第7話 魔女と、王都の沈黙
ジリジリと、森の縁が白く焼けている。
地面はひび割れ、立ち昇る陽炎が視界を歪ませていた。
二千名もの魔導師たちが整列しているが、誰一人として動こうとはしない。
なぜなら――目の前の「あの方」の機嫌が、すこぶる悪いからだ。
「……暑いわね」
スレイア・フォン・クラウエルは、苛立ち紛れに足元の小石を蹴り飛ばした。
豪奢な法衣は見るからに暑苦しく、自慢のピンクブロンドの巻き髪も汗で首筋に張り付いている。
「最悪。この繊細な美肌が日焼けしたら、誰が責任取ってくれるのよ……」
背後に控える二千名の『蒼月魔導師団』は、石像のごとく直立不動を貫く。
誰も、相槌すら打たない。打てない。
「あ、そうだ」
「あればいいのよ」
彼女は優雅に指先を空へと滑らせた。
複雑な氷のルーン文字が、流星のように展開される――。
ズゴゴゴゴゴォォッ!!!
大地が爆ぜ、高さ数十メートルにも及ぶ「氷晶の巨大門」がせり上がった。
一瞬にして周囲の熱気が吹き飛び、冷涼な空気が広がる。
「ん~っ、これよこれ! 生き返るわぁ」
猫のように気持ちよさそうに肩を回す。
「――スレイア様」
副官のルーシーが、引きつった声で告げた。
「そ、総帥が高速で接近中! しかも……えっ? 単独です!?」
「……はあ!?」
スレイアが素っ頓狂な声を上げて固まる。
「待って、セリーヌが!? あの子、攻城戦の指揮中じゃないの!? なんでこっち来てんのよ!!!」
スレイアは頭を抱えた。
「ヤッッッバイ!! マジでヤバイって!!」
「よりによってこんな『避暑地』見られたら――!!」
スレイアは慌てて氷門を消そうと腕を振る。
だが、焦りが魔力制御を狂わせた。
パリーンッ――!!!
轟音と共に、巨大な氷の門が空中で破裂した。
億千の氷の刃が、凶器の雨となって味方の頭上へ降り注ぐ。
『『『終わった……』』』
――その刹那。
彼方の空で、銀光が閃いた。
セリーヌは減速しなかった。
ただ、流れるように片手を掲げ、軽く振るっただけ。
ヒュン。
空を埋め尽くしていた氷の刃が、一瞬にして蒸発した。
音もなく。
スレイアの口元がヒクリと引きつった。
(あの女……相変わらず化け物じみてるわね)
ドォン!
黒い影が着地する。
土煙の中から、鬼の形相をしたセリーヌが現れた。
「あ、あはは……セリーヌ、久しぶ」
ゴチンッ!!
「いったぁぁぁッ!?」
容赦のない手刀が脳天に炸裂する。スレイアは涙目で頭を抱えた。
「この大バカ者! 何をしている!」
セリーヌがスレイアの額を指でぐりぐりと突く。
「待機命令は出した。だが、誰がリゾート気分で涼めと言った!」
「だってぇ……暑かったんだもん……」
後ろで見ていた二千名の部下たちは、必死に笑いを堪えていた。
いつもの光景だ。この二人相手では、誰も口を挟めない。
スレイアは額をさすりながら、さらに言い訳を重ねようとして――止まった。
セリーヌの顔色が、おかしい。
いつもの冷徹さの奥に、泥のような疲労と焦燥が見える。
「……何か、あったの?」
セリーヌは一瞬だけ沈黙し、重い口を開いた。
「王都が……毒で機能不全に陥った」
空気が凍りついた。
「致死性は低いが、神経系をやられる。呼吸困難を引き起こす毒だ」
「老人や子供は……恐らく、長くは持たない」
森を吹き抜ける風の音が、やけに大きく聞こえた。
「フィリスが搬送を進めている」
「スレイア。……お前の力が必要だ」
スレイアの瞳の色が変わった。
軽薄さも、我儘も、遊び心も――全てが消滅する。
「毒……? あんたらしくない手口ね」
セリーヌは視線を逸らさなかった。
「あぁ、分かっている」
「説明は後でする」
二人は無言で視線を交わした。
やがて、スレイアが呆れたように息を吐く。
「……たく、しょうがないわね」
彼女は踵を返した。
揺れるピンクの髪が、戦場における「旗印」へと変わる。
「――全軍、聞きなさい!!」
二千の魔導師が一斉に背筋を伸ばす。
「副官四名は、各四百を率いて城内へ! 中毒者の治療に当たれ!」
「残りは私に続け!」
胸元の巨大な輝石がまばゆい光を放つ。
「目標、貴族街!」
「投毒の発生源を叩き潰すわよ!」
「一般市民への被害は許さない。――ドジを踏んだら、私が直々にシメるわよ?」
『『『イエス・マム!!!』』』
地鳴りのような返答。
膨大な魔力が潮のように膨れ上がり、蒼月魔導師団が濁流となって動き出す。
セリーヌはその背中を見つめていた。
その瞳に、初めて安堵の色が浮かぶ。
「……頼んだぞ」
スレイアは振り返らなかった。
ただ、ヒラリと手を振る。
「はいはい、任せなさい」
「次は……一人で抱え込んだら、本当に怒るからね」
ドオォォォンッ!
緋色の流光が空へと駆け上がる。
一直線に、王都へ向けて。
森に再び静寂が戻った。
残されたのは、セリーヌただ一人。
風が黒髪をさらう中、彼女はじっと王都を見つめ続けていた。
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