第9話 『復讐者』の正体
【ファリナ侯爵邸、主寝室。
血と排泄物の臭いが充満する部屋の隅で、ファリナ夫人が布団にしがみついて震えていた。
かつて社交界で名を馳せた姿は見る影もない。
スレイアは一瞥しただけで視線を外した。
「……これが男を踏みつけて悦んでいた『女王様』の成れの果て?」
窓の外を見下ろす。
芝生には、首のない死体が並んでいる。
だが、ルブランカ邸とは様子が違う。
(コモフの遺体……四肢があらぬ方向に曲がってる。何度も殴られた痕だわ)
スレイアはベッドへ戻り、女の肩を掴んだ。
「犯人はどんな奴だった? 特徴は?」
「声は? 体格くらいは覚えているでしょ」
その問いが引き金だった。
女は弾かれたように頭を抱え、絶叫した。
「ヒッ、イヤァアアアアアアアアッ!!!」
「来ないで! 私じゃない! 私は悪くないッ、お助けをォォォ――ッ!!」
鼓膜をつんざく金切り声。
女は錯乱し、腕を振り回して暴れる。伸びた爪がスレイアの頬を掠めそうになった。
「チッ」
スレイアは不機嫌に舌打ちした。
「うるさい」
パチン。
指を鳴らす。
スレイアの金色の瞳が一瞬、妖しく緋色に明滅した。
悲鳴が唐突に途切れ、夫人は糸が切れたようにベッドへ崩れ落ちる。
「だ、団長!?」
「気絶させただけよ。死んでないわ」
スレイアは鬱陶しそうに手を振った。
「この状態で尋問しても時間の無駄。騒音公害だわ」
彼女は右手をかざす。
人差し指と中指を、夫人の濡れた額にトン、と当てた。
「直接見せてもらうわよ。あんたをここまでビビらせたのが……どこのどいつなのか」
「――『記憶潜行』」
ブォン……。
緋色の魔法陣が無音で展開する。
回転する緋色の蓮華のように、術式がファリナの意識の深淵へと沈み込んでいく。
スレイアは瞼を閉じる。
世界が反転し、闇が降りる。
直後、視界が赤く染まった。
ファリナの震える記憶の断片。
そのノイズ混じりの映像の中に、犯人の姿が鮮明に浮かび上がった。
三つ首の怪物でも、異形の悪魔でもない。
そこにいたのは――ただの、人間の少年だった。
痩せこけた体躯。
全身を返り血で真っ赤に染めている。
まだ年若いその少年の瞳は、しかし、地獄の底から這い上がってきた亡霊のように虚ろで、暗かった。
少年は手慣れた動作で、切り落とした「首」を腰のベルトに結びつけた。
まるで市場で買った仮面でもぶら下げるような、日常的な手つき。
そして、少年はゆっくりと振り返る。
光のない、けれど奥底でどす黒い狂気が渦巻く瞳が、倒れ伏すコモフ子爵を見下ろしている。
『久しぶりだな……コモフ様』
少年が口の端を歪める。
『あんたは俺のことなんか覚えちゃいないだろ。毎日悪さを繰り返す貴族様だ。俺みてぇなクズなんざ、記憶にも残らねぇよな』
声は低い。
静かすぎるほどに、静かだ。
『四年前。聖・ポカドス山脈の辺境』
少年が一歩、近づく。
『水源に毒を流した』
もう一歩。
『師匠を殺した。村のみんなを虐殺した』
さらに一歩。
『そして――』
少年の声が、唐突に壊れた。
『タリア姉さんを……ッ!!!』
ドォン!!!
鈍器が振り下ろされる。
ドォン!!! グシャッ!!! ドォン!!! ドォン!!!
骨が砕ける。肉が潰れる。
それでも少年は止まらない。止められない。
魂を焼き尽くすような、ドロドロの憎悪が噴き出していた。
しばらくして、少年は動きを止めた。
肩で息をしている。
『……チッ、まだ毒が抜けてねぇか』
少年は忌々しそうに吐き捨てた。
『もっと時間をかけて、たっぷりと絶望を味あわせてやりたかったが……クソッ』
『俺には、まだやることがある』
彼は鈍器を捨て、腰の短剣を抜いた。
手首を返す。
鮮やかな一閃と共に、コモフの首がゴロリと絨毯に転がった。
少年はそれを無造作に拾い上げ、腰に吊るす。
そして、窓辺へと歩き出し――。
風に乗って、呪詛のような呟きが聞こえた。
『ようやく……あんたの番だ』
『――ルグナ・アタナディ!!!』
ブツンッ!!!
強烈な拒絶反応。記憶が強制的に遮断される。
「っ……!?」
スレイアはカッと目を見開き、よろめくように二歩後退した。
「団長!?」
「大丈夫ですか!?」
部下たちが慌てて支える。
(……冗談じゃないわよ)
スレイアの指先が、微かに震えていた。
(聖・ポカドス山脈の辺境……毒による水源汚染……)
(まさか!!!)
全てのピースが繋がった。
「マズい……ッ!」
スレイアは部下を突き飛ばすようにして振り返り、窓枠に足をかけた。
「団長! どちらへ!?」
「総員、聞きなさいッ!」
スレイアの声が、かつてないほどの焦燥と緊迫感を帯びて張り上がった。
「第一小隊は私に続け! 残りは王都の貴族どもの保護を徹底しなさい!!」
「目標――アタナディ侯爵邸!!」
ドォォォォォンッ!!!
緋色の魔力が炸裂する。
スレイアは流星となって空を引き裂き、王都における権力の頂点へと急行した。
後に残されたのは、呆気にとられる魔導師たちと、泡を吹いて気絶しているファリナ夫人だけだった。
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