第二十九話
◆三人称視点◆
「どういうつもりだよっ!」
竜也は今、アリスに詰め寄っている。
あれから休憩を挟むことになったので大人達は会議室を出てタバコを吸いに言っている。
ここに居るのはアリスの後ろに控える女性と竜也。そしてアリスの三人だけだ。
「何に対する問い掛けなの? きちんと論点を絞って言いなさい」
すまし顔で紅茶を口に運ぶ。
「処分を保留にするって件だよっ! 事前に話してただろっ! あいつらは強制解雇にするって!」
これでは何の為に打合せを重ねてきたのか意味が解らない。
「そもそも竜也があそこで説き伏せなかったのがいけないのよ」
そうでなければ処分して終わりで済んだ。
だが、議論と言う名の元で伊藤執行役員は自分の主張を散々、声高く話した。
「これで私が割って入って処分をした場合、強権を発動させて退任に追いやったと悪印象がつくわ」
組織運営にとって下の人間に反発される事ほどやり辛い事はない。
いくら最新の設備や建物を揃えても、それを取り扱う者にそっぽ向かれてしまっては商品は作れないのだ。
そう。アリスは人材こそが会社にとって一番の財産であると知っていた。
「それに。執行役員を除く何名かは不正とは言っても会社の利益追求は怠っていなかったみたいだしね」
報告書とは違う。直に会ってみた印象でアリスは”使える人材”と役員を評価していた。
「だからって。不正をした奴を野放しにしていいのかよっ! それで社内に不満がたまらないとでもいうのか?」
竜也がいう事は正論ではある。だが、社会は正論だけでは成り立たない、時には汚い事に手を染める必要もあり、経営者はその辺の些事加減を常に意識しなければいけないのだ。
「それこそやりようでしょう。周りを納得させるような人事を行えばいいだけだし、何より外部の人間よりも彼らはこの会社を知っている」
誰と誰が使えるのか。事務能力や営業力。製造力まで。今までこの会社を起動に乗せたのは間違いなく今上に立って居る人間だ。
「偉くなって魔が差したというのは人間だから仕方ないわ。だけど、それによって過剰な処分を下すと言うのは間違っているのよ竜也」
「だっ、だけど………………」
アリスとて処分を下さないとはいっていない。ただ、内容が解雇から降格へと変わるだけ。そう言っているのだが…………。
「だったら。陽菜さんはどうなる?」
竜也にとって大切なのは従妹である陽菜の日常を守る事だ。それが出来ないのならこうして会議に参加している意味は無い。
「それこそこの場においては論ずるに値しないわね」
何せ規模が違う。会社の存亡に関する会議の場において個人の都合なんぞどれほどの価値があるのか。
「あなたは今、一人を救うために会社そのものを潰そうとしているのよ」
それは竜也の心を射抜く矢であった。
今まで考えないようにしていた。陽菜にも指摘されていた。
「別にね。それがいけないことだとは私は言ってないのよ竜也」
押し黙る竜也に向けて言葉を重ねる。
「時には1人の人間が1000人より大事な場合もある。私がここで聞きたいのは彼女があなたにとってどれ程の人物なのかという事よ」
子供に道理を教えるかのように。
「だけどあなたは今、他人の人生を犠牲にする選択を出来る立場にいるのよ」
力を振るうという事はそういう事。
他人の人生を強制的に変えてしまうのだ。
住居を購入してローンを組んでいる家庭もあるかもしれない。
子供が産まれる寸前で幸せを噛み締めている人もいるかもしれない。
相手先に仕事を貰える様に必死に努力し、認められてきた人もいるかもしれない。
だが、竜也やアリスが持つ株主と言う力はそういった背景を一切合財無視して捻じ曲げてしまう。
「それを踏まえた上で聞くわよ。あなたはどうしたいの?」
それがアリスが今回竜也に学ばせたかった事。パソコンの前でゲーム感覚で利益を得ていた時とは違う。
竜也が今後、ビジネスとして資産を運用していくのなら多数の人間と関わる必要がある。
時には敵対し、時には友好を結び。誰かを不幸にしなければ先に進めない時もある。思いもよらぬ幸運を享受する人間も現れる。
それらは竜也の心を刻む無数の刃だ。出来ることなら触れさせたくない。可能ならそこそこの資産で満足して普通の生活へと戻っていって欲しい。
その機会はいくらでもあった。だけど、アリスは自分の夢の為にそれをしなかった。いや…出来なかった。
だからこそ。自分が見ていて上げられる内に竜也を導いてあげたい。この優しい少年が心を擦れさせる事無く成長できるように見守りたい。
それがアリスの偽らざる心境だった……なにせ――。
「お、俺は……い、いや、僕は……」
――自分が竜也と過ごせる時間はそう多く無いのだから。
◆竜也視点◆
僕がアリスに出題された問題に答えを出せないままに会議は終了してしまった。
結局、不正を働いた人間の内1名は懲戒解雇になったが他の人間は情状酌量という事で降格処分と減給で収まった。
会議が終わると僕は逃げるようにトイレへと駆け込んだ。
この後は、会社の重役のみで新しい役員の到着を待つ事になる。
アリスがヘッドハンティングしてきた人物で、この会社の内情にも詳しく人格、経歴共に問題なしとの事。
「はぁ……」
僕は溜息を吐く。
「陽菜さんに何て言えばいいんだ……」
トイレのドアが開く。幸いな事に今の独り言は聞かれなかったようだ。
「ん。お前は……」
相手も僕を認めると声を掛けてきた。
「先程は失礼しました」
「こちらこそすまなかったな」
お互いに含むものもあるのだが、お互いに頭を下げる。
「正直。今回の事は開き直りだとは解ってる」
伊藤執行役員。いや、降格したから伊藤部長は僕に言う。
「わしも若い頃はがむしゃらに仕事を追いかけたんだ。毎日寝る時間も惜しんで営業を掛けて見積書を作ったもんだ。だが、部下が出来て自分の裁量でできる事が多くなってからと言うもの。どうにも我慢が出来なくなってしもうた」
「だから不正をしたんですか?」
この人の不正はそこまで大した事はない。会社の経費を使って『接待』と称して部下を飲みに連れて行ったり、お歳暮を多めに頼んでおいて個人的に利用したりなどだ。
僕の言葉に伊藤さんは頷く。
「生活っちゅうのは上を見たらキリが無い。稼ぐほどに高くなる税金に家族からの期待。下の者との関係。言い出したらキリが無い」
その言葉からは苦労が滲んでいるようだった。僕はこの時初めて伊藤さんを対等な人間としてみる事が出来た。
「すみませんでした」
この人には家庭がある。僕に比べて守るものがたくさんあるからこそあそこまで食い下がってきたのに。
本来であるならばアリスのように相手の意見を聞き、それでも聞けない部分は拒絶すればよかった。
だけど、僕は陽菜さんの事で頭が一杯で相手が同じ人間であるという事を忘れて事務的に処理をしようとしていたのだ。
「竜也君だっけか? 君は少し優しすぎるな。アリス嬢が心配するのもわかる」
「えっ?」
突然出てくる名前に驚きの声が出る。
「おっと。すまんすまん。これ言ったら駄目な奴だったな。聞かなかった事にしてくれや」
そう言って僕を通り過ぎて用を足そうとする伊藤さんの肩を掴むと僕は――。
「その辺詳しくお願い出来ますか? 次席株主として強制的に聞かせてもらいますけど?」
逃がさないように脅すのだった。




