練習は——最悪を通り越してカオスだった。


「ちょ、ちょっと待って! 今の入りズレてる!」

「すみません」

「あとビブラート強すぎ! 私そんなに揺らしてない!」  

「はい」


何度も繰り返す。合わせる。ズレる。合わせる。ズレる。

——なのに、ふとした瞬間、ぴたりと重なった。


「……今の」


響も少し驚いた顔。


「はい。今の、近かったです」

(完全に同じだった……!)


背筋がぞくっとする。怖いのに嬉しい。


「……もう一回」


ここで、響が突然真顔で言った。


「先輩、さっきのビブラート……なんか、ちょっと甘い味がしました。もっと酸っぱくした方が先輩らしいですよ」

「……は?」


一瞬、頭が真っ白になった。


「甘いって何よ!? 味って何!? 私の音がレモン味とか言ってるの!? 変態後輩が本気で味覚で音楽批評してんじゃないわよ!!」


響は首を傾げて、至って真面目な顔で。


「違います。レモンじゃなくて……先輩の悔しさみたいな、すっぱい感じです。

でもさっきのは、ちょっとチョコみたいに甘くなってて……」

「チョコ!? 私のビブラートがチョコレート味!?

あんたサックス吹いてんの? それともアイス食べながら吹いてんの!?

なめんなよ!! なめるなよ!!!」

「はい。なめません。……今は」 

「今はってなに!?」


響は少し照れたように笑って、


「でも、先輩の音、ほんとに分かりやすいです。真っ直ぐで、美味しいです」

「……美味しいって褒め方おかしいでしょ! ケンカ売ってるの!?」

「違います。本気でいい音です」


——不意打ち。

一瞬、何も言えなかった。


(……ずるい。この天然、後輩のくせに)


その日の帰り、なぜか響を引き止めた。


「……あんたのこと、なんでそんな……やり方、使ってるの」


響は少し驚いた顔をして、静かに話し始めた。

 

「僕、料理人の家なんです。小さい頃から“味が分かりすぎる”って……」


過去の話は少し寂しげだったけど、すぐにいつもの柔らかい笑顔に戻った。


「先輩の音も、そうでした。

悔しさも努力も混ざってるのに、ちゃんと前を向いてる音だった」


少し照れたように。


「だから……好きだと思いました」

「……っ」 


頭が真っ白になって赤面した。

「……そういうの、軽く言うのやめてくれる?」

「軽くないです」

「……バカ」


胸の奥が熱い。

——それからの練習は、明らかに変わった。音が合う。

だけじゃない。

ちょっと近いだけでドキッとする。息が重なるだけで緊張する。

でも音は今までで一番いい。大会前日、最後の通し練習。

音が完璧に重なった。顧問の先生がぽつり。


「……いいな」 


隣の響に小さく声をかける。


「……ねえ。明日、外したら許さないから」


私の不安を打ち消すかのように響は笑った。


「外しません」

(……ほんと、なによそれ)


でも、その時分かった。

ただのパートナーじゃない、心からドキドキしてくる感じがした。


「……なめないでよね」


小さく呟く。響が首をかしげる。


「はい?」

「なんでもない!」

(全く……この子は本当にもう……)


私にとっては最後となる大会本番がやってきた。

照明が白い。深呼吸。隣の響に告げる。


「……緊張してないの?」

「してます」

「してる顔じゃないんだけど」

「先輩がいるので」

「……は?」

「大丈夫です」


指揮棒が上がる。


「タンッ」


最初のアタック。合った。

レガートで繋ぐ。響がぴたりと並んでくる。中盤の三度ハモリ。響の下の音が柔らかく支えてくれる。

少し遊ぶようにフレーズを前に出すと、響が追いかけてきて、

今度は響がビブラートを深めにかけてくる。


(……挑発?)


受けて立つ。絡み合う。


(……楽しい)


最後のロングトーン。

響の音がしっかり支える。

音が消え、拍手が爆発。

結果は——銅賞だった。悔しい。でも今回は違う。ちゃんとやれた。

私は控え室に一人でいたところに響が入ってきた。


「先輩」

「……何」

「さっきの、三度のところ、少し上げましたよね」

「ええ」

「良かったです」

「当然でしょ」

「先輩」

「……楽しかったです」

「……私もよ」


響が少し目を見開く。その顔が可笑しくて。

「……ねえ。目、閉じて」

「はい」

私は響にの頬に口づけをした。一瞬だけ。


「……なめられっぱなしは、嫌なの」


響が少し間を置いて、


「……じゃあ、これからはお互いですね」


少し笑う。


「先輩の音も、僕の音も、ちゃんと知りたいので」


心臓が跳ねる。 


「……バカ」


それ以上言わせない。

でも、嫌じゃない。むしろちょっと嬉しいとか……ありえないんだけど。


「……なめないでよね」 


響が首をかしげる。


「はい?」

「なんでもない!」


そっぽを向く。でも、分かってる。

——もう、この関係はただの先輩後輩じゃない。


(……ほんとにもう……この子ってば)



——私の大切な人なんだから……なめないでよね!



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