第二十二話
◆アリス視点◆
私は今日の取引市場の結果を見ている。
多少の思惑はあったものの、チャートグラフはほぼこちらの予想通りの推移を見せた。
目の前には私が保有する株式がパーセントで表示されている。
恐らくはこれから先に必要になるであろう投資。この会社にはそれだけの価値があるのだろう。
先程、竜也にはこの会社の内部状況が書かれた書類を送ってある。これさえ見ておけば社内の人事に関してはやりたい放題だろう。
結果としてまた竜也に救われる人間が生まれる……。
「まあ。私には関係ない事だけどね」
竜也が誰を引っ掛けようと関係ない。それは今までもそうだったし、これからも変わることは無い。
「もっとも。契約を破るようなら」
二年半前。私と竜也が交わした契約。
それはこの先の人生において最も優先される事項。
「容赦はしないわ」
だからこそ私は竜也を試す。契約者足りえる人物なのか。
それを問い続ける為に。
ふとパソコンを見るとメールが一通届いている。
「やっと返事がきたようね」
私はメールを開く。そこには私の望む内容が書かれていた。
「これでまた楽しめそうね」
私はパソコンを落とすと欠伸をした。竜也に付き合わされて徹夜をしたので疲れているのだ。
「さて。竜也はどう動くの?」
夢見心地で先を考えた私は自然と意識を落としながらも彼の事を考え続けていた。
◆竜也視点◆
ガタンゴトン。電車の揺れに対して肩に何かが乗っかる。
むき出しの肘には暖かくも柔らかい感触の他に、二の腕に柔らかく暖かい物が押し付けられ、僕の動悸を乱れさせる。
「んぅ。……もう動けません」
声に釣られて横を見る。
そこには従妹の陽菜さんが安らいだ顔をして眠っていた。
そしてその隣では茉莉花さんが同じく眠っている。
現在の状況を説明すると、帰宅途中の電車の中だった。
あれから茉莉花さんの膝枕で睡眠をとった僕だったが、起きてみれば既に外は暗かった。
起こしてくれるはずだった茉莉花さんも眠ってしまっていたので仕方ない。
明日はアリスと詳細な打ち合せがある。
僕は起きた茉莉花さんと合流した陽菜さんにそう告げてホテルを出ようとした所。
「竜也さんが帰るなら私も帰ります」と帰宅の意を顕にしたのだ。
僕としては折角なんだから楽しんでいけば良いと主張したのだが。
「それだと申し訳ありませんから」と何故か恐縮されてしまった。
結局三人揃って夜遅くの電車に乗っているわけだが……。
「んぅ……」
先程から陽菜さんがもたれて来るたびに僕の身体は硬直する。
不可抗力とはいえ、彼女の慎ましいそれが僕の腕に触れているのだ。内心では罪悪感に包まれながらも、状況を改善する気が起きない。
例えばだ、彼女を揺すって起こすとする。そうすると彼女は中途半端な睡眠のせいで眠れなくなり疲労が抜けずに不愉快な気持ちになるかもしれない。
女子供に対しては紳士であれと【モテ男になる為】というサイトで学んだ僕には彼女の安眠を妨害する事がどうしても出来なかった。
それならばいっそ開き直って身体を一歩引くのはどうだろうか?
そうする事によって発生する現象を予測する。
彼女は恐らくもたれかかる対象が無くなって元に戻るだろう。眠っているとはいえ、多少の意識は残っているはず。
もたれる対象が無くなった場合、次の対象を探すのは必至。恐らく陽菜さんは茉莉花さんの方へと身体を傾ける事だろう。
肘の辺りに感じる温もりは勿体無いが、このまま起きられたら気まずいのは間違いない。
僕は電車の揺れで陽菜さんの首が揺れるタイミングにあわせて身体を引く。その際に少しだけ距離を開けた。
「えっ?」
果たして彼女は僕の予想とは違った動きをした。
支えを失ったその頭は綺麗な弧を描くような動きでポスリと倒れ、僕の膝へと納まった。
「んふふ。暖かいです」
どうしよう。更に状況が悪化しました。
陽菜さんはまるでそこが定位置だったとばかりに安らかな寝息を立てている。時折太ももを刺激する寝息が暖かくもこそばゆく、僕を微妙な気分へといざなう。
「…………どうしよう?」
と言ってもここで焦る程僕は経験値は低くない。
既に陽菜さんと茉莉花さんの両方に膝枕をしてもらっているのだ。今更自分が膝枕をする事になろうとも特に慌てるような事は無い。
僕は無意識の内に動いていた手を彼女の頭に乗せると撫でてみた。
ふむ。暖かくて細い髪が手の中でふわりと絡みつく。
茉莉花さんと違ってウェーブの掛かった髪からはフローラルの良い香りが漂う。
僕は女の子の髪に触るのはアリス以来なのだが、アリスの髪を究極の髪とするなら陽菜さんの髪はそれに負けない至高の髪といえよう。
そうなると気になるのは茉莉花さんの髪だ。念入りに手入れがされている彼女の髪の触れ心地は一体いかなるものなのか?
その感触は今ならばれる事無く触れられるかもしれない。そう思って左手が夢遊病のように動く。
『次はー桜ヶ丘駅ー次はー桜ヶ丘駅です。お忘れ物の無いようご乗車お願いします』
車内アナウンスの声がする。
僕はその音で二人が目を覚まさないかと思ってピタリと手が止まった。
危ないところだった。無意識にとはいえ恋人でもない女の子の髪を触りに行くなんて。
誰かに見られていたら訴訟モノだった。
僕は戦々恐々しながらも陽菜さんの髪を撫で続ける。こればかりは手の届く場所にあるので仕方ない。
万が一起きた場合でも言い訳が出来る。
負けが無い戦なのだから堪能しない方が間違っているよね。
それから暫くしても二人は目覚めなかった。
電車は既に僕たちの最寄り駅の二つ前を走っている。そろそろ時間切れだろう。
「陽菜さん。そろそろ到着するから起きてよ」
僕はまず。陽菜さんを起こす事にした。
同性の友人とはいえ、自分が膝枕されている姿を見られるのは恥ずかしいだろう。今なら茉莉花さんも寝ている。タイミングとしてはここが限界だ。
「ふぇっ…………。申し訳ありません。寝てまし…………………………た?」
寝ぼけながらも丁寧な言葉を心がける陽菜さん。返事をしながらも脳が状況を処理していったのか?
「何故……このような状況になっているのですか?」
わりと冷静な質問に僕は想定していた答えを返した。
「陽菜さんが段々ともたれかかってきてね。起こすのも可哀想だったからさ」
僕の言葉を聞いた陽菜さんは「なるほど」と納得する。
「起きないの?」
意識は覚醒しているのにも関わらず、陽菜さんは頭を上げようとしなかった。
「ん。寝起きで体が持ち上がらないのでもう少しだけこのままでは駄目でしょうか?」
なんとも判断し難い台詞だった。女の子は寝起きに弱いと聞くけどこれがそうなのか?
「僕はまあ良いけど。茉莉花さんもそろそろ起きると思うし」
僕にしてみれば役得だけどね。流石に意識がある状況なので頭を撫でるのは無理だけど。
だが、陽菜さんは僕のその言葉で起き上がってしまった。
「もう少し堪能したかったです。でも。流石に申し訳ないですから」
残念そうな顔をする陽菜さん。
それからすぐに茉莉花さんを起こすと何事も無かったように話をするのだった。
「それじゃあ。今日はありがとうね」
電車で寝てスッキリしたのか、茉莉花さんがさばさばした表情で僕にお礼を言ってきた。
「いやいや。こっちこそ急に呼び出した上に日帰りさせちゃってごめんね」
僕と陽菜さんは泊まりで楽しんだのに、茉莉花さんはホテルを満喫するところまで居られなかった。
「ううん。こういうのは皆で遊ぶのが大事だもんね。旅行は帰宅するまでが旅行だよ」
確かにその通りかもしれない。一人で残ってもつまらなかっただろうし、一緒に帰宅するのも楽しみの一部だ。
「それじゃあ、気をつけて帰ってね」
僕と陽菜さんは同じ家に帰るのに対して、茉莉花さんは方向が違う。
送っていこうと提案したのだが、近いから平気と彼女に断られたのだ。
「うん。竜也君達もね」
そう言って笑顔で手を振ると彼女は住宅街の道を曲がっていき姿が見えなくなった。
「そんじゃ僕らも帰ろうか」
「はいっ!」
僕らも家に向かって歩き出す。駅から家までは徒歩で10分程。
歩き慣れたその道に安心していたのか、僕は彼女の唐突な言葉に対応する事が出来なかった。
「アリスさんに会わせてください」
振り向くと月明かりに照らされた一人の少女が湖畔に揺れる瞳でお願いをしていた。




