第18話 緋色の舞踏会
監獄の通路は、湿った冷気に満ちていた。
エドは薄暗い回廊を疾走する。
石壁に反響する足音は、追手のものか、それとも監獄そのものの鼓動か。
(外で……何が起きてるんだ?)
先ほどの、空を引き裂くような轟音。
地下深くまで伝わってきた振動で、天井からパラパラと砂塵が落ちてくる。
だが、何より異様なのは――「音」だ。
戦闘音ではない。
悲鳴だ。
喉の奥から無理やり引きずり出されたような、ねじれた絶叫。
エドは足を緩め、角から慎重に様子を窺った。
通路の先、無数の人間が折り重なるように倒れている。
囚人服の男たち、そして青い法衣を纏った魔導師の少女たちまでもが、頭を抱えて蹲り、震えていた。
まるで、見えない巨人の手で地面に押し付けられているかのように。
「おい! 何があった!?」
エドが駆け寄る。
少女の一人が、縋るように彼の上着を掴んだ。指が白くなるほど強く。
「だ、団長……やめて……」
途切れ途切れの声。まるで水底で喋っているようだ。
エドの心臓が早鐘を打つ。
団長?
――あの、いつもヘラヘラと笑っていた桃髪の魔女か?
◇
外は、地獄絵図と化していた。
ゴロゴロゴロ……。
雷鳴が唸る。
空は不吉な緋色に染まり、極光のように歪んだ雲が、天穹に開いた傷口のように蠢いている。
広場では、全ての人間が頭を抱えて絶叫していた。
貴族たちは白目を剥き、口から泡を吹いて呪詛を吐き散らす。
魔導師団の少女たちも苦悶の表情で、必死に一人の女性へと手を伸ばしていた。
「団長……止まって……ッ」
だが、彼女には届かない。
スレイアはスカートの裾を摘み、地を這う貴族たちに向かって、優雅に一礼した。
完璧なカーテシー。
そこが雷鳴轟く監獄ではなく、王宮の舞踏会場であるかのように。
「では、皆様がこれほど熱烈に懇願されるのでしたら――」
彼女はくるりとターンし、空中で硬直させられている看守たちへ向き直る。
全身から溢れ出す緋色の光。
それは薄衣のようであり、同時に血の月光のようでもあった。
彼女は艶やかに唇を舐めた。
その瞳は慈愛に満ちていたが、温度だけが欠落していた。
パリンッ。
看守たちの体に、亀裂が走る。
爆発ではない。
まるで陶器の人形を、見えない指先がゆっくりと「剥がしていく」かのように。
「ご安心を、淑女の皆様。今お感じになっている苦痛は、あの方々のものですわ」
「だから――存分に想像なさって。その痛みを、この者たちに返してあげればいいのよ」
悲鳴が空気を引き裂く。
直後、スレイアの氷のような瞳が、一塊の肉集団――ラフニを捉えた。
「ですが……この畜生だけは、私が踊り相手になりましょう」
彼女はラフニを見下ろす。
「壁の中に埋められた人々……えぇ、全て見せてもらったわ」
ラフニがガタガタと震え上がる。
グシャァッ!!
ラフニの身体が、一瞬でひしゃげた。
だが死なない。
次の瞬間、何らかの力が作用し、無理やり「復元」される。
くしゃくしゃにされた布を、アイロンで強引に伸ばすように。
破壊と再生の無限ループ。
それは、あまりにも優雅で、残酷なショーだった。
「総員……精神統一ッ!!」
副官のアリシアが唇を噛み切り、痛みで意識を覚醒させる。
「団長を止めるのです!!!」
副官の檄を受け、少女たちが決死の覚悟で立ち上がる。
詠唱。
スレイアの周囲に幾重もの魔法陣が展開する。
炎、氷錐、雷撃。数十の攻撃魔法が同時に放たれた。
スレイアは振り返りもしない。
ただ、背中で語るように呟いた。
「――お行儀よく寝てなさい」
ブォン。
少女たちの体を、緋色の光が包む。
次の瞬間。
魔法陣も、詠唱も、動きさえもが消失した。
全員が糸切れた人形のように崩れ落ちる。
監獄の入り口、その影の中。
エドは立ち尽くしていた。
喉が張り付き、息ができない。
(これが……あいつの力?)
彼は、ラフニを包む緋色の光を凝視していた。
破壊され、また元に戻る肉体。
(あいつ、今……あの女の体を『治した』のか?)
狂おしいほどの希望が、脳裏を過る。
(なら、師匠たちも……もしかして……?)
村人たちの素朴な笑顔。
夕陽の下での剣の稽古。
薬草を摘むタリア姉さんの背中。
「ッ……」
エドは奥歯が砕けるほど噛み締めた。
違う。
(そんな使い方は……させないッ!)
(そんな奇跡みたいな力を……こんなゴミクズのために浪費してたまるか!)
胸が焼けるように熱い。
彼は飛び出した。
地面に転がっていた剣を拾い上げ、空中の緋色の背中へと疾走する。
「やめろォォォッ――!!」
スレイアが流し目で彼を見た。
羽虫を見る目だった。
手首が返る。
緋色の光がエドを捕縛しようと襲いかかる。
身体が固まる。動けない。
だが、光に飲まれる直前――。
エドは手にした剣を、渾身の力で投擲していた!
ヒュンッ――
銀閃が空気を裂く。
ドスッ。
スレイアの表情が、初めて揺らいだ。
彼女が視線を落とす。
左肩に、剣が突き立っている。
精神圧の波が、一瞬だけ途切れた。
地面の魔導師たちが大きく息を吸い込む。
空の赤色が、刹那、停滞する。
「……坊や。舞台に勝手に上がるのは、マナー違反よ」
スレイアが虚空を掴む動作をする。
グンッ!
世界が反転した。
見えない手に首を掴まれ、エドは高々と吊り上げられる。
目の前にあるのは、よく知っているはずの、けれど全く知らない他人のような瞳。
(なんで……赤色になってんだよ……?)
「目ェ、覚ませよ……ッ」
喉を締め上げられながら、エドは絞り出すように叫んだ。
「お前にはそんな力があるのに……っ! なんでこんな下らないことに使うんだよ!!」
指の力が強まる。
視界が黒く塗りつぶされていく。
意識が沈む。
(死……ぬ……)
その時。
闇の中で、エドの体内から暗赤色の電弧が迸った――。
ドォォォォンッ!!!!
巨大なエネルギーの奔流がスレイアを弾き飛ばす。
エドは糸の切れた操り人形のように転がり落ち、意識を手放した。
砂煙が舞う。
その遥か上空。
黒髪の女性が、浮いていた。
吹き荒れる暴風雨が、彼女の前でだけ避けていく。
スレイアが引き起こした天災すら、彼女の前ではそよ風に過ぎない。
戦場に降臨した裁定の神。
彼女の眼光が、眼下のピンク髪の少女を射抜く。
絶対零度の冷徹さで。
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