第10話 血染めの風鈴
あの地名が、スレイアの思考を四年前へ引きずり戻した。
(聖・ポカドス山脈の辺境……タリア……)
浮かんだのは、ルーシーの顔だった。いつも太陽みたいに笑う彼女が、生涯で一度だけ見せた顔。
四年前。連絡が途絶えた村へ急行した時、そこにはもう何もなかった。家は灰になり、空気には炭の臭いだけがこびりついていた。
ルーシーは狂ったように瓦礫を掘り返していた。爪が剥がれても、喉が枯れても、妹の名を叫び続けていた。
そして裏山で見つけたのだ。数百の、小さな土の山。粗末な板切れに、震える文字で名前が一つ一つ刻まれていた。
ルーシーは『タリア』と彫られた板を抱きしめて、獣のように泣いた。
スレイアは、ただ背中越しに見ていた。あの墓を一人で全部作った「誰か」のことを、想いながら。
(あの子だったのね……)
(四年。たった一人で)
ドオォォンッ!
アタナディ侯爵邸の前庭に、土煙を巻き上げて着地する。
正門から本邸への道に、数十名の私兵が転がっていた。首のない死体。だがその間に——まだ息のある者もいる。白目を剥き、四肢を痙攣させている。毒だ。
足元で、護衛らしき女が呻いた。焦点の合わない目が、屋敷の奥を指す。
「た、助け……」
スレイアは舌打ちし、掌に治癒の光を灯した。
「動くな。死にたくなきゃ大人しくしてなさい」
屋敷の奥から漏れる殺気が、肌を粟立たせる。スレイアは砕けた扉の先を睨んだ。
◇
アタナディ侯爵邸、最奥の間。
薄暗い。タペストリーが窓を塞ぎ、燭台の炎だけが空気を揺らしている。
「か、母上……助けて……殺してよぉッ!!」
尻餅をつき、股間を濡らしたルグナが泣き喚いている。
その前に立ちはだかるのは、銀の軽鎧を纏った長身の女。アタナディ侯爵。
長剣を構える姿にかつての威厳はあるが、剣先が震えていた。毒が全身を蝕んでいる。意志だけで立っているのだ。
対面に、エドが立っている。
構えはない。棒立ちだ。
だが、服は幾重にも血を吸って黒ずみ、腰には数個の首級がぶら下がっている。動くたびに、それがゴロリと揺れた。
「この……下賤な野良犬が……ッ!」
アタナディが剣を突きつける。
「名を名乗れ!」
「野良犬?」
エドが首を傾げた。短剣をだらりと下げたまま、間合いを詰める。
「四年前。そこで震えてるクソガキと、その仲間が俺の村を焼いた時も、そう呼んでたな」
次の瞬間——エドが消えた。
視界からコマが落ちたような加速。アタナディの本能が、思考より先に剣を振る。
ギィンッ!
喉元で短剣と長剣が噛み合い、火花が散った。腕力で弾き返す。少年の胴がガラ空きになる。
好機。残る全力を込めて、脳天へ振り下ろす。
エドは退かなかった。
短剣を逆手に構え、半身になる。
——カァンッ。
殺しきれない重撃。軌道が逸れ、左肩に深々と食い込んだ。骨が断たれる音。血飛沫。
エドは、眉ひとつ動かさない。
剣が刺さったまま、さらに前へ踏み込んだ。
ジャリッ。肩に食い込んだ剣身を滑り台にして、短剣が走る。
ズバァッ——!
「がッ……!」
アタナディの左腕が、肩から肘まで裂けた。鮮血が噴く。退く間もない。
エドはすでに背後に回り込んでいた。左足が鞭のようにしなる。
ドォンッ!
ルグナが壁に叩きつけられ、崩れ落ちる。
「ルグナッ——!」
母の目が、息子へ向いた。
一瞬。
その一瞬で、エドは懐に入っていた。刺さったままの左腕で両手首を掴み、右手の短剣を振り上げる。
叫びはない。表情もない。
ヒュン。
宙を舞ったのは、長剣を握ったままの二つの手首だった。
「アアアアアアアアアッ——!!!」
女武神が、自らの血の中に崩れ落ちた。
「母上ェェェッ——!!」
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