・第一話
「……ただいま」
がちゃり、と扉を開けて、自宅であるアパートに入る。もちろんそこには誰もいない。
それでも声をかけてしまうのは、もしかしたら誰かが……
誰かが、何かを応えてくれるかも知れ無い。そういう淡い期待があるからだ。
だけどもちろん、何処からも何の声も聞こえ無い。
そうだ。
もう解っている事だ、何年も……
或いは十何年もの昔から……自分に応えてくれる人間は、何処にもいない。
一人もいない。
佐久良友津は、軽く俯いてそう思った。
佐久良友津。
二十七歳。もうすぐ三十代になるというのに結婚どころか恋人もいない。別にそんな事には興味も無いし、正直なところ、自分には無理だと思っている。そもそも自分は……
自分は、他人の事を信用していない。
理由は簡単だ。自分は昔、酷い虐めに遭っていた。
物を隠される。
トイレに入れば上から水をかけられる。
クラスで盗難事件が発生すれば全て自分のせいにされる。
そして……
友津は、軽く俯く。
かつて……自分は……
友津には高校生の頃、好きな男の子がいた。
ある日、その男子に屋上に呼び出された。その時ばかりは、普段は地味で目立たない、教室の隅にいつもいる様な自分だったけれど、まるで世界の中心にいる様な気がして嬉しかった、何人かの女子が自分を見て、ひそひそと何かを言っていたけれど、そんな事は気にもならなかった。
無論、世の中はそんな風に簡単では無い。友津はその事を良く知っている。今まで何回も、友達だと思っていた相手が自分を虐める側に廻る。そんな事だって何度も経験しているのだ。
だから今回も……そう考えて足が重くなったりもしたけれど……
それでも、やはり浮ついた感情は抑えられなかった。そのままそっと屋上の扉を開ける。
もしかしたら……誰もいないかも知れない。
そんな感情を、胸に抱きながら……
だが。
扉の向こう。
そこに、一人の少年が立っているのを見て……
友津は、自分が世界で一番幸せな人間になれたのだ、と実感出来た。
そう。
この時は、そう思っていたのだ。
この時、までは。
自分を屋上に呼び出した男子生徒。
成績も優秀で、スポーツも優秀だ。くわえて親が何処かの会社の重役だとかで、家も金持ち。思えばそんな彼が……自分なんかに……やはり嘘かも知れ無い。ここには誰もいないかも知れない。そう思っていた。
だけど……
彼は、屋上にきちんといてくれた。それだけで友津は涙が出そうだった。
おずおずと屋上に向かう。身体が微かに震えていた。
「あ あの……」
小さい声で呼びかける。彼はこちらを振り返り、にっこりと笑う。
「やあ、来てくれたね」
彼が言う。穏やかな……
優しい声で。
友津は、身体が震えるのを感じたけれど……
何も言わずに、黙って彼に近づいた。
そこからの事は、正直気持ちが舞い上がってしまってよく覚えていない。
だけど、彼から『ずっと気になっていた』と言われ、『友達になりたい』という様な事を言われた。
その言葉に友津は人形の様に首を縦に振るしか出来なかったけれど、それでも……
それでも、こんな自分に初めて友達が出来た。
そして、初めて好きな相手と仲良くなれた。
その喜びだけは感じられた。
それから……
彼から、『遊びに行こう』と誘われた。
そう言われた時。友津は本当に嬉しかった。これまで……あまり幸運では無かった自分の人生の全てが報われた。そういう風に思った。
何処で待ち合わせるか、何時に待ち合わせるか、そういう事を話している時間すらもかけがえのない物に感じられた。
帰宅後。
友津は、その日に起きた出来事が信じられずに、部屋の中でぼんやりと惚けていた。
自分が……
デートだなんて……




