・第三話
ぴんぽん……
「……!?」
思考の渦に沈みかけていた友津の意識を現実に引き戻したのは、部屋の中に響いた電子音だった。目を開け、電子音が鳴り響いた方を見る。玄関のインターホンだ。友津はズボンのポケットからスマートフォンを取り出して時間を確認する。メッセージのやりとりをする相手もいなければ、電話をかける相手もいないけれど、職場からの連絡を受ける場合などに供えて、仕方無くスマートフォンを持っているだけだ。
時間は夜の十時過ぎ。隣近所にこんな時間に尋ねて来るほど親しくしている人間はいない。そもそも自分の様な人間でも、一人暮らしの女性の家に来る時間では無いだろう。
何かをネットで注文した覚えも無い、それだってこんな時間に来るというのは不自然だ。
友津はゆっくりと玄関へと向かう。
一人暮らしのために家を出て二年ほど。
自分は勉強も出来ず、運動も出来ないせいでろくな就職先も見つからず、小さい会社で細々と仕事をする毎日だ。そういえば職場に、よく自分に近づいて来ては色々と話しかけて来る女性がいたっけ……とはいえその彼女ですら、こんな時間に家に来るとは思えないが……
友津は身構えながら、小さい声で呼びかける。
「はい?」
だが返事は無い。悪戯か? と思った直後だった。
がちゃり……
「っ!!」
友津は思わず身体を強張らせた。自分は何もしていないのに……鍵が勝手に……
そのまま扉がゆっくりと開く。
「ど どうして……!?」
友津は慌てて扉を押さえつけようとする。だがその時既に扉は完全に開いていた。ひゅうう、と冷たい夜風が吹き付けてくる。
その開いた扉の向こう。玄関口にいつの間にか黒い影が佇んでいた。友津は全身を強張らせたままで、そいつを見据える。一体どんな仕掛けなのか……それは解らないが明らかにこれは……
こいつは、まともな人間じゃない。
「誰!?」
友津は、警戒心をむき出しにして問いかける。
だが黒い影は何も言わない。黙ってそこに佇むだけだ。
そいつの顔をじっと見る。外は真っ暗だ。アパートの廊下の電気は、そういえば電球が切れていた、何度大家に言っても変えて貰えない、今までは大した事が無いと思っていたけれど、友津は初めてそれを恨めしく感じた。しかも室内の灯りもついていないせいで、周囲は完全な暗闇だ。おかげで相手の顔もはっきりとは見えない。
それでも、外の通りに建つ街灯の明かりや、走る車のヘッドライトの光……そして何よりも、少しずつ闇に目が慣れてきたこともあり、そこに佇んでいるのが女性である、という程度の事は解った。肩くらいで髪を切りそろえた女性、顔が見えないから年齢までは解らないけれど、かなり長身の、多分若い女性だという事は解る。
長身の身体をすっぽりと覆い隠すような、長いロングコートを身に纏っている。その色は周囲の闇に合わせた様な黒い色だ。夜風に煽られ、コートの襟がはためいているのが見えた。
「……誰、ですか?」
友津は恐る恐る問いかける。思えばそんな事を聞かず、すぐに扉を閉めて鍵をかけるべきだったのかも知れない。だがその時、友津は聞いてしまった。もっと言えば聞かずにはいられなかった、と言うべきかも知れない。不気味な雰囲気の中に……
その女性からは何処か……
何処か、優しさのようなものを感じていたからだ。まるで……
まるで母親の様な……
そこまで考えて友津は軽く笑う。自分は今まで母親からも愛情を注いで貰った事も無ければ、優しくされた事も無いのに、母親の様な愛情とは……バカバカしい。ただの幻想だ。
この女はただの不審者で、自分の家に勝手に入って来た人間だ。早く警察でも何でも呼んで……
友津は思いながら、ポケットからスマートフォンを取り出そうとした。だけど。
「佐久良友津、さんですよね?」
女性が言う。
不気味な雰囲気と裏腹な、少し優しい声。
止めて。
友津は一瞬、そう言いかけた。
そんな優しい声で、自分に呼びかけないで。
そう、言いそうになる。自分は……誰からも愛されず……
誰も愛する事も無く……
一人で生きる。
生きなければ、ならないんだ。
ぎりり、と歯ぎしりしながら思い、友津は女性を睨み付ける。
「……貴方に、お願いがあります」
女性が告げる。
優しい声で。
友津は、それでも黙ったままで女性を睨み付けていた。




