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・第九話

『こっちだよ』

『早く来てくれよ』

『ここにいるよ』

 いくつもの声が、友津の耳に届く。

 そうだ。

 皆がいる。

 きっとこの先に行けば、自分は愛される。

 嫌な事は一つも無い。

 何もかもから……解放されて……

 楽になれるんだ。

 友津は、ふらふらとした足取りで歩いて行く。人の声がはっきりと聞こえて来る。あれは誰なのだろう? まあどうでも良い事だ。近づけばきっと……

 きっと、解るはずだ。

 さあ。

 行こう。

 もうあと少し……いつの間にかふらつきも消えていた。辺りは夜とはいえ、あちこちに街灯があるはずなのに、何の光も無い暗闇が広がっていたけれど、それでもその優しい声は、その闇の向こうから聞こえて来ていた。きっとあの向こうには……

 あの向こうには、光が広がっているはずだ。

 そう思った時だ。

 ぱあっ、と。

 闇の向こうから……

 白い光が……

 友津に向かって、迫って来るのが見えた。そうだ。

 あの光……

 あの中に飛び込めば……


「お母さん!!」


 怒声。

 次いで、手を掴む小さい感触。ぐいっ、と手を引っ張る誰か。

 そのままドサリ、と冷たいアスファルトの上に倒れる。

 その瞬間。

 クラクションの大きな音を響かせながら、一台のトラックが友津の目の前を通り過ぎて行った、運転席から大柄な男性が顔を出し、何事か怒鳴っていたけれど、エンジン音にかき消されて、それは聞こえなかった。

 友津は、愕然と目の前を見ていた。車がうるさい音をさせながら走り去る光景を、ただ見ていた時、腕を引っ張った人物が……

 つまりはあの少年が、正面に回り込んできた。

「何をしてるんですか!?」

 声がする。

 あの少年だ。ずっと穏やかで、優しい口調で話していたのが嘘みたいな、激しく怒った口調で怒鳴りつける。

「……い 今……私……」

 友津は小さい声で言う。

 そうだ。

 自分は今……

 今……

「お母さん」

 少年が言う。

「貴方の事を、呼んでいた奴らを良く見て下さい」

 そのまま少年が、すっと目の前の暗がりを指差す。さっきまで自宅アパートにいたはずなのに、いつの間にか大通り近くまで来ていたらしい、そこには広い道路、建ち並ぶ色々な店、その間の細い道。

 そう。あの日、あの連中に引きずり込まれた場所とよく似た狭い路地。そこに……

 そこに、無数の影が蠢いていた。

 目を凝らして良く見れば、それは人間の手だと解った。いずれもが赤い血に塗れた人間の手、その手から先は見えない……

 否。

 もしかしたら最初から、存在すらしていないのかも知れない。

 それらは友津に向かって手招きをしていたが、やがて友津が近づいて来ない事を理解したのか、それぞれ憎々しげに拳を握りしめたり、無理にでもこちらの方に手を伸ばして友津を掴もうとするかのような動作を見せながら、暗がりの中へと消えて行った。

「あれって……」

 友津は小さく呟く。

「……ろくでもない『もの』ですよ、自分達が死んだのを受け入れられずに、『仲間』を増やそうとしている」

「つまりは……幽霊っていう事?」

 友津は少年に問いかけた。

 そうだ、とも、違う、とも言わなかったけれど、少年はゆっくりと立ち上がる。

「帰りましょう、お母さん」

 少年が言う。

「……でも……」

 友津はじっと……

 じっと、さっきまでいた黒い影がいた場所を見る。

 自分は……

 自分はもう……楽に……

「あそこで」

 少年が言う。

「あの影に連れられて行ったら、貴方は幸せになれましたか?」

「……それは……」

 友津は、返答に窮して俯いた。


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