エピローグ
朝露が立ち込める早朝。僕はある場所でスマホを見ていた。
読んでいるのはある相手に送った呼びだしのメッセージだ。
ここは陽菜さんの家から程なく歩いた公園だ。
僕はその公園のベンチに座って呼び出した相手が来るのを待っていた。
「お前が。俺を呼び出したのか?」
声と共に現れたのはいつしかスパホテルで陽菜さんに言い寄っていた男だ。
名前は特に興味も無いので覚えていないがね。
「ああ。わざわざ来てもらって済まないね」
僕はベンチに踏ん反りながら余裕を持ってそう答える。
「てめぇっ! 舐めてんのか?」
僕の態度が気に食わなかったんだろう。そいつは距離をつめて殴りかかろうとしてきた。
「君の父さん。大変みたいだよね」
その言葉にピタリと拳が止まる。
「このメッセージはどういう意味だ。返答次第じゃただじゃおかねえぞっ!」
そう言ってスマホの画面を僕へと突きつける。そこには僕がこいつを呼び出したときのメッセージが書かれていた。
『明日の朝5時。進学する高校の最寄の公園まで来い。来ない場合、君の父親を首にする』
「どういうも何も。君ってもしかして日本語読めない? あいにく猿語は覚えてないんだよね」
僕の襟を掴むとそいつは顔を近づける。
「てめぇ。ぶっ殺す」
足が震えるのを感じる。だが、僕はこの程度で弱みを見せるわけにはいかなかった。
「君が振り上げたその拳に家族の平穏が掛かってる。それを自覚しているのか?」
妙に冷めた声がする。僕は自分の内からこれ程凄みがある声を出せた事に驚きを覚えた。
「どっ、どういう意味だよ」
恐れおののいた様子ではあるが、手を離さない。僕は相手を飲み込んだのを確信すると言葉を続けた。
「僕は君の父親が働く会社の次席株主だ。会社で一番偉いのは社長じゃない。僕は自分の権限で会社の社員の人事を決定する立場にある」
恐らく、父親は既に帰宅しているのだろう。
詳しい説明はしたか解らない。だが、普段と様子が違うことは感じ取っているはずだ。
そいつの顔色がこれでもかと言うぐらい悪くなったのを僕は見た。そして――。
「おい。自分の立場が解ったのならとっととその手を離せよ」
そいつはふらつきながら手を離すとそのまま下がった。
「どうやら立場の違いを理解できたみたいだね? それじゃあ景気づけに君の父を地方に飛ばすとしようかな」
「なっ。手なら離しただろっ!」
口から唾を飛ばしながら叫ぶ。僕は襟元を正しながら言った。
「理不尽だと思う? より大きな力で抑え付けられるのは納得できないよな? だけど僕はやるよ。それは君達が陽菜さんに強いたルールだからね」
権力を傘にきて交際を迫る。同じ男として。人間としても僕はこの親子を許せなかった。
「そっ。そんな…………」
そいつは顔を青ざめさせる。
僕は半ば自分の作戦が上手く行っている事を感じた。
アリスは自分の力を行使し、こいつの父親の力を完全に奪った。お陰で天川家は救われた。
だが、それだけではこの件は解決しない。
何故ならこいつは陽菜さんと同じ高校へと進学が決まっている。
直接手出しできなくても仲間を使うなり、方法はいくらでもある。
こいつを何とかしない限り、陽菜さんの高校生活は必ずしも安全とは言い切れなかったからだ。
「たっ。頼むっ! それだけは勘弁してくれ」
「敬語を使えよ」
そう言って縋りつくそいつの頭を僕は踏みつけた。嫌な感触だ。
「勘弁…………してください。お願いします」
「それは無理だな」
「そっ。そんな…………」
「だって。君を陽菜と同じ高校に通わせたら陰で何されるか解らないからね。僕の大事な陽菜が悲しむ原因は極力排除しないと」
茉莉花の時、僕はこの決断をする事が出来なかった。
絶対的な金という権力を持っていたにも関わらず、綺麗に解決させることを考えて結果として彼女を孤立させてしまった。
だからこそ。僕はこうしてこいつを脅している。絶対に歯向かわないように。歯向かえないように。トラウマになるぐらいに追い込んで。そして――。
「僕は優しいからな。君にチャンスをやろう」
足をどけると、藁にも縋る顔でそいつは見上げた。
「君の父親が転勤にならず、僕の陽菜が安全に学校生活をおくれる条件を満たす。そんな方法を君が提案できるのなら今回の件は保留にしても良い」
その言葉にそいつは険しい表情で考え始めた。
「言っておくが一度しかチャンスは与えない。君の解答が僕の期待に添えなければ家族が不幸になると思え」
錆び付いた脳を必死に稼動させたのだろう。果たしてそいつは僕の予想したとおりの答えを提出した。
「陽菜には金輪際関わらないことを約束する。だからお願いだっ! 親父を飛ばさないで下さい」
もはやプライドも全て打ち砕かれたのだろう。鼻水と涙で顔を濡らしながらそいつは地面に頭をこすりつけた。
この瞬間。僕が抱えていた陽菜さんの問題は解決した。
☆
いくばくか残っていた桜の花びらも散り、緑の葉を繁らせた桜並木を僕は歩いていた。
今日は高校の入学式だからだ。
行き交う生徒達は皆、新しい学校での生活に希望を満ち溢れさせており、その表情は眩しいばかりに輝いている。
そんな中僕は立ち止まるとスマホを開いた。陽菜さんからのメッセージが届いたからだ。
『竜也さん。入学おめでとうございます。先日はお礼を言おうと思ったのに朝起きたら帰っていたので吃驚しました』
僕はあいつを脅し終えるとその足で電車に乗り帰宅したのだった。これ以上陽菜さんにしてあげられる事は無いと思ったから。
『薄情な竜也さんの事だから、黙って私の目の前から居なくなると思っていました。だから私は一つの取引をアリスさんとしました』
「ん? 何を取引したんだ?」
僕は続きが気になったのでスマホを読みすすめた。
『取引内容が気になりますか? でも薄情な竜也さんには教えて上げませんから』
そう言ってアッカンベーをしているスタンプが押されている。これでは意味が解らない。
アリスとの取引内容が気になって首をかしげていると。
「おっはよー。竜也君。今日から宜しくね」
背中を叩かれた。現れたのは茉莉花。
「うん。おはよう」
「どしたの? こんな所で立ち止まって」
新しい制服に身を包んだ茉莉花は可愛らしく首を傾げる。
僕は陽菜さんのメッセージについて話をするが。
「ああ。その話ね」
そういって不敵に微笑む。
「なんだ。茉莉花さんも知ってるの? 教えてよ」
「んふふ。陽菜ちゃんが言わなかったのなら私も内緒だよー」
そう言ってくるりと回転すると駆けて行く。一体なんだというのだ?
「あら。竜也じゃない。早速だけど鞄を持ちなさい」
僕がぼーっとしていると今度はアリスが現れた。
彼女は相変わらずの完璧な存在感をかもし出して僕に話しかけた。
「あと少しで学校に着くんだからそのぐらい自分で持てよな」
僕の抗議に対してアリスは。
「まあいいわ。今日は気分が良いの。勘弁してあげましょう」
機嫌良さそうに笑った。
「そういえば。お前、陽菜さんと何を取引したんだ?」
当事者が現れたのなら話は早い。僕はアリスに先ほどの事を聞いてみた。そうすると彼女は――。
「どうせすぐに解る事だもの。私から説明するのは時間の無駄よ」
そう言って取り付くシマも無くいなくなった。
気がつけば校門を潜っており、僕は結構な時間そこに立っていたようだ。
「ったくあいつらなんなんだ。知ってることがあるのなら少しは情報を寄越せよな。このままじゃもやもやするだろ」
そんな僕の煮え切らない葛藤に対して背後から声が掛かった。
「なら。そのもやもやは私が消してあげますね」
僕はその声に振り向くと。
「そもそも僕が悩んでるのは君の意味不明なメッセージのせいなんだけどね。…………って陽菜さん!?」
そこには居るはずの無い人物が立っていた。
アリスや茉莉花と同じ制服に身を包み。
「私あれから色々考えたんですよ」
陽の光のように柔らかな笑みを浮かべて。
「折角自覚した気持ちなのにこのまま無かった事にしたく無いって」
そう言って僕を追い越す。
「だからアリスさんにお願いして編入試験を受けてこっちの学校に通えるようにして貰ったんです」
そしてくるりと振り返ると右手でピストルの形を作り。
「だからこれからは遠慮せずにどんどんアピールしていきますからね。覚悟してくださいよ」
そう言って何かを僕の胸に打ち込む。
僕はその仕草に心臓が高鳴るのを覚えつつも、再開を果たした従兄妹に対してこう答えた。
「これから宜しくね。陽菜さん」




