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星天の座  作者: ハル
セラの目、界の影
4/10

礼拝

 礼拝堂は星香せいこうの仄かに甘く清浄な香りに包まれていた。


 天窓からの光は柔らかく、荘厳で静謐せいひつな堂内を慈悲の光の如く照らし、講話を語る司祭の声がこだまする。銀の燭台や祭壇の装飾品が金と銀の輝きを放ち、掲げられている大サークルの縁は鏡のように一部の参列者を写していた。


 「殿下、背筋を伸ばす。それが今日の仕事ですよ。」


 エレノアが隣で耳打ちした。


 後方では多くの囁きが交わされ、その視線を最前列の若者の背中へと向けている。ルークという退屈な日曜礼拝に混じった異物であり、新参者に。「良いですか、見たい者や噂したい者へは堂々と、くれてやれば良ろしいのです、殿下。」後ろの座席にいるゲルハルトが身を屈めるようにして冗談交じりにルークに言った。「殿下の所作、着ている服、全てを夕食の席に持ち帰りたいのですよ。まるで野盗ですな」ゲルハルトはそう言って笑うとまた深く腰をおろした。


 ルークは銀糸の入った黒を基調としたロングコートにシルクのシャツに銀ボタンの黒のベストを被せ、ズボンに銀装飾のブーツという、公式の装いで最前列中央に背筋を伸ばして座していた。


 エレノアは隣に続き、濃紺のドレスに銀のマントを羽織り、首元には細かいサファイアを散りばめたサークルのネックレスを身につけている。彼女は普段通り、目を瞑り祈りを捧げながら司祭の話に耳を傾けていた。政治的、あるいは伝統的に何ら波紋を呼ぶものではないルークの初参列にざわつく人々を「暇を持て余すだけの、野次馬の如き浅ましさ」と評して、静かに相手にしない決意を固めていた。


 後ろに座るゲルハルトとは、この点ではエレノアの態度は一致している。ノキアンテス枢機卿が礼拝前、ゲルハルトに「よく見定めねば」と声をかけていたが、彼に「安心なさい、甥は敬虔ですぞ」と返され、はなじらんでいるのを見て思わず笑いそうになってしまった。


 新しい星が昇り始めるのは当然で、ここに集った様々な人間が其々の地点から、この新星の観測を開始していたが、エレノアやゲルハルトからすれば時期尚早だった。


 本人はどう感じているのかと横目でルークを見ると、美しい姿勢のまま目を閉じ微動だにせず静止している。


 その凛々しい横顔はダンカートを思わせるが、頑な印象を与える王とは違い、ルークにはどこか若さによるものとは別の瑞々しさと柔和さがあった。久々に間近でルークを見たエレノアは、母親であるソフィアによく似てきたと感じ少し驚いた。


 礼拝堂は否が応でも死者へと想いを馳せさせる。

その正直さから、ソフィアとは宮廷内で無二の親友であり、悲観的なエレノアはソフィアの明るさによく救われたのを思い出した。ある日を境に消えてしまったエレノアの中のその星は、今でも大きな空洞として残り続けている。


 「…神の試練には必ず意味があります。それでは、本日はグレント島被災者のために、星香を献じ、冠星ルミゼラの慈悲を願いましょう。」


 司祭の声に、エレノアは過去からの意識を引き戻された。


 静寂に衣擦れの音を響かせてルークが立ち上がると、厳かに祭壇へと歩み出ていった。しばらくして、エレノアがそれに続く。


 ルークの背は大きく、逞しかった。幼少の頃より、ソフィアの死以降、孤独に苛まれぬよう実の子のように接してきた親友の忘形見は、堂々たる風格を纏い始めていて、それが誇らしい。


 ルークが脇に避けると、続きエレノアは祭壇の前に立った。香木のカケラをひとつまみし、祈りの文句を囁く。


「セラの慈悲により我らの魂を清めたまえ…」


 手首を一周させながら香炉へと落とすと、木片が燻る音にならない音と共に香りを立たせた。助祭から渡された杯を受け取り、中の葡萄酒を一口含む。手を合わせて目を瞑ると、爽やかな葡萄酒の香りと星香の仄かな甘い香りが意識から言葉を追い払うと、思考が和らいで祈りへと集中させた。



  ◇



 礼拝が終わり人目が散っていくと、ルークは肩を落とすように小さく息を吐いた。並んで歩いていたエレノアが、「お疲れ様」と軽く背を叩いてその労を労う。


 春先の庭園には花の蕾があちこちにその慎しげな姿を現わし初め、二人は久しぶりに並んで散歩へと赴いていた。


 「上手に出来てたじゃない。練習したの?」


 「ダフネが。始めが肝心だと五月蝿く言うもので。」


 「ふふっ、その通りよ。安心したわ。」


 エレノアが花を綻ばせるように笑った。


 「…毎週あれを行うと思うと気が重かったですが、いざ参列してみると心を沈めるには案外良いものです。」


 「まぁ。あれだけ注目を集めておいてそんな感想が出るなら、あなたの心臓は本当にソフィー譲りね。」


 「そうなのでしょうか。でも人の心は成るようにしかなりませんから。気にしても仕方がありません。」


 「そう、うらやましいわ…。」


 近頃、ルークへの接し方に苦慮していたエレノアはその言葉に刺さるものがあった。


 母のように接するには、彼はすでに十分大人であり、何より王家とそれに仕える家臣の別があった。今後ますます、それは重要となるだろう。


 宰相たる自分は冷静に状況を見定めねばならない。この"鉄剣王子"の異名を持つ青年が、武勇だけではなく王たりえる器を持ち合わせているかどうかを。これからは諸侯はじめ全ての人間が、自分がルークを見る眼差しを監視するだろう。もう親と子のような関係ではいられない。


 「グレント島界溢の情報はまだありませんか?」


 束の間の憂慮が現実的な別のそれに書き換えられた。


 「…えぇ、まとまったものはまだ。ですがすでに規模毎に想定した被害への対応を考えてあります。3日後には臨時の星冠院が開かれるでしょうから、まずはたたき台として。」


 「そうですか。一つだけ、星冠院が終われば、なるべく早く現地入りをするつもりです。」


 エレノアは予想していたこの言葉をすぐさま突き返した。


 「なりません。もうあなたは"鉄剣王子"ではないのです。代理摂政殿下。」


 「あなたならそう言うだろうと思った。でも今は、これについて議論は辞めておきましょう、宰相殿。そういえば、クラリスはお元気ですか?今年から学院でしょう。」


 それほど、曲げる気はないのだろう。


 先が思いやられると、内心溜息をこぼしながらも承知したエレノアは、話題の転換へと乗ることにした。


 「あぁ…そのことは頭が痛いの。オクルスよ。よりにもよって!どうしてもあそこが良いって聞かなくて、本当に変わり者よ。仕方なく無理やりマギカポリスに入れたものだから、今頃私を恨んでいるでしょうね。」


 「流石は"金獅子"とあだ名されることはありますね。」


 ルークはお転婆だったクラリスを想起しながらクスクスと笑った。


 「笑い事ですか。元はといえば、あなたがあの子に熱心に魔法を教えたりするから、のめり込んじゃったんじゃない。」


 「才能があったんですよ、彼女は。」


 「ほんと、余計なことをしてくれたものよね。」


 二人は小さく笑いあった。


 「これはこれは、()()()()()の散歩ですかな?良いですなぁ。」


 声の方を見やると——あるいは、聞き慣れすぎた声が、空気を割って入り込んできた。


 黒のローブに銀糸で獅子の紋章が入った黒の外套を羽織り、その膨らんだ腹部を左右に振り分けながら、ゲルハルト公が歩いてくる。二人の前へ到着すると、丁寧に一礼した。


 「ルーク殿下、此度の礼拝見事でございました。このゲルハルトとしましても、ようやく殿下と共に参列することが叶い、誠に光栄と存じております。」


 「こちらこそゲルハルト大公閣下。アステリア王家の伝統へと私めを暖かく迎え入れて下さり、感謝にたえません。」


 「いやぁそのような、もう結構、結構。可愛い甥っ子と叔父の仲ではないか、今後はもっと気を楽にいこうぞ。それに例え一時にせよ、王家の空隙は見せてはならんからな。今は空いている玉座をしっかりと見張り、いずれ相応しい者を座らせる。そうだろう?儂は今日のお前の堂々たる様を見て、王家は安泰であると胸を撫で下ろしたわい。」


 「恐れ入ります、叔父上。」


 「うむ。おっと失礼、急ぎ用があってな。此度はこれにて失礼つかまつる。エレノア殿も、また星冠院にて。」


 そう言うとゲルハルトは去っていった。


 その後ルークと別れると、エレノアは少し一人になりたい心持ちがして、王宮には戻らずに池のそばに来るとガゼボへと腰を下ろした。ゲルハルトとの先ほどのちょっとしたやりとりを目にして、エレノアは痛む心があるのを感じていた。


 揺れる水面を見つめながら、自分がいつまでも彼を子供扱いすることを、彼が煩わしく思っているのではないか、あるいは、務めて母とは別に愛情を向ける存在として接してきたつもりではあるが、彼からすれば母親面することに嫌気がさしているのではないか、そんな様々な憂慮をつらつらといくつも並べてみたが、どれもしっくり来なかった。


 ただ——これから先、ルークを「殿下」と呼び続けるしかなくなる。その事実だけが、胸の奥に重く沈んだ。


 家族をまた一人失うような、そんな気がしていた。




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