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~届けたいもの~

 川岸の番人の仕事に休みはない。橋を渡る人はひっきりなしにやってくる。夜も昼も関係なく、やってきた人の対応に追われ、時間はあっという間に過ぎていく。夕方、立石さんと交代し、小屋へもどるとほっとする。立石さん特製のミルクスープをあたためて飲むと、生き返ったような気分になる。


 ぼくがここへ来る前、立石さんはどうしていたのだろう。たったひとりで切り盛りしていたのだろうか。それとも、ぼくのような人がいて、立石さんの手伝いをしていたのだろうか。けれど、そんな人がいたという話は一度も聞いたことがない。やはり立石さんはずっとひとりだったのだろう。立石さんが疲れたようにうたた寝している姿をたまに見かけると、もう何年立石さんはここで仕事をしているのだろうと考えることがある。


 立石さんの年齢をぼくは聞いたことがない。おそらく五十代後半か六十代。最近いっそう白髪が目立つようになった。立石さんのことをもっと知りたいのに、何も聞けないのは、ぼくが自分のことを何ひとつ語れないから。

 ぼくは記憶を失っていて、自分のことを何も話せない。それなのに、立石さんのことばかり聞くのはフェアじゃない気がする。

 今はただ、身元もわからないぼくをひきとって、川岸の番人として雇ってくれた立石さんの少しでも役に立てるようがんばるだけだ。


 さっきまでおだやかだった川が急に荒れだした。額にポツポツあたる程度だった雨がどしゃぶりになり、風にあおられそうになる。ぼくは、合羽の襟をつかみ、足を踏ん張った。


 向こうから黒い人だかりが一気に押し寄せてくるのが見えた。


「事故だ」

「飛行機が落ちたぞ」


 交代したばかりの立石さんが叫びながらもどってきた。きっとまだ食事も口にしていない。


「大丈夫です。ぼくひとりでできますから」

「立石さんは小屋で休んでいてください」


 ぼくは言った。けれど、一気に押し寄せた人の山は、ひとりでは到底どうにもできない状況だった。一人目の通行手形を確認している間にも、人ごみをすりぬけて橋を渡っていく人やもがきながら橋の上を転がっていく人が絶えなかった。パニックだ。


「待ってください。通行手形を」


 通行手形を見せずにすりぬけて行った人をつかまえようと橋に足をかけたぼくの腕を立石さんがつかんだ。


「行くな」


 かっと目を見開き、鬼の形相でぼくのことを見ている。重りをつけられたように身体が動かなくなった。


「でも、手形を確認しないと」


「ここから動くなと言っているんだ」


 背筋が凍った。立石さんのことをはじめてこわいと思った。


「通行手形はいらない」

「そのかわり、ここへ置いていってもらうんだ」


「え?」


「わからないのか」

「非常事態なんだぞ」

「スマホでも、時計でも、アクセサリーでもなんでもいい。置いて行かせろ」


 何を言っているのかわからなかった。通行手形を持っていない人に橋を渡らせてはいけない。そういうルールだと教えてくれたのは立石さんだ。それなのに、どうして今になってちがうことを言うのだろう。


 立石さんの答えが聞きたかった。けれど、そんな暇はなかった。大勢の人たちが肩をぶつけながらぎゅうぎゅう迫ってきていた。


「早く通せ」

「何分待たせるんだ」

「そうよ。一緒に並んでいたのに、夫と息子だけ先行っちゃったじゃないの」


 どうすればいいのだろう。ちらっと立石さんの方を見やる。立石さんはスーツ姿の男の人に腕時計をはずしてもらっていた。大学生と思われるグループからはスマホを、小さな女の子からはハンカチを、何も持っていない人からは靴を片方だけもらっていた。


 こうしてはいられない。ぼくも手を動かさなくては。

 ぼくは、目の前の人から対応をはじめた。


「これでいいなら」

 アロハシャツの男性は金のネックレスをおいていった。


「みんなで部活の合宿に行った時、おそろいで買ったの」

 少女がおいていったキーホルダーにはイニシャルのWが彫られていた。


「これ、彼女へ届けてほしい。住所はここに書いてあるから」

 男から受け取った紙にはギザギザと歪んだ文字が並んでいた。飛行機の中で、揺れながら必死で書いたのだろう。


 大切な人に、どんな思いで。


 思わず泣きそうになり、目元をぬぐった。


「ひどい字になっちゃったけど、まあまあな出来だろう」

「本当はLINEを送りたかったんだ。でも、ほら、機内でスマホの利用は禁止されていたから」


 男はそう言って笑った。その表情を見て、ぼくはまた泣きたくなった。


「は? おじさん、なんの権利があってそんなこと言ってんの?」


 怒号が聞こえ、ふりむくと立石さんがサングラスの男とやりとりしていた。


「おじさん、もしかして俺の撮った映像、売ろうとしてる?」


 男のスマホに手をのばした立石さんが首をふった。


「そんなことされちゃ、困るんだよ」


 男がいきなり立石さんを蹴った。立石さんがその場に倒れる。ぼくはあわててそばへ寄り、立石さんの肩を抱いた。思っていたより痩せて肩の厚みがないことに驚く。


「君に何と思われようとかまわない」

「スマホは置いていくんだ」


「ざけんじゃねぇ」


 男が立石さんの顔面めがけて蹴った。


 左目を抑えている立石さんの鼻から血が出ていた。暴力はだめだ。けれど、男の言うことはわかる。思い出の写真や映像がたくさん保管されているスマホだ。本来なら通行手形として、一緒に橋を渡ってもらうはずのものだ。


 それなのに、どうしてそこまでして立石さんは男のスマホを押収しようとするのだろう。


「立石さん、もういいじゃないですか」


 ぼくがそう言った時、男が後ろから突き飛ばされるような格好になった。しびれを切らした群衆が、待ちきれず一気に圧力をかけ、男を押しのけたのだ。男がよろけたその瞬間に、立石さんが男の手からスマホを奪った。


「ごちゃごちゃやってるんじゃねぇ」

「早く渡らせろ」


 倒れた男はそのまま群衆にまみれ、橋の上を転がるように流されて行った。引き摺られながら、「返せよ」と連呼し叫ぶ男の足が、手が、頭が、隙間から見えた。最後まで、ぼくは男の姿をとらえようとしたけれど、それっきり闇に紛れて見えなくなった。


 作業は寝ずに一晩続いた。最後の人を見送ったあと、ぼくたちは、ふたりとも体力の限界にきていた。雨風が止み、川はおだやかに流れていた。


「よくやった」


 集めた品々の山を見て、立石さんが言った。ほめられたのにうれしくなかった。橋を渡る人たちの大切なものを奪ってしまったことに、ぼくはどこか釈然としない気持ちを抱えていた。


「これみんな、通行手形ですよね」

「どうして持たせてあげなかったんですか」


 立石さんに聞いた。けれど、立石さんはぼくの問いには答えず、次の指示をした。


「さあ、これが最後の仕事だ」

「下流に向かって全部流すんだ」


 流す? 流すって、捨てることではないか。だったら、何のために。何のためにぼくたちは橋を渡る人たちの大切なものを奪ったりしたのだろう。そんなのひどすぎる。


「ぼくには、できません」


 橋のむこうの人たちに届けなくては。ぼくたちが奪った大切なものをちゃんと届けなくては。山になったスマホを、ハンカチを、ネックレスを、腕に抱えられるだけ抱えて、ぼくは橋を渡ろうとした。


「行くな」


「行くなと言ったろう」


 立石さんの叫び声に、痺れるような痛みが身体に走り動けなくなった。前に進もうとしているのに頭の中でイメージだけが空回りし、身体は少しも前に進めない。どんなにあがいても身体が言うことをきかないのだった。


 立石さんが集めた品物を放流していた。丁寧に、ひとつひとつに祈りをこめ、川へ滑らせていく。


「君も手伝え」

「川岸の番人の仕事だ」


 仕方なく、ぼくは立石さんの横に座った。積まれた山から順番に品物を手に取り、川の流れにのせた。事故に遭った飛行機に乗っていた人たちの思い出の品が次々と流されていく。ここへ来て、こんな悲しい気持ちになったのははじめてだった。品物を見ると、橋のたもとでのやりとりを思い出してしまい、余計に悲しくなった。なるべく考えないよう、ぼくは手を動かした。


 ただ、男から預かった手紙だけは川へ流さずそっとポケットにしまった。


 その晩、ベッドに入ると、ぼくは落ちるように眠った。


      ◇◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 史上最悪の航空機事故が起きたのは一週間前だ。オーストラリアから羽田空港へ向かっていた旅客機が山中に墜落したのだ。ニュースでは、連日この事故について報道していた。乗客は五百人。生存者はまだひとりも見つかっていない。乗客名簿が公開され、警察と消防の捜索により遺体や所持品が見つかっていった。


 腕時計は、浅井拓海さんのものだった。

 金のネックレスは、城山昭さんのものだった。

 Wのイニシャルが彫られたキーホルダーは、森下若菜さんのものだった。

 ハンカチは、花村みれいちゃんのものだった。

 片方だけ見つかった靴は、登山家の塚本武文さんのものだった。


 それらは遺族に引き取られていった。愛おしそうに、遺品を抱きかかえる遺族の姿が映像に映った。現場で見つかったスマートフォンの多くはガラスが割れ、破損していた。警察でアクセス解析された後、それらは遺族に引き渡された。


 ユーチューバーの白井隼人さんが墜落寸前にスマホで撮影した機内の様子は事故の原因究明のための重要な資料として警察に押収された。白井さんの母親は、ひどく疲れていて、泣き腫らしたような顔をしていた。「息子の残したものが少しでも役に立てば」とインタビューに答えていた。


 雨の中、恋人を探しているという女性の姿もあった。


「遺体が見つかるまでは生きていると信じて探し続けます」


 女性は泥まみれになって山中を歩き続けていた。

 テロップに、渡辺果林さんと出ていた。

 その名前に心当たりのあったぼくは、思わず「あっ」と声をあげていた。


      ◇◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ポケットの中の手紙を取り出して、ぼくは夢の中で見た女性を思い出していた。


 渡辺果林さん。


 間違いなかった。この手紙は彼女に宛てたものだ。なんてことをしてしまったのだろう。ぼくが、手紙をちゃんと流さなかったから、果林さんはまだ恋人の行方をさがしている。


 今から手紙を川へ流せば届くのだろうか。けれど、そんなことをして、もしも立石さんに見つかったら。あの日の立石さんの声や表情を思い出すたび、ぼくは震えが止まらない。立石さんに、もう二度と叱られたくなかった。


「交代だぞ」


 部屋をノックする音が響き、ぼくはあわてて手紙をポケットにつっこんだ。


 部屋を飛び出し、橋のたもとに立つと少しだけほっとした。川はゆっくりと流れ、生温かい風が吹いていた。


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