第九章 クリスマスサプライズ
第一節 太陽の甦り
その年の冬至の日、ルシフェルはイエス様に尋ねました。
「今日は冬至だね。坊やの誕生日はいつだか知っているかい?」
イエス様は不可解な面持ちで答えました。
「誕生日?オイラそんなの知らないよ。父ちゃんも母ちゃんもはっきりした月日を覚えていないよ。父ちゃんの話だと羊飼い達が野宿しながら羊の群れの番をしていた夜のことで、空いている家畜小屋でオイラが生まれたから春から夏だってことさ。」
ルシフェルは頷いて言いました。
「まあそうだろうね。庶民の間で個人の誕生日を記録したり祝ったりする習慣が一般的ではないからね。ところが後世にミトラ教という宗教の冬至祭、冬至に死んでまた生まれる神のお祭りが大変な人気でね、それにあやかって冬至祭を坊やの降誕を記念する祭としたんだ。それはクリスマスと呼ばれるものなんだけど、ミトラ教の太陽(Sun)の再生を、神の子(Son)の誕生になぞらえるようになった。どう坊や、見聞を広めるため後世のクリスマスを見たくないかい?」
イエス様は目をぱちくりさせてルシフェルに聞きました。
「えっ、後世のクリスマス?過越祭でエルサレムに上るのに四日路もかかるのに、どうして未来のクリスマスとか言う祭を見ることができるんだい?」
ルシフェルは大きな力強い鷲に化身して答えました。
「それなら私が坊やを連れて行ってあげるよ。私の背にお乗り。その前にちょっと後ろを向いて。ああ、今日も派手にやらかしているね。こりゃお母さん本当に大変だ。本当に子供は風の子、野糞の子だ。」
ルシフェルはイエス様の黄色くなった下穿きに翼を当て「我が聖潔の心なり、清くなれ。」と言うとイエス様のお尻は清くなりました。そしてルシフェルはイエス様を鷲の翼に載せ、二十一世紀の世界へと羽ばたきました。
鷲は聖化の翼で羽ばたきました。大きな円を描いて空を舞い、甦った太陽の新しい光で満たされる世界を目ざして力強く羽ばたきました。鷲は罪から解放され、神の子として歩みました。そして鷲は聖化の救いを得ました。
第二節 ナザレのクリスマス
二十一世紀の世界に現れた鷲はガリラヤの平原の上空十キロメートルを飛んでいました。イエス様は前方に旅客機を見つけ、感悦して言いました。
「やっ、ジェット旅客機だ。これはすごい!実際に見るのはこれが初めてだ。うーん、でも変だな、全然飛んでいない。ただ宙に浮いている感じだな。」
ルシフェルはイエス様に説明しました。
「ああ、まだ事象が収束していないから時間が止まったままなのだよ。事象が収束し過去と現在と未来が一つに繋がれば時間は動き出す。ちょうど川の水が上流も下流も途切れていなければ流れが生まれるように。そうだ、いい機会だからちょっと飛行機に近づいてみよう。」
鷲は飛行機の翼の上に降り立ちました。イエス様は両手を横に広げ、はしゃいで翼の上を走り回りました。
「オイラの足で一日路が三十キロメートルで、旅客機の最高速度が時速九百五十キロメートルだとすると、たったの二分弱で一日路が移動できる。すごいなあ。あっ、機内のあのお客さん、コーヒーカップを手から滑らし、コーヒーが膝にこぼれる寸前だ。」
ルシフェルはイエス様に注意しました。
「おい坊や、あまり私から離れないで。坊やが高度十キロキロメートルで元気でいられるのは、この私の翼は盾の翼でもあり、結界となっているんだ。だから外界の異なる時空の物理法則を受けずに済んでいるのだよ。ダニエル書でネブカデネザル王の怒りを買い、火の燃え盛る炉に投げ入れた三人の話は覚えているよね。その炉の中で神の子のような人が守ってくれた話も同じで、結界が炉の中の炎から守っていたんだ。」
それから暫くして鷲はナザレの上空まで舞い降りてきました。丘の中腹に密集する建物を見たイエス様は絶句しました。現在のナザレは近代的なアラブ化した街となり、キリスト教徒とイスラム教徒が約半数ずつ、計八万人ほどが暮らす街となっていました。
鷲は野外博物館であるナザレ村(Nazareth Village)に舞い降りました。ナザレ村はイエス・キリスト時代(紀元一世紀)の生活を再現したものです。ルシフェルは人の姿に戻りました。人目をはばかるためベールを被り、顔を覆いました。ルシフェルはイエス様に説明しました。
「ここはナザレ村と言う所で、坊やがナザレで暮らしていた当時の様子を体験するテーマパークみたいな所なんだ。今回はちょっとした時空の遠足なので、私達の服とかは二十一世紀風に用意するほどではないと考えている。もし人に尋ねられたらナザレ村から来ましたと言うのだよ。まあ、ちょっと散策してみようか。」
ルシフェルはイエス様の手を引いて案内しました。クリスマスで人出が多く、行き交う観光客達は二人を当時の服で仮装したスタッフかと思い、カメラで二人を写しました。イエス様は緊張してしまい、人々にぎこちなく挨拶しました。
「シャローム。あのう、オイラ…ボクはナザレ村から来ましたでありますです。名前はイエスと言いますでありますです。」
人々はナザレ村のキャッチコピーかと思い大笑いました。そんな中、気の好い家族連れのユダヤ人がイエス様に微笑んで話しかけました。
「坊やのバル・ミツワーはいつだい?」
イエス様は顔を引きつらせ直立不動で答えました。
「はっ、ボッ、ボッ、ボクのバル・ミツワーは再来年でありますです!」
イエス様と同じ年頃の子供を持つユダヤ人の夫婦は嬉しくなってイエス様に言いました。。
「再来年からは自分の罪(戒律違反)の責任を自分で負わなくてはならないよね。」
そしてユダヤ人夫婦はキャンディ投げの前祝いとして、ソフトキャンディが一杯つまったビニール袋をイエス様にあげました。イエス様は嬉しそうにお礼を言いました。
「トダ ラバー(Toda raba:ありがとうございます)」
するとその家族の可愛らしい女の子がイエス様の頬にキスして言いました。
「ナイームメオッド、イェーシュア。(Na'im Me'od, Yeshua:初めまして、イエス君)」
イエス様は照れてしまい、顔を真っ赤にしました。ルシフェルはイエス様の羞恥心を煽りました。
「おや坊や、ナザレ村のイエス君はご婦人にモテモテだね。」
人々はどっと笑いました。
その後、二人は「レヒトラオート(Lehitraot:さようなら)」と言ってナザレ村を後にしました。
クリスマスで賑わうナザレは喧噪を極めていました。それはごった返す人々と激しく鳴らされる乗用車や観光バスのクラクション。そしてとんでもない方向に手当たり次第に停められている路上駐車でした。二人はナザレのメインストリートに向かってエル ワディー・エル ジャワニ ストリートを歩きました。二百メートルほど進むと右手にLittle Sisters Of Jesus(イエスの小さい姉妹の友愛会)の建物が見え、その先五十メートルでナザレのメインストリートであるPaulus haShishi Stに出ました。イエス様は車の排気ガスに咽びながら言いました。
「これが排気ガスか、ちょっとしんどいな。さっきのナザレ村と違って、ここまで来ると二千年後のナザレとは思えないよ。どこか遠い外国に来たようだ。」
ルシフェルはイエス様に説明しました。
「昔の車の排気ガスは良い臭いがしていたんだよ。人々は文明の匂いだと感じていたんだろうね。ところがガソリンのオクタン価を高めるため、ガソリンに化学添加物が入れられているんだ。それが現在の排気ガスの悪臭となっているんだね。これからはこの交差点を左に折れ、受胎告知教会と聖ヨセフ教会がある所までメインストリートを歩いてみよう。」
そして二人はたくさんの商店とホテルやレストランがあるメインストリートを歩きました。二百メートルほどで右手にナザレン教会がある三差路を左手に進み、五百メートル先の受胎告知教会の近くにあるカサノバ通りに出ました。通りはたくさんの商店と土産物店やホスピス(巡礼者を迎え入れる宿)で賑わい、通りの樹木はクリスマスのため電飾で飾られていました。またクリスマスマーケットの露店が通りを埋め尽くしていました。イエス様はクリスマス雑貨を売る露店にあるサンタクロースの赤い帽子を物欲しげに見ていたので、ルシフェルはイエス様に買ってあげました。イエス様は嬉しそうに帽子を被りました。
すると現地の怪しげな男が二人に近づき、手に持ったポラロイドカメラを見せ、片言の英語で写真を撮ってあげるとしつこく言い寄ってきました。ルシフェルは面倒くさくなって値段も聞かずに渋々了解しました。その怪しげな人はカメラを構え、「お母さん、せっかくだからベールを取ろう」と促して言ったので、ルシフェルはベールを外し、顔を露わにしました。するとルシフェルは喝采を浴びました。
「サンタマリア(Santa Maria)、私達のために祈ってください!」
その声につられて多くの観光客が二人を十重二十重に二人を取り囲みました。人々は嬉しそうにカメラで撮影し、スマートフォンで動画撮影をする者もいました。そして突然の聖母の出現に歓声が沸き上がりました。二十一世紀の人間が勝手にイメージする美しい聖母をルシフェルに見たからです。イエス様はこの喧騒に度肝を抜かし、人々にぎこちなく挨拶しました。
「シャローム。あのう、オイラ…ボクはナザレ村から来ましたでありますです。名前はイエスと言いますでありますです。」
更にイエス様は二十一世紀の人達と仲良くなりたくて大胆なメシヤ告白をしました。
「あのう、実はボクはコレであります。いや、そうじゃなくてボクはアレであります。うーん、そうじゃないのですよ、本当に。あっそうだ、ボッ、ボッ、ボクは、ソレでありますです!」
イエス様の言葉に人々は水を打ったように静まり返りました。中には愁眉を寄せる人もいました。その時、強烈なおばさんのクリスチャンがイエス様に詰め寄り尋問しました。
「あのね、君、どこのミッションスクールの小学部にお通いなの?学校の先生がそんなことを人前で言えって教えたの?不適切にも程があるわ。学校にクレームを入れてやるわ。」
イエス様はドギマギして答えました。
「えっ、ミッションスクール?ああ、学校のことですね。あのう、そのう、えーと、ラビに預けられていましたが退学になりました。」
群衆はざわめき、「学校に行ってないだと、児童相談所に連絡しろ!」とヤジが上がりました。おばさんは仰天してルシフェルに問い詰めました。
「ちょっとお宅、この子のお母さんかしら。子供に義務教育を受けさせないつもり?ふん、自分が美人だからっていい気になっているんじゃないわよ。ところでお宅はどちらの大学の出かしら?こう見えてもわたくしなんかハーバード大学エクステンション・スクールに在学中よ。オホホホ!」
ルシフェルはギョッとして弁明しました。
「えっ、この子は私の知り合いの子ですよ。それと私なんか小学校も出ていませんが、私がこの子に青空教室で教育しているので問題ありません。おかげでこう見えても昔と比べたらだいぶ馬鹿が治って、マシになりましたよ。最初に会ったときは癇癪を起こして、私を殺しかねないほどでしたよ。」
群衆の中で「殺人未遂だと、少年犯罪者として警察に通報しろ!」と言う罵声が上がりました。ルシフェルは慌てふためきました。
「いや、大丈夫ですよ。私がこの子の力を封印しましたから。この子は危険生物ではありません。」
更に群衆の中で「警察でなく軍隊を派遣しろ!」と言う怒声が上がりました。また「イマハ・シェモ・ヴェズィフロ、イエシュ!(Yimach Shemo Vezichro, Yeshu!:彼の名と記憶が消し去られますように、イエス!)」と言う呪いの言葉もありました。ルシフェルは予期せぬ展開に焦燥感を覚え、群衆の中にいた酔漢に催眠をかけました。その男はイエス様に歩み寄り、呂律の回らない舌で群衆に話し始めました。
「よう、おめえらいいか、これはただの小僧の戯言だ。子供って言うのはよう、ペテン、イカサマ、香具師のモモンガーで、天一坊って言うのが相場だぜ。だがいいか、俺の見たところこのガキに罪はねえよ。」
そして精霊が男の耳元にそっと囁き預言をさせました。男はイエス様を群衆の前に招き寄せ、喚き散らしました。
「この小童を見よ!」
すると怒涛のような哄笑が群衆から起こりました。人々は質の悪いクリスマスジョークだと思ったのです。また赤いサンタクロースの帽子を被り、キャンディがいっぱい入ったビニール袋を大事そうに手にしているお上りの子供が臆面もなくメシヤ告白などするはずはないと誤解していたのです。イエス様は誰も信じてくれないのと、少年犯罪者や危険生物扱いされてベソをかきました。ルシフェルは心の中で呟きました。
「やれやれ、ちょっとした時空の遠足で騒ぎに巻き込まれるところだった。本当にノーハッスルでお願いしたい。まあ、普段の用心深い私なら彼らの私達に関する記憶を消し、カメラなんかの記録媒体のデータを消去するが、今日はクリスマスだから野暮天はよそう。それにしてもこの坊やは本当にスットコドッコイだな。もし人に尋ねられたらナザレ村から来たと言うように注意したのに、舞い上がって尋ねられもしないのに自分から名乗り出し、しかもメシヤ告白するとは。」
ルシフェルは写真代に四十五シュケル(千五百円)ほどボッタくられました。写真を受け取ったルシフェルは外套の内ポケットに入れました。そしてイエス様の手を引いて群衆から逃げました。ルシフェルはイエス様に注意しました。
「もう本当にしょうがないな。やらかしてくれたね。あのね、この時代の人達はメシヤというものはお忍びで来られるのが一般的な考えなのだよ。坊やが生きた時代だとメシヤと言う者はちゃんとした油注ぎの儀式をして、黄金の冠を被っているのが普通の考えなのだけどね。まあ、最も小さき者の中に坊やがいると言うことでいいじゃないか。時空を超え、世界中の誰の心の中にもお忍びでやって来られると言うことで十分ではないか。心からメシヤを探している人にだけその正体が分かるようにすればいい。本当にノーハッスルでお願いしたい。」
ルシフェルはイエス様を受胎告知教会に導きました。夕方のため辺りは暗くなっていましたが、教会は美しくライトアップされていました。王冠を模した三角の屋根は厳かに映えていました。ルシフェルはイエス様に説明しました。
「これが受胎告知教会と呼ばれるものなんだ。昔、坊やが精霊により受胎し、それをガブリエル君がマリヤさんに告知した洞窟に建てられた教会だ。地下にはマリヤさんの家と呼ばれる洞窟があり、ミサが行われているんだ。」
イエス様は驚嘆しました。
「これはすごい、オイラの村にある小さなシナゴーグとは桁違いの大きさと美しさだ。それにしてもその洞窟がオイラの母ちゃんの家だって?それはオイラには分からないな。だって父ちゃんも母ちゃんもそう言うことは話してくれないんだ。」
ルシフェルはヨセフ様とマリヤ様が子供に話すには早すぎる家庭の事情があるかと慮り、聞き流して言いました。
「まあそれは、今度ガブリエル君に詳しいことを聞いてみよう。」
話を逸らすためルシフェルはマジックアワーに照らされたファサードの右脇に記している聖文を説明しました。
「ラテン語で書かれている『ECCE VIRCOCONCIPIET ET PARIET FILIUM ET VOCABITUR NOMEN EIUS EMMANUEL』はどういう意味か分かるかな?あれはイザヤ書の『見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエル(Immanuel)と呼ぶ』だよ。ではここで復習。インマヌエルとはどういう意味かな?」
イエス様は答えました。
「『主が共におられる』だよ。」
ルシフェルは賛意を表しました。
「アメーン、アメーン、レゴー、ソイ。アメーン、イェーシュア!(Amen, Amen, lego soi. Amen, Yeshua!:真に真にあなたに言っておく。まさにそのとおり、イエス君!)」
ルシフェルはそのままイエス様の手を引いて受胎告知教会を足早に後にし、聖ヨセフ教会に立ち寄りました。ルシフェルは子供相手に残酷な未来を暗示するものはイエス様に見せたくなかったのです。
ルシフェルはイエス様に説明しました。
「これがさっきの受胎告知教会の横にある小さな教会が聖ヨセフ教会と呼ばれるものなんだ。地下に発掘された坊やの生家の洞窟があるんだ。意外だろう?」
イエス様はびっくりして言いました。
「えっ、ここが二千年後のオイラの家だって!周りの景色とか雰囲気が違うのでオイラには全然分からないよ。でも、どうしておじちゃんはここがオイラの家の跡地だと言えるんだい?」
ルシフェルは答えました。
「別に家の表札とか不動産登記があって発掘した洞窟が坊やの家だとは言ってはいない。実は私には動物並みに位置情報が掴めているのだよ。つまり私には正確な体内時計があり、太陽や星々の位置から現在の位置を導き出しているんだ。だからこの二千年の間に大規模な地殻変動がなければ、十中八九ここが坊やの生家の跡地だと言える。」
それからルシフェルは聖ヨセフ教会の外壁に掲げられたイエス様の幼少期の家族像を説明しました。イエス様は首をかしげて言いました。
「うーん、父ちゃんの優しい面持ちは良く表現されているけど、母ちゃんがおかしい。オイラの母ちゃんはあんな美人じゃないよ。アハハ!」
辺りはすっかり暗くなっていました。ルシフェルは鷲に姿を変えイエス様に言いました。
「今度は世界の大都市のクリスマスイルミネーションを見てみようか。さあ、私の背にお乗り。」
第三節 世界のクリスマス
イエス様を乗せた鷲はローマのバチカン市国を訪れました。美しくライトアップされたサン・ピエトロ大聖堂、サン・ピエトロ広場の中央にある電飾で飾られた巨大クリスマスツリーと噴水がイエス様の目を引きました。そしてサンタンジェロ城とイルミネーションが施されたナボナ広場のクリスマスマーケットの賑わいを見ました。他にドイツ、フランス、スペイン、イギリス、ロシア、アメリカの大都市のクリスマスマーケットを訪れました。凡そキリスト教文化圏の善良な人々は、困っている人を助け、誰かに優しくすることはイエス様にしていることとなり、ひいてはイエス様にバースデープレゼントを贈ることとなると考えています。またできるだけ家族と過ごし、神に感謝を捧げる聖なるイベントとしてクリスマスを過ごします。
そして最後に日本を訪れました。イエス様を乗せた鷲は東京スカイツリー最頂部の鉄柵に足を止めました。ルシフェルはイエス様に説明しました。
「ほらごらん、この都市は東京と呼ばれるもので、私が二十一世紀の世界で住んでいる所なんだ。もともとこの国自体が八百万の神の国と呼ばれ、多種多様な数多くの神々が平和に生きてきた国なんだ。私は天の国で一部の偏執的な天使達の間で繰り広げられるドグマティズムに巻き込まれるのが嫌でね。しかしこの国ではそんなことがないので、のほほんと暮らしているのだよ。他の国のような大きなクリスマスマーケットはないものの、ただうかれるだけのクリスマスを祝う国なんだ。」
第四節 敬天愛人
ルシフェルはイエス様に質問しました。
「ところで坊や、律法の中で、どの戒めが一番大切かな?」
イエス様は言われました。
「申命記の『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ』。これが一番大切な第一の戒めだよ。第二もこれと同様でレビ記の『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』。律法全体と預言者、つまりトーラーはこの二つの戒めに基づいているっておじちゃんが教えてくれたことだよ。」
ルシフェルは頷いてイエス様に言いました。
「うん、そうだね、良く覚えてくれた。では何故わざわざ二番目の戒めまで言うのか?これはとても大切な点で、この二番目の戒めを守らない限り、一番目を守っていることにならないからね。しかし自分にできないことを人に押し付けることは心苦しい。嘘つきで偽善者である私は激しく慙愧する。それでも私はこの二つの戒めをあえて坊やに説く。坊やなら成就することができると信じているから。
ところでキリスト教文化圏でもないこの国でもこの戒めと似たものがある。上野公園って言う所に昔の偉人の西郷隆盛像があってね、その石碑に『敬天愛人』と刻まれている。つまり天を敬い、人を愛する意味なんだよ。もともとは儒学在来の敬天思想に聖書の愛神思想を摂取し、深く感化されて『敬天愛人』へと結実されたと言うものなんだ。」
イエス様は感心して言いました。
「へえ、大切なことは文化が違っても世界中に同じなんだね。」
ルシフェルは答えました。
「うん、そうだね。でも今のこの国の人々は経済至上主義の申し子みたいな者ばかりなんだ。下種の謗り食いだけ一人前の餓鬼道に堕ちたエコノミックデビルの国だね。それでいて餓鬼の断食と悪女の賢者ぶりを嘯く。ちょい昔のどうしようもないおじさんでも、昼間から酒をかっくらって『お天道様は見ている。こんなことをしていちゃあ、お天道様に申し訳が立たないぜ』と嘆く人もいた。でも今はそんなことを言う人はいない。」
第五節 子供の困った質問
イエス様は以前AIに尋ねて知ったこの国の神話についてルシフェルに質問しました。
「あのさ、この国を作った男女の神様なんだけど、どうして素っ裸の伊耶那岐命と伊耶那美命がお互いの恥ずかしい前をじっと見てから一つになったの?アダムとイヴなんか恥ずかしい前を一生懸命に隠していたじゃないか。」
ルシフェルは笑って答えました。
「アハハ、そりゃそうだね。古事記については私も良く知らないが、文化の違いかな。異なる文化圏の神話を研究する比較神話学だとどう解釈しているのだろうか?罪を犯す前のアダムとイヴのことなのかな。あるいはシャーマニズムの影響の強い古代人にとってまぐわいは、男女の嬉し恥ずかしの行為ではなく、神に関わる神聖な行為だったかもしれないね。私の知っている解説ではお互いの違いを認め合った上で一つになり、共に生きていく麗しき大和魂とか言う人もいる。これは調和と結合の重要性を象徴しているよね。また大和魂とは物の哀れを知る心とも言う人もいる。理性的で知的な、すなわち男性的な漢心に対して、物の哀れを感じ取る感情的、情緒的な、すなわち女性的な和心が大和魂らしい。でもグローバリズム経済の影響で、今はそんな人はいないよ。」
イエス様はルシフェルの動じない態度に感心し、更に聞きました。
「この前、オイラの妹が生まれたんだ。母ちゃんに『どうして赤ちゃんができるの?』って聞いたんだ。そうしたら母ちゃんは顔を真っ赤にして怒って、引っ叩かれたんだ。『女親に恥をかかせるものではありません』とか喚いていたけど、どうしてかな?」
ルシフェルは答えました。
「えっ、『どうして赤ちゃんができるの』かだって!うん、それはたとえ大哲学者でも大宗教家でも答えられないな。なぜなら赤ちゃんができることへの疑問がWHYまたはWHATだから。それは神でしか答えられないことなんだよ。それに対して赤ちゃんができることへの疑問がHOWだったらどうだろうか。つまり『どのようにしたら赤ちゃんができるの?』。それだったら大人になれば分かることだし、お母さんのマリヤさんも恥ずかしくて答えられないよ。」
ルシフェルは子供の困った質問にケロッとした顔で答えました。それに対してイエス様は笑って言いました。
「アハハ、前にそれと同じ質問をAIにしたら性教育的な回答しかできないんだよ。AIでも人間並みにバイアスがかかった回答をするものだね。」
第六節 神不在のクリスマス
ルシフェルはクリスマスで賑わう東京の夜景を見下ろしてイエス様に言いました。
「ほら、坊やご覧、この国の陽気な人達を。ただうかれるために女友達や仲間と会い、フライドチキンを買う行列に並び、デコレーションケーキにナイフを入れる。神不在のクリスマスなんだ。まあ仏教にしろ、キリスト教にしろ、舶来のカルチャーとして受け入れているのでけしからぬとは言わない。それにしてもこの国の人達はお調子者で仕方がないな。節操がないな。」
イエス様はキャンディをしゃぶりながら言いました。
「ああ、別にそんなのどうでもいいよ。みんな楽しそうで良いじゃないか。」
ルシフェルはイエス様を日本に連れてきたことを悔やんで、心の中で呟きました。
「後年『人の子に枕する所なし』と言っているが、坊やの寂しい生涯を象徴する。今はヨセフさんが世間の矢面に立って坊ややマリヤさんを守っているが、そんなヨセフさんも早くに亡くなってしまう。坊やも十代後半から一家の大黒柱として外に出て働き、心ない人達の言葉から自分がマムゼール(mamzer:私生児)である出自を知るだろう。その多感な青年期に受ける世間からの偏見や非難や侮蔑と差別、また他の兄弟との確執から寡黙な青年になるだろう。いやが上にも貧しき憂いと生くる悩みをつぶさに舐める。そして神の御心を実現しようとして御言葉を伝え、信じさせ、行わせ、救いを与えて地上天国を成して生きてきた。それなのに最期は無実の罪で逮捕され、十字架につけられて殺される。どこにも地上に自らの居場所がなかった生涯。せめて子供の時だけは楽しい思い出を作ってあげたい。」
ルシフェルは気を取り直してイエス様に言いました。
「それでは坊や、最後のクリスマスサプライズを坊やにプレゼントしよう。これから第二の天まで飛ぶよ。」
第七節 神は見当たらなかった
イエス様を乗せた鷲は東京スカイツリーを飛び立ち、上空へと羽ばたきました。鷲は対流圏、成層圏、中間圏、熱圏を超え、外気圏に達しました。鷲は高度八百キロメートルを周回する人工衛星の太陽電池パドルの支柱に足を止めました。ルシフェルは地球を見下ろしてイエス様に言いました。
「ほら坊や、この地球をごらん。これこそが神の最高傑作!放蕩息子の人間のために神が分け与えた財産。生命が殆ど存在しない死のような宇宙において、神の一点豪華主義の被造物である命溢れる惑星。神の造化の妙に対して私はどのように賛美すべきであろうか。」
宇宙の無限の闇、畏怖を感じさせる闇の中で、青く輝いている地球の大気と立体感のある白い雲がパノラマのように広がっていました。イエス様は言葉にならない思いで胸が一杯になり言いました。
「これは本当にすごい!オイラ思うんだ。宇宙の賑やかな静寂の中で語りかける神の囁き声、宇宙飛行士達は何を耳にしたのだろうね。『私はまわりを見渡したが、神は見当たらなかった』とは寓意を含んだ言い方だね。」
ルシフェルはイエス様に感心して言いました。
「うん坊や、なかなか勉強熱心だ。私がいない間にスマートフォンでエリエゼル君から聞いたね。それは旧ソ連のゲルマン・チトフの言葉だ。当時のレーニン主義は宗教を否定しているので、チトフが訪米した時にシアトルで記者団に向けて放った政治的な思惑の発言とされる。それにしても無神論者の発言にしては奥ゆかしさがあるよね。神は見当たらなかったと言っているだけで、神は存在しなかったと断言していないから。そしてまさに坊やの言うとおり、人間は神の囁き声を聞くことができるが、隠れた所におられる神の顔を見ることはできない。神を見て、なお生きている人はいないんだ。しかしモーゼは神の後ろ姿を見ることができた。人は苦難の時に自己憐憫の情に陥り、自分自身を見つめてくださる神ばかりを求める。しかし神は後ろ姿を向ける。これにがっかりしてはいけない。失望する者を見ているだけの神ではなく、その反対の方向を見ている先に導こうとされる神だから。」
第八節 見えないものに目を注ぐ
イエス様は周りを見渡し、不可解な面持ちで言いました。
「あれ、宇宙空間は真っ黒なのに星が一つも見えないや。どうしてなのかな?アポロ計画の月面写真で星が写っていないのはやらせでなかったんだ。」
ルシフェルは白くギラギラとした巨大なエネルギーの塊である太陽を指して答えました。
「ああ、それは地上の昼間に星が見えないのと同じさ。強い光の中では坊やの瞳孔が縮み、光量を絞るため星が見えないんだ。カメラもまた然り。露出オーバーせずに撮影するには、露出時間を短くし、光量を絞るため星が写らないんだ。」
ルシフェルは翼を広げてイエス様を覆い、翼の間から宇宙空間を見るように促しました。翼の影で目が慣れたイエス様は納得して言いました。
「ああ、本当だ、ちゃんと星が見える。大気がある地上とは違って、星は瞬かないね。それに本当に宇宙空間は真っ黒だ。真っ黒だからダークマターって言うのだろうか?」
ルシフェルは答えました。
「正確に言えば、宇宙空間は黒ではなく透明なんだ。黒潮は透明度が高いので太陽の光があまり反射せず黒く見えるのと同じさ。これは人間も同じで、純粋な人ほど暗い感じに見える。また宇宙物理学ではこう言われている。原子からできている物質は宇宙全体のわずか四パーセントで、残り九十六パーセントはダークマターなどの正体不明の物質から成り立っていると。
また目には見えないダークマターは母親のような存在なんだ。ダークマターの巨大な重力の影響で星や銀河が誕生し、源泉たる有の場とも言われている。それは目には見えないけれど大きな働きをしている精霊と同じなんだ。精霊(πνεῦμα:プネウマ)は目には見えないけど、その働きは見ることができる。風(πνεῦμα:プネウマ)は思いのままに吹く。我々はその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くのかを知らない。しかし枝の動きから風が吹いていることが分かる。見えないものは永遠に存続する。」
第九節 なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?(Why is there something rather than nothing?)
イエス様は一つの疑問をルシフェルに投げました。
「ダークマターがその働きから源泉たる有の場って言う話は分かるけど、どうして宇宙にはダークマターがあるんだい?」
ルシフェルは思案投げ首して答えました。
「ああ、それ、私には分からないよ。存在論のテーマを突き詰めると何もないのではなく、なぜあるのかに収束するんだ。この問いを求めると無限後退が生じるだけで、そこから答えは得られない。存在の根拠についてより基盤的なレベルの原理でそれを説明しても無理なんだ。たとえばダークマターが有の場であるが、何故宇宙にダークマターが存在したのか?更にビッグバンにより宇宙が始まったが、何故ビッグバンが存在したのか?最終的には神が被造物を創造したが、何故神が存在したのか?」
イエス様はヘブライ文字ベートの(ב:bēṯ)の前にあるアレフ(א:ālep̄)についてルシフェルに問いました。
「ところでおじちゃん、オイラAIからタルムードについて知ったのだけど、こう書いてあるよ。『文字ベートは前方以外はすべて閉じている。従って、君は上には何があるのか、下には何が、先には何が、後には何があるのか、と詮索してはならないのであり、宇宙が創造されたその日以後のことだけを考察すればよいのである』と。これっておじちゃんどう思うの?」
ルシフェルは感心して言いました。
「へえ、そんなこともエリエゼル君から聞いたの?タルムードと言ったら坊やが生きていた時代の後世に編纂されたものだよ。これは世界の創造について書かれた創世記の最初の文字が、なぜベートという文字から始まるのかという問いに関するものだね。ちなみにヘブライ文字は頭からアレフ、ベート、ギメルと続く。具体的にヘブライ語の創世記一章一節をだと『בְּרֵאשִׁית בָּרָא אֱלֹהִים(ベレシート・バラー・エロヒーム:始めに、神は創造された)』と記述されていて、ベートの(ב)から始まっているね。そもそもユダヤ教の内部では、このような存在論の問いを投げることはある種のタブー、不道徳な行為として戒められてきた。これは存在の問題について本当に追求を始めると、素朴な宗教的な説明ではとても納得できなくなるんだ。例えば神が何故いるのか?神がいるとしてもその神が世界を創ったなら、何故苦しみがあるのかと言った問題がそうだ。そうした論理的問題から不信仰を引き起こしやすいためだから戒めている。これはラビ達の間における典型的な態度で、ユダヤ教では形而上学的な思索よりも日々の実践に重きを置く宗教なんだ。仏教哲学でも思議べからずの不可思議でスタンスが一貫している。カトリックのパパ様に至ってはおっかない顔をしてこう言っている。『ビッグバン以後の宇宙の進化を研究するのは大いに結構だが、ビッグバンそのものを探究してはならない』と。
あっ、そう言えば前にお父さんのヨセフさんから聞いた話を思い出したよ。昔ラビに坊やを預けたんだけど、生意気で反抗的な態度で家に帰されたと聞いたよ。まったくしょうがないね。本当に三つ子の魂百までもだ。これじゃ将来サドカイ派とパリサイ派の人達と悶着があるのも無理はない。」
イエス様は憮然とした表情で答えました。
「ああ、そうだよ。ラビは本当に紋切り型で、堅くて退屈でイヤになっちゃうんだ。これは婦人のスカートの中のアレフを考えるのは不道徳だと言っているのと同じさ。この手のアレフに関する思弁は次の三つによるものだとオイラは考える。つまりスカートの中に何があるのか?何かありそうで何もないのか?または何もなさそうで何かがあるのか?それともアレフを妄想して他人の妻を見る者は誰でも既に心の中でその女を犯かすことになるのだろうか?うーん、ここまで来れば倫理上の問題だな。」
ルシフェルは笑って言いました。
「アハハ、それは本当に不道徳だ。たとえ自分の奥さんだとしても、彼女がとんでもない堅物であればビンタをくらうかもしれない。しかし人倫に悖らないベートとアレフについての思索に関して、私見だけどそんなに悪くはないと思うよ。むしろ神はそのような謎を問われ、神と会話し論ずることを望んでいる。
まず一つ目にベートに関する思索を見てみよう。多くの科学者がベートに関して十ある謎の内一つの答えを導き出している。しかしその答えからまた十の謎が生まれる。結局、神の奇しき指の御業を賛美するしかないんだ。そしてここまで完成された宇宙の蓋然性の高さから考えても、超自然の存在であるサムシング・グレートを否定することは難しい。もちろん科学者の中にも宗教者の言う絶対的存在者である神を個人的に想定する者や、汎神論的立場をとる者が多い。また神が創った世界に苦しみや悲しみがあることに絶望し不信仰に陥った人に対しては、神は寄り添い、その悲しみや痛みを分かち合いたいと望んでいるんだよ。
二つ目にアレフに関する思索を見てみよう。少数ながらアレフに関して思索する科学者もいるが、もうここまで来れば神不在の科学的神話にしか過ぎないし、まさに蟷螂の斧でしかない。しかしこれに対して神は沈黙している。これはコウノトリが赤ちゃんを運んでくると言っている子供と同じだ。まともな親なら微笑んでいるだけで、本当のことは子供に教えない。たとえ積極的な性教育を施しても子供には理解できないからね。もし子供が理解したとしても、お父さんとお母さんが仲良く裸でお相撲を取っているぐらいであろう。神も同じで人間の知性や悟性を超えたことを語らない。それは人間には到底理解できないことだからね。たとえその真理の片鱗に触れることができても発狂してしまうから。神はただ人間のアレフに関する思索に対して微笑んで沈黙しているだけなんだ。もっとも神について正しく語らない場合、神はつむじ風の中から胴間声で沈黙を破る。『地の基を我が置きたりし時汝は何處にありしや』と。
私もいくつか宇宙のアレフに関する論文に目を通したけど、とても退屈で読めたものじゃない。アフレを語る場合、科学者は先ず詩人であるべきだと思うよ。科学の知識がない旧約の聖書記者はどうであろうか。彼らの霊感によって語られる宇宙観は驚くほど正鵠を射る。曰く『彼は北の天を虚空に張り、地を物なき所に懸け給う』と。また曰く『汝光を衣のごとくに纏い、天を幕の如くに張る』と。更に曰く『諸々の天は神の栄光を顕し、穹蒼はその手の業を示す。この日言葉をかの日に伝え、この夜知識をかの夜に送る』と。」
第十節 明けの星は相共に歌い、神の子たちはみな喜び呼ばわった
そしてルシフェルは感嘆して言いました。
「私は長く地上で暮らしているが、人間に失望し、何もかも嫌になることもある。そう言う時は地上を離れ、この第二の天まで昇って地球を見る。この地上の罪の重力圏から解放された所から見る地球の美しさは天地創造時と変わらない。神の天地創造のかの時を懐かしく思うよ。
そして神の創造の偉大さは、神自ら語ったカバとかワニの自慢話を聞くまでもない。まさにこの広い宇宙でさえ神の壮大な詩篇の一節にすぎないんだ。この最小単位の宇宙であるユニバース(Universe)は多くのユニバースの集合であるマルチバース(Multiverse)で章として包括されている。更に多くのマルチバースの集合であるオムニバース (Omniverse)へと詩篇は綴られている。」
ルシフェルは感極まって叫びました。
「いと高き処に神の栄光、地においては御心に適う人々に平安。アレルヤ(Alleluia)!」
するとたちまち、夥しい天の軍勢が現れ、神の栄光が二人を巡り照らしました。真っ黒な宇宙空間は光に満ち満ちて、天使達はルシフェルと一緒に神を賛美し、奇しき神の御業を歌い交わしました。ルシフェルはイエス様にこのシャカイナグローリー(Shekinah Glory)を説明しました。
「これが坊やのクリスマスサプライズだ。毎日がクリスマスだと言う天のお目出たい仲間達と、坊やの熱狂的なファンだと言う天の愉快な仲間達に来てもらったんだ。いいかい、これだけは忘れないでいて欲しい。坊やは決して一人ではないんだよ。それと人間達へのクリスマスサプライズを私は来年のクリスマスで目論んでいる。坊やの名をクリスマスの日に知らしめてやろう。」
暫くして歌が終わり、天使達が二人を離れて天に帰りました。天使達は手を振り、二人の名を呼ばわって消えました。イエス様は落胆して言いました。
「あっ、みんな消えちゃった。せっかくオイラのキャンディをあげようかと思っていたのに。」




