第11話 そいつに触るな
第十一話 そいつに触るな
ルグナは這っていた。
感覚の消えた下半身を引きずり、一寸、また一寸。絨毯の上に、赤黒い跡が伸びていく。
見上げた先に、宙吊りにされた母の背中があった。
そして——エドの横顔。こちらを見ていない。何も見ていない。
カチカチと、歯の根が鳴る。
ようやくエドの足元まで辿り着き、額を床に擦りつけた。
「た、頼む……頼むよぉ……ッ」
「金ならやる! 地位だってやる! 何だってくれてやる!!」
「だから助けてくれよぉ……お前が望むなら、僕は何だって——」
言葉が崩れ、鼻水と血の混じった嗚咽に変わった。
エドは見ない。
視線は虚空に向いている。ここではない、どこか。
ルグナが涙目で顔を上げた。目が合う。
暗い。
その奥で、何かがどろどろと燃えている。
既視感が走った。四年前、泥の中で踏みつけていたあのガキ。泣き叫び、命乞いをしていたあの子供と——今の自分が、同じだ。
「……母親を助けてほしいか」
エドが口を開いた。静かな声だった。
「俺の師匠も、タリア姉さんも、そう言った」
「俺はあの時、お前らの足元に跪いて、額を割って、泣いて、喚いて——慈悲を乞うた」
エドの手が、アタナディの喉元を握り込む。ミシミシと音がした。
「で、お前らはどうした? 止まったか? 一度でも哀れんでくれたか」
「カハッ……ア、ガ……ッ」
アタナディが濁った音を漏らす。エドは聞いていない。
「——邪魔だ」
ドォンッ。
蹴りがルグナの顔面を捉え、壁際まで転がした。
「覚えてるか。お前らは俺にあれを見せつけた後、こうやって外へ蹴り出した」
「俺が目を覚ました時、見えたのは——火の海だったんだよ」
短剣を握る手が、ギリギリと鳴った。
ルグナは悟った。
「やめろ……ッ!」
動かない足を引きずり、手を伸ばす。
「やめてくれェェェッ! ママを傷つけるなァァァ!」
エドは見下ろした。
「……味わえよ」
「一番大切な人間が、目の前で死ぬ苦しみを」
ザシュッ——。
一閃。アタナディの頸動脈が裂けた。
「ママァァァァァァッ!!」
鮮血がカーテンのように噴き出す。エドの顔を、服を、世界を赤く塗り潰していく。
崩れ落ちていく「それ」を、エドは見ていた。
指先が、微かに震えている。
ふいに、目を閉じた。
木漏れ日。木陰で手招きする師匠の背中。逆光の中で笑うタリア姉さん。
——目を開ける。
血の匂い。冷たい空気。それだけが残っていた。
「母上……母上ェェェッ!!」
ルグナが血の海を這い、手を伸ばす。
冷たくなる前に触れたい。最期に一度だけ。
指先が、母の指に届きかけた——その瞬間。
ドガァンッ!
「がはッ!」
左足が、ルグナの胸板を踏み抜いた。肋骨が折れる音。蹴り飛ばされ、母から引き剥がされる。
エドの目に宿っていたのは、怒りではなかった。
凍りついた拒絶だった。
「——そいつに触るなァ!!!」
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