第一話
『だからっ! 今日から従妹の陽菜ちゃんが一緒に住むって説明してたでしょうが』
「いやいや。聞いてないだろっ!」
電話の向こうからはがやがやとした音が聞こえる。『ラーメン上がり』『A定食で』などと聞こえるので恐らく社員食堂か何かに居るのだと思われる。
『お母さん言いましたよ。全く、あんたって集中すると話を聞かないんだから。お父さんもそれでいっつもお母さんの話を聞き流しては後でそんな事言うのよ』
「そっ、そんなの。忙しいタイミングに話しかけるからだろっ! 大体母さんはそういう重要な話をさらりと言うから」
恐らく僕が、株の売買をしている時か、ゲームをやっているときにでも声を掛けたのだろう。それぞれ全力で取り組まなければなら無いのだから母親の言葉なんていちいち聞いてられるかってんだ。
『とにかく、今伝えたから。お母さんも早く昼食採って休みたいんだから。あんたと違って春休みも無いんだからね』
ブツリと電話が切れる。いくら休みたいからとはいえこれはあんまりではないだろうか……。
目の前では優雅に紅茶を飲む彼女――天川さんが居た。
電話に集中していて気付かなかったがどうやら僕の分もあるらしい。テーブルには湯気を立たせたティーカップが置かれていた。
「それで。叔母様との話は終わりましたか?」
「うん。何とかね」
「では私が婚約者であると理解を……」
「僕が聞いたのは春休み限定で天川さんが居候するって話なんだけど。婚約者については母も語って無かったよ?」
「あら。もうばれてしまったのですね?」
僕からの批難の視線にまるで悪びれる様子が無い。それどころかクスクスと上品に笑って見せた。実は意外とお茶目な所があるのだろうか?
僕にしても無愛想で無感情よりは余程とっつきやすくて良いけどね。
「とりあえず天川さんの事はわかったよ。僕は部屋に戻るから後は好きにして」
「はっ? えっ……?」
だが、現在は不味い。何せ僕は忙しい。
どう扱ったものか悩んだ末、僕は彼女を置いて部屋に戻ることにした。その時の彼女の視線がなにやら不満そうだったのはとりあえず忘れておく事にする。
「くそっ。まさかここまで悪くなるなんて…………」
目の前には現実が突きつけられている。
モニターに表示されている数字は青で-41100。
この数字は本日僕が失った資金を示す。
「どうしてこうなったのか……」
普段であれば早々に食事を終えて午後のめぼしい銘柄を調べるはずだった。それが、浮き足立ってミスをしてそれを取り返すために焦った。
その結果は無残な負けである。
「とにかく落ち込んでも仕方ないよな」
こういった事は今までにもよくあった。学校から帰ると持ち株が暴落していて涙したり、はたまた決算の数字が良くて爆上げしていたり。
どちらにも一喜一憂したものだ。逆にそういうった予測のつかなさがあるからこそ面白いと思っているのだし。
「うん。たかが4万円。ゲーム機が買えるし、あれもこれも買えるけど仕方ないさ」
こんな事になるのなら買っておけばよかったという考えが脳裏に浮かばなかった訳ではないが…………。
「竜也さん。ちょっと宜しいですか?」
ドアがノックされ、耳心地良い声が壁越しに聞こえる。
「ん? どうかした?」
今更ながらに天川さんが居る事に思い至る。そういえば株取引に夢中ですっかり存在を忘れていたな。
来客を放置するのって実は結構失礼にあたるんだろうけど、僕は自分のしたい事を貫いたんだから後悔は無い。
例え、今日の午後に4万失ったとしてもやるべきことをやったんだから………………天川さんの相手してた方が良かったな絶対。
「お夕飯の買い物に行きたいのですが…………その…………」
「夕飯? 母さんが作るはずなんだけど?」
峰岸家の料理は母が作る。僕は生まれてこのかた台所に立った事は無い。
母から「たまには息子の料理でも食べてみたいわね」といわれるのだが、そもそも料理を覚えるぐらいなら値上がる銘柄を調べるのに時間を費やしたいのだ。
実際、去年は株取引で黒字を出しているので家族でレストランに行っている。子供の身で両親に飯を奢っている中学生がどれだけいるやら。そんな希少な事実を一つとってみれば僕が料理をするのは完全に時間の無駄と言い切れる。
「叔母様が今日は叔父様と外で飲んでくるので自由にしなさいと……」
「なにそれっ!?」
ずるい。僕だって家庭料理よりも店で出てくる味の濃い料理を食べたい。
メニューを見てそれがどんな味か想像しつつ待つ楽しみはまだ少年と言い切っても良い僕にとって格別の体験なのだ。
ましてやそれが居酒屋などという大人同伴でしか入れない店であるなら、そこにあるメニューを指差して「ここからここまで全部持ってきて」とハイテンションで注文してみる事請け合いだ。
確かに最近仕事が忙しいらしく、僕が春休みに突入したとあって日々の食事は勝手に採れというスタンスを見せてはいたのだが…………。
よし決めたっ! 両親がそのつもりなら僕にも考えがあるんだからなっ!
「それで……折角なので竜也さんに料理を作ろうかと思いまして……」
僕は考えを纏め終えると天川さんを見る。そして彼女の肩に手を置く。
「ふぇっ!?」
可愛らしい口からなんとも可愛らしい声が漏れた。
「天川さんいいかな?」
僕が真剣な顔を近づける。きめ細かな肌に紅潮した頬に潤んだ瞳が映る。
「えっと、いきなりは……覚悟が……ですね……」
何やら訳がわからない事を言っている。身を引こうとしているのが僕が掴んでいる肩からわかる。僕と目を合わせないように首を右往左往させている。だが、そんな事は関係ない。
僕は僕のやりたい事を実行する。それだけだ。
やがて、彼女も決意が完了したのかようやく僕の方をみて頷いてくれた。僕は彼女のそんな真剣な表情に向かってこう言うのだった。
「僕たちも外に食べにいこう」




