闇の晩餐
七月の土砂降りが「霧の街」に降り注ぐ。それは摩天楼にこびりついた汚れを洗い流そうとするかのようだったが、実際には空気をさらにじめつかせ、生臭い匂いを立ちこめさせるだけだった。
このスラム街に皮肉な名で立つ老朽化した「幸福アパート」の前で、パトカーの回転灯が夜の闇を引き裂き、水たまりを赤く染めていた。黄色い規制線が張り巡らされ、傘を差した野次馬たちが指をさすのを遮っている。
チャン・フォンは向かいの雑貨店の軒下に身を寄せ、ずぶ濡れになった黒いパーカーのポケットに手を深く突っ込んでいた。彼はフードをさらに引き下げ、寝不足で隈ができた目を隠す。トタン屋根を叩く雨音は、遠くのサイレンと混ざり合い、混沌とした交響曲を奏でるが、彼が装着している高価なノイズキャンセリングヘッドホンを通して聞こえるのは、低くくぐもった、遠い音だけだった。
「よう、坊主。遅いじゃねえか。」
大きくてゴツゴツした手がフォンの肩を強く叩き、彼は少しびくりとした。フォンは片方のヘッドホンを外し、現れた男を見上げる。それはベテランの刑事課長であるラム警部だった。中年で無精髭を生やし、彼の擦り切れた茶色のレザージャケットからは濃いタバコの匂いが染み出ている。
「渋滞です、ラムさん」フォンは、紙やすり同士が擦れ合うようなかすれた声で答えた。「それに、仕事中は俺を『坊主』って呼ばないでくれって言ったはずだ。」
ラムはニヤリと笑い、タバコを深く吸い込むと、雨の中に煙を吐き出した。「わかったよ、『特別顧問』さん。だが、先に忠告しておく。この事件はかなり胸糞が悪いぞ。夕飯はまだだろうな?」
「朝から何も食べていません」フォンは簡潔に答え、ラムの肩越しに、アパート四階の真っ暗な窓をじっと見つめた。「あそこですか?」
「ああ。404号室。典型的な密室事件だが、どうも何かおかしい」ラムはタバコを地面に投げ捨て、赤い火を靴底で踏み消した。「検視官は急性心不全だって言っている。だが、わかってるだろ、心不全で死ぬ人間があんな表情をするわけがない。」
フォンは頷き、ジャケットのジッパーを引き上げた。彼は規制線をくぐり、ラムについて薄暗い階段を上った。そこはカビと猫の尿の匂いが充満しており、古いタイルの上を歩くたびに、その足音は死のカウントダウンのように響いた。
404号室のドアの前で立ち止まると、空気はまるで濃密なゼリーのように固まった。三人の警官が外に立っていたが、全員顔面蒼白で、一人は廊下の隅のゴミ箱に胃の中身を吐き出していた。
「覚悟を決めろ」ラムが言い、ドアを押して中に入った。
20平方メートルほどの部屋は、まるで格闘があったかのように散らかっていた。だが、フォンの注意を引いたのはそれではない。
部屋の中央、ソファに中年男性が座っていた。彼はパジャマを着て、手にはテレビのリモコンを握っている。まるで好きな番組を見てくつろいでいるかのような自然な姿勢だ。ただ、彼の頭は不自然なほど一方に傾いており、そしてその目ときたら……。
彼の目は見開かれ、白目は赤い血の筋で充血し、口は悲鳴を上げているかのように顎関節が外れるほど大きく開かれていた。顔の皮膚は灰色にくすみ、生気を吸い取られたように縮こまっていた。
「侵入の痕跡なし。ドアは内側から施錠。窓も閉まっていた。不審な指紋もなし」ラムは手帳をめくりながら呟いた。「被害者はレ・ヴァン・フン、45歳、独身。近隣住民が午前2時に叫び声ではなく、笑い声を聞いたと通報してきた。」
フォンは答えず、ドアの敷居に立ち止まり、深く息を吸い込んだ。
すぐに、普通の人間には気づかれない、出血を伴わないはずの血の生臭い匂いが彼の鼻腔を突き刺した。しかし、それに混ざって別の臭いがする。長年腐敗した下水の臭い、そして焦げ付いた…恐怖の匂いだ。
「始めるか」フォンは囁いた。彼はヘッドホンに手を伸ばし、ボタンを押す。激しいリズムのヘビーロックが鳴り響き、現実世界の雑音をすべてかき消した。
ドム。ドム。ドム。
フォンの心拍はドラムのビートに合わせて加速した。彼は目を見開く。
フォンの目の前の世界が一変した。
部屋はもう、しっくいが剥がれた白い壁ではない。灰色の薄い膜に覆われている。そして、フン氏の遺体からは、熱湯のように黒い煙が立ち昇っている。これが**「残穢」**――死の直後に残された極端な感情の残留物だ。
フォンは床の水たまりを慎重に避けながら中へ進む。遺体に近づくと、被害者の口から出る黒い煙は奇妙な形を成していた。細く、やせ細った無数の手が、空間を掻きむしろうとしている。
恐れ。絶望。そして……後悔。
フォンは眉をひそめた。彼は遺体に触れず、黒い煙の層をそっと手で払った。乾いた氷に触れたかのような、背筋を這い上がる冷たさを感じた。
断片的な記憶がフォンの頭の中に流れ込んできた。
一瞬の閃光。ぼやけた映像。フン氏がテレビを見ている。テレビ画面は砂嵐。彼は笑っている。甲高い笑い声。そして、彼は電源が切れたテレビ画面の反射の中にそれを見た。影だ。いや、彼自身の影ではない。
それは彼の真後ろに立っていた。顔はないが、サビた縫い針で満たされた大きく裂けた口だけがあった。
フォンは飛び退り、息を飲んだ。彼は音楽を止め、ヘッドホンを勢いよく首から下ろした。冷たい汗が額ににじみ、びっしょり濡れた。
「どうした?何か見えたか?」ラムが詰め寄り、反射的に腰の銃に手を置いた。
フォンは唾を飲み込み、乱れる心拍を落ち着かせようとする。彼は被害者の前の電源が切られた薄型テレビを指さした。
「テレビです」フォンは震える声で言った。「彼は心臓発作で死んだんじゃない。**『魂を抜き取られて』**死んだんです。」
「魂を抜き取る?頭がおかしくなったのか?遺体は無傷だろうが」近くにいた若い警官が一人が怪訝な顔で言った。
「文字通りの内臓じゃない」フォンは振り返り、その警官を真っ直ぐ見つめた。その黒い瞳に彼はゾッとした。「魂、あるいはもっと正確に言えば、生きる意志です。犯人は刃物や銃を使っちゃいない。奴は……反射を使った。」
フォンはテレビに近づいた。真っ暗な画面はフォンの青白い顔を反射している。しかしフォンは知っていた。フン氏を殺したものはもうここにはいない。奴は「食事」を終えて去ったのだ。
「ラムさん、彼のウェブ閲覧履歴か、電子機器を調べてください」フォンは敬意を忘れて命令口調になった。「彼は奴を招き入れた。何らかの儀式を行ったはずだ。」
ラムは眉をひそめたが、鑑識班に指示を出した。「確かなのか?」
「残穢が見える」フォンは部屋の隅、闇が他の場所よりも濃い部分を指さした。「赤い糸がある。」
「赤い糸だと?」
「ええ。彼の首に巻き付いた赤い糸が、隅のあの影に繋がっていました。でも、もう切れている。」
フォンは隅の壁に近づいた。彼は目を細め、集中力を高める。**「共鳴視覚」**のもと、彼は剥がれかけた壁のペンキの上に、血のように赤くぼんやりと光る筋が残っているのを見た。それは傷跡のようだが、発光していた。
彼は指先でその筋を軽く触れた。
バチッ!
フォンは腕に電気が走ったような感覚に襲われ、しびれた。頭がくらくらとし、別のイメージが閃光のように脳裏をよぎった。制服を着た女子高生。その顔は黒い糸で何重にも縫い合わされ、彼女は高層ビルの屋上に立ち、ボロボロの人形を抱えている。
彼女はフォンを見ていた。そして彼女は……微笑んだ。
「見つかった…」
周りに女性はいないにも関わらず、少女の声がフォンの耳元でかすかに響いた。
フォンは床に崩れ落ち、激しい痛みに頭を抱えた。
「フォン!フォン!」ラム警部の叫び声が響く。
フォンはラムの手を振り払い、荒い息を吐きながら立ち上がろうとする。追跡されている、狩られているという感覚が彼の心を満たした。これはただの浮遊霊ではない。これは**「邪悪な存在」**だ――肉体的に人間に影響を与えるほどの力を蓄えた実体だ。
「ドアを閉めて!すぐに!」フォンは叫び、窓の外を睨みつけた。
「何だと?」ラムは呆然とした。
「まだ去っていない!奴は戻ってくる!」
その言葉が終わるや否や、404号室の天井の電球が激しく点滅し、**パン!**と音を立てて爆発した。ガラスの破片が飛び散り、部屋は完全に闇に包まれた。
警官たちの叫び声が混乱の中で響き渡る。濃密な闇の中、気温が急激に低下した。吐く息が白くなった。
フォンは飛び起きた。闇の中で彼の瞳は淡い青色に光る――彼の能力が極限まで活性化されたサインだ。彼はそれを見た。
玄関に掛けられた鏡の中から、白く痩せ細った一対の手がゆっくりと這い出ている。その長く伸びた指と真っ黒な爪が、鏡の枠をキィキィと恐ろしい音を立てて引っ掻いた。
奴は反射世界から這い出ている。
「皆、伏せろ!」フォンは吠えた。彼はポケットから小さな金属製の物体――古びたジッポーライターを抜き取った。
彼はタバコを吸わない。しかし、炎は、闇の実体の周波数を一時的に乱す唯一の手段だ。
カチッ。
炎が燃え上がった。しかし、温かいオレンジ色ではなく、フォンのライターの炎は、彼が特別に調合した化学溶液の結果として、奇妙な緑色に燃えた。
緑色の光が部屋を照らし、宙に浮かぶ怪物の姿を現した。足はなく、下半身は鏡に繋がった黒い渦巻く煙の塊だ。その顔は……幻影で見た通り。目も鼻もなく、麻糸で縫い付けられた口が大きく裂け、黒い液体が漏れ出ている。
「なんだ、あれは!?」ラムはうめき、震える手で怪物を狙って銃を構えた。ドーン!ドーン!
二発の耳をつんざくような銃声が響いた。弾丸は怪物を貫通し、後ろの壁にめり込んだが、何の損傷も与えられなかった。それは非物質だ。
怪物は顔のない頭をラムの方に向けた。その口の縫い糸が一つずつブチッ、ブチッ、ブチッと切れていく。
口が大きく開き、中には何千本もの鋭い針のような歯が露出した。それは耳障りな叫び声を上げ、全員の鼓膜を破裂させそうになった。
「口を見るな!」フォンは飛び出し、ラムを突き飛ばした。
怪物の口から血のように真っ赤な数十本の糸が飛び出し、ラムが立っていた壁にブスッと突き刺さり、豆腐を貫くようにコンクリートのブロックを突き抜けた。フォンがあと一秒遅れていたら、ラムは壁に縫い付けられた操り人形になっていただろう。
「奴は新しい宿主を探している!」フォンは歯を食いしばった。彼は筋肉の力では奴に勝てないと知っていた。これは少年漫画(Shounen)だが、殴り合いではない。彼は知恵と超常世界の法則を使わなければならない。
「鏡だ!鏡を割れ!」隅にうずくまっている若い警官にフォンは叫んだ。
警官は呆然として反応しない。
「くそっ!」
フォンは悪態をついた。彼は燃えているライターを怪物に向かって投げつけ、注意を逸らすと、ドアに向かって突進した。緑色の炎が黒い煙の塊を舐めると、怪物は激怒して叫び声を上げた。赤い糸が方向を変え、フォンのほうへ猛スピードで飛んできた。
一本が彼の頬をかすめ、焼けるような切り傷を残した。もう一本が彼の左足首に巻き付いた。
フォンは床に倒れた。恐ろしい牽引力が彼をあの針の歯の口元へと引きずり込んでいるのを感じた。冷たさが足首から全身に広がり、神経を麻痺させていく。
「俺を食べたいか?」フォンは引きつった笑みを浮かべ、右手を後ろのズボンのポケットに探った。「残念だが、俺は少し消化が悪いぞ。」
彼は折り畳み式のバトン(警棒)を抜き取った。しかし、このバトンの先端は普通の鋼ではなく、清めの塩で覆われ、古代の文字が刻み込まれていた。
フォンはバトンを振り上げ、怪物の下半身がまだ接続されている壁掛け鏡のガラス面に強く叩きつけた。
キンッ!
鏡は何百もの破片に砕け散った。
怪物の叫び声は歪み、途切れ途切れになった。反射世界との接続を断たれ、その体は燃える絵画のようにねじれ、縮み始めた。
「イャアアア…」かすれた、身の毛がよだつような声が最後に響き渡り、黒い煙の塊は完全に虚空へと消え去った。フォンの足首に巻き付いていた赤い糸も消え、代わりに青あざの輪郭だけが残った。
部屋に静寂が戻った。窓の外の雨音と、生き残った者たちの重い息遣いだけが残った。
ラムは四つん這いになって起き上がり、顔から血の気が失せていた。彼は砕け散った鏡の破片を見てから、床で荒く息をしているフォンを見た。
「あれは…あれはいったい何だ?」ラムは声が上ずりながら尋ねた。
フォンは手をついて起き上がり、頬の血を拭った。彼はヘッドホンを拾い上げ、首にかけ直した。
「縫合者」フォンは言った、その瞳は鋭く研ぎ澄まされていた。「奴は犯人じゃない。ただの猟犬だ。誰かがこの街に奴らを放っている。」
彼は窓の外を見た。霧の街の灯りが雨の中にかすかに点滅している。フォンの心に不吉な予感が湧き上がった。この事件はここで終わりではない。これは最初の挨拶に過ぎない。
「ファイルNo.0が、開かれましたよ、ラムさん」フォンは立ち上がり、服の埃を払った。「俺たちにはやるべきことがある。」




