第十五話
◆陽菜視点◆
気まずいです……。
私達は自室に戻ると一切口を利いていません。
先程の同級生は竜也さんの行動に対して顔を真っ赤にしたかと思うと。「陽菜。後悔させてやるからな」と捨て台詞を残して立ち去りました。
私は先程までの絶望がどうでも良くなるぐらい頭が混乱していました。
ひとまず、現状の確認からです。
私は小さい頃からモテました。小学校の頃はまだ男女を意識するほど成長している子は居ませんでした。
だけど私が中学に上がるころは思春期真っ只中です。私はたくさんの告白をされるようになりました。
彼は中学時代に私に告白してきた人間の一人でした。
私の中には幼い頃からくすぶっている好きという感情があり、それが明確でない以上誰とも付き合うつもりはありませんでした。
何十という告白を断り続けているにも関わらず、彼だけは何度もしつこく私に言い寄ってきたのです。
次第にエスカレートするその行為に、私は彼に対して「もう付きまとうのはやめてください」とはっきり宣言しました。
そこで彼から聞かされたのです。彼の父親は会社の役員でした。
そしてその取引先は私の父の会社です。
父の会社はそこと大きな取引をしているらしく、仕事がなくなってしまえば大変困った事になる。
そんな事情を彼は楽しそうに話しました。
それからは苦痛の日々でした。毎日のように付きまとわれ、拒否できない私を公然の彼女のように扱う。
私は中学卒業までその苦行に耐えなければなりませんでした。
そして卒業の後。彼は何度目かによる告白をしてきました。
この頃、両親は既にこの事態を知っており、春休みになると同時に私を逃がす為に親戚の家に避難しました。
それなのにこんな所で出会ってしまうなんて……。
私は自身の生まれ持った幸の薄さに絶望していました。
そんな時に竜也さんが…………。
「……婚約者っていいました」
視界の端で彼が揺れました。
「……愛してるって言ってくれました」
陶器が倒れる音がしました。目を向けてみると湯飲みが倒れています。
どうやらお茶を淹れていたようですね。
先程まで感じていた不安は一切ありません。むしろ問題なのは竜也さんを見ていると心臓の鼓動が激しくなる事です。
もしかすると私は心臓病にでも侵されてしまったのではないでしょうか?
もう一度竜也さんを見ます。彼は気まずそうに目を逸らしました。
やはり先程の告白は真実。彼も唐突に出してしまった秘めた思いを整理仕切れていないのです。
思えばこれまでにも兆候はありました。私がパジャマで彼の部屋に行った時。ベッドに寝転がった時。
生活の合間で彼は私から目を反らす事がありました。
あれは全て私の事が好きだったからだと考えれば説明が付きます。
心臓は相変わらず、ドクンドクンと脈打っています。
先程抱きしめられた感触が思い出されます。顔が熱いです。喉がからからです。
彼にもっと触れてみたいです。私はゆっくりと立ち上がると彼に向かって距離を詰めました。
この想いが間違いで無いか確かめる為に……。
◆竜也視点◆
気まずい……。
先程、陽菜さんに絡んでいた同級生の男を撃退した。
止まれぬ事情があったとはいえ、背後から抱きしめて愛を囁いたのは軽率だったか?
だが、あいつはしつこそうだったからあのぐらいやらなければ引き下がらなかっただろう。
それより同級生が聞き捨てなら無い捨て台詞を言い残して立ち去ったのだが、その事について言及しても良いのだろうか?
陽菜さんには嘘告白の誤解を解こうとその場で説明を始めたのだが。
彼女は緩慢な動きで床に落ちていた買い物袋を拾い上げるとフラフラと歩いて部屋に戻ってしまった。
そこからは浮かれた様子で時折笑いを浮かべており、こちらの話は一切通らない。
同室の女の子がそんな状態なので僕は気まずさを抑えながらもどうするべきか考えていた。
まず必須なのは彼女への事情聴取である。
撃退したとはいえあの怨嗟の篭った視線である。次にどんな手に出てくるか解ったものじゃない。
直接僕に向かってくるのなら手はあるのだが、彼女の地元での話しとなると手が届かない。
相談という形で話を聞いて、もし手に余るようならアリスに対処してもらう事にしよう。あいつならこういうの得意そうだしな。
「陽菜さん。お茶飲む?」
僕の言葉に彼女は少し顔を上げると首を縦に振った。あれは僕にもわかる、何か考え事に没頭しているな。
単に自分の名前に反応しただけのように見える。
まあ、頷いたみたいだし、僕がお茶を飲みたいのだから一緒に淹れても悪いという事はあるまい。
ポットからお湯を注ぎ茶葉が広がるのを待つ。
予め温めておいた湯のみのお湯を捨てるとテーブルに戻す。
「……婚約者っていいました」
視界の端で陽菜さんが顔を上げたのが解った。
「……愛してるって言ってくれました」
そういうと完全に目があった。目が潤んでいて呼吸が荒い。頬を上気させ耳まで真っ赤。
乱れた浴衣を直そうともせずに正座姿から僕の方に身を乗り出しているので、隙間からは見えてはいけない膨らみがはっきりと僕の視界に飛び込んでくる。
「竜也さん」
「ひゃいっ!」
彼女は僕の肩を力強く掴む。先程までの弱さはなり潜めてしまい逆に僕の方が威圧される形だ。
何かを覚悟したようなその視線に僕は自然と生唾を飲み込む。
「私って竜也さんの婚約者なんですよね?」
頬を紅潮させて顔を近づけてくる。
「いや。さっきのは言葉の綾というか、あの人を騙す為に陽菜さんを…………」
「陽菜です。さっきみたいに呼び捨てにしてください」
そう彼女が口にする。僕はその言葉を発した艶やかな唇から目が離せなくなる。
「婚約者ならいいですよね?」
そう言って彼女は僕に唇を寄せてくる。
「えっ。ちょっと、落ち着いてっ!」
焦る僕。目の前に迫る柔らかそうな唇。思考が乱れる。そして彼女の浴衣から見える純白のブラ紐。
「いいからはやく」
もはや焦りすら見える彼女の言葉。
このままなし崩しにキスしちゃえよと悪魔が囁く、だがそれでは彼女も僕も一生後悔する。僕はなりふり構わず叫ぶことにした。
「わーっ。さっきの告白は嘘ですからっ! ああでも言わないとあいつしつこそうだったから。ごめんなさい。落ち着いて下さいっ!」
捲くし立てるように言い切る。僕は目を瞑り覚悟をした。
だが、いつまで立っても衝撃は来なかったので恐る恐る目を開けると。
「嘘……だったんですか?」
完全に呆けた様子の陽菜さんがこっちを見ていた。
「嘘って言い方は悪いから、演技かな?」
「じゃあ、竜也さんは私の事なんてこれっぽっちも好きじゃないと?」
さすがにそこまでではない。なんだかんだで陽菜さんは魅力的な女の子だからね。ただ、恋愛としてみるかと言えばそんなつもりは無いだけ。
「えっと……それは…………」
何と答えたものか?
正直に話してしまうと先程の流れに戻ってしまいそうだし。かといって「全く好きじゃない」なんて嘘は付きたくない。
僕が言葉を捜していると彼女が近寄ってきて僕の手をとる。
すべすべとした白い手は冷たくて柔らかく僕の手を包む。
彼女は僕の手を掴み自分の方へと引き寄せると胸へと導いた。
「ちょっとっ!?」
自分が何を触っているのか瞬時に悟った僕は顔から火が出そうなぐらいに真っ赤になり取り乱す。
「感じてください」
その真剣な言葉に僕は固まった。
「私の心臓の音凄いです。今までこんなにドキドキした事ありません。これって何でしょうか?」
掌に柔らかい感触が伝わってくる。陽菜さんの胸だ。慎ましくも暖かいそれはこんな時だというのに触っているだけで落ち着いてきてしまった。
陽菜さんの表情には期待浮かんでいる。
彼女が浮かべるそれは、以前彼女(茉莉花)が浮かべていたそれととても良く似ていた。
返事をしなければならない。そう考えるのだが、いつの間にか喉がカラカラになっているのか声が出ない。
「冗談です。竜也さんがあまりにも私の事を女の子として見て無いようだったのでからかっただけですから」
次第に空気が緩んでいく。
それは陽菜さんがこの話題はここまでと決めたからこそ実現した空間だ。
僕の手は解放され、掌に涼しさが戻ってくるが、僕の顔は相変わらず熱を持ち、心臓は壊れるほどにノックをやめなかった。
「私も疲れてしまったので今日はこれで寝ますね」
そういうと彼女は僕に表情を見せないように布団に入ると背中を向けてしまった。
僕はそんな彼女の背中を見つめながら罪悪感を感じるのだった。




