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星天の座  作者: ハル
セラの目、界の影
5/9

マルグリット

 エレノアは書類の山と、入れ替わり立ち替わり訪れる人々の相手に辟易していた。


 数年ぶりに実施される、王都外壁結界魔術の大規模メンテナンス。纏まらない議論に修正された見積もり、赤字まみれの書類の数々を前に、エレノアはまさしく目を回していた。


 「外壁結界は装飾ではありませんぞ。失敗すれば、王都そのものが無防備になる。実績ある《老舗工房》一択、他はありえません。」宮廷魔術技官のサマエルは首を振りながらそう言った。


 官僚がすかさず「しかし、その“実績”が毎回見積もりを二割三割と上乗せする理由にはならないでしょう」と応じる。「入札制を採らねば、王都予算が特定工房に吸い取られていると批判されかねません。」


 城壁管理局長が見かねて口を挟んだ。


 「またれよ、またれよ!そもそも人手が足りんのです。此度は大きな界溢も発生したとききます。人手はますます厳しくなる。もうすでに、郊外の大規模工房にも手当たり次第声をかける段階でしょう。まずは物量の確保です。」


 魔術と土木を両輪とする一大公共事業を巡って、エレノアの目の前では、元請けとなる魔術工房について議論が交わされ、エレノアはその調整に苦労していた。互いに強まっていく語句と進まない議論にお手上げと言わんばかりに、エレノアがこめかみに手を添え一つ溜息をつくと、従者がエレノアに新たな来訪者を告げた。


 今度は誰かと天を軽く仰ぐと、エレノアはドア付近で待機していた人物に目をやった。


 途端にエレノアがその顔を輝かせる。


 「まぁ!マルト!」


 少女のように声を弾ませると、エレノアは勢いよく立ち上がった。驚く官僚たちを尻目に入り口へと駆け寄ると、マルトと呼ばれた女性の肩を押しながら、彼女は執務室を後にする。


 「エ、エレノア様、よろしいのですか?」


 「いいのいいの、剣を抜くなら衛兵がとめるわよ。頭痛から解放してくれて、助かりました。あなたはきっと勇者様ね。」


 二人はそのまま応接室へと移動した。


 腰掛ける二人の前にお茶の用意をして従者が出ていくと、先ほどの喧騒とは打ってかわり、室内は春の光が差し込む気持ちのよい静寂に包まれた。


 マルトと呼ばれた人物は、濃紺の外套に旅塵を帯びた凛々しい女性だった。貴族的な優美さと、辺境の雄雄しさ、そのどちらをも兼ね備えている。長く少し赤味がかった髪をきっちりと結い、背筋は常にまっすぐとして、瞳にはその心根を表すかのように、曇りがない。


 「会えて嬉しいわ、マルト━━いえ、今はマルグリットと呼ぶべきね。遠いところをありがとう。」


 「お呼びとあらば、何処へでも。」


 一礼とその後の小さな微笑みに、幼い頃の面影が一瞬重なった。


 「道中疲れたでしょう?」


 「いえ、予定では明日到着の見込みでしたが、天候にも恵まれて早く到着することができましたゆえ。しかしお忙しいとは存ぜず、申し訳ございません。」


 「とんでもない、天のお取り計らいね。あのままあそこにいたら、呪文を唱えていたかもしれません。」


 エレノアは口元に手を当てて、鈴を転がすように笑った。


 「さて…」


 エレノアは一口お茶で喉を潤すと、マルトに向き直る。目元が先ほどまでの愛らしいそれから、鋭い宰相のそれへと変わっていた。


 「状況と要件は手紙で伝えた通りてす。加えて悪いことに、グレント島で界溢まで発生してしまいました。聞いていますね?」


 「ええ。中規模の界溢と聞いています。現地はかなりの被害が出ていると。道中立ち寄ったドールにまで、避難民が来るのではと噂されておりました。」


 「そうです。此度の厄災を巡って、臨時の星冠院が明後日より開かれます。おそらく現地にとっては、辛く厳しい決定となるでしょう。ただ、代理摂政となったルークに必要なものがまだ備わっていないのです。」


 エレノアは一拍置くと、少し身体を前に乗りだした。


 「━━改めて、刀直入に問います。

王の傍に侍り、剣と判断の双方を補佐する、王家直属の役職。彗機卿すいききょうの座をあなた任せたいのです、マルグリット。」


 マルグリットは暫しの間、視線を伏せた。


 「これは法に則った、宰相としての頼みです。あなたは辺境の現実を知っている。剣と魔と、政が必要な現実を。あなたはその全てを持ち、そして何よりも、恐怖と、責任を知っている。」


 マルグリットが一つ、呼吸を深くする。


 「…私に、その器があるのかは分かりません。お手紙を頂いて以降ずっと考えてまいりましたが、未だにそれは…ただ、セスティーナ家であなたと過ごした時間が、今の私の全てを形作ってくださった事は事実です。」


 マルグリットが視線を起こし、エレノアを見る。


 「━━正直に申し上げます。他の御仁の申し出であれば、確実にお断りしたでしょう。ですが、他ならぬエレノア様からの進言であることが、この差配が良からぬ野心によるものではなく、王家のためであるという何よりの証左です。」


 エレノアは、その言葉に息を詰めた。


 「……あなたは、変わらないわね。」


 「変わりましたよ。

 けれど、“あなたに応えたい”という部分だけは、昔のままです。」


 一瞬、二人の間に、師と弟子であった頃の時間が戻った。


 「マルグリット。これは、あなたを戦場に立たせる選択でもある。」


 それは忠告であると同時に、己への告発でもあった。彼女は今、かつて自分が守ろうとした若者を、再び戦場へ送り出そうとしている。


 「構いません。」


 即答だった。


 「私は、辺境で生きてきました。

 魔物も、飢えも、盗賊も、遠い話ではありません。王都の争いが、いずれ血となって降り注ぐことも知っています。」


 彼女は、再びまっすぐエレノアを見つめた。


 「ならば私は、ルーク殿下が“王であろう”とする限り、その背を守りましょう。」


 沈黙の後、エレノアは、ゆっくりと息を吐いた。


 マルグリットが静かに立ち上がると、姿勢を正した。胸に手を当て、僅かに身を屈める。そのまま芯の通った声で述べた。


 「謹んで、彗機卿の任を拝命いたします。

 我が身、この命、すべてをもって、

王と王国に奉じることをここに誓います。」


 エレノアはかつて自分が薫陶した少女が、エレノアの中にいるその幼い頃のイメージを壊すのを見た。


 「…ありがとう。ルーク殿下は、正直すぎるお方。きっと貴女のサポートが不可欠となるでしょう。よろしくお願いします、()()()()()()()。」






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