7 いびつな同居生活
ダイニングテーブルに琢磨を座らせると、いそいそと動く胡桃が朝食を運んでくる。
焼き鮭にトマトとアボカドのカラフルなサラダとおにぎりがワンプレートに乗せてある。
それを琢磨の前にそっと置くと、自分の分は琢磨の横の席に並べた。
一方の琢磨は、無言で動き回る胡桃をしげしげと見つめ続けているのだが、そんな視線に彼女は気づいていない。
一通りの準備が整い琢磨の方に顔を向けた胡桃は、彼から見られていたことに気づき、頬を染め、おもむろに口を開く。
「食べている姿を見られると緊張するので、横に座るのは駄目ですか?」
それを聞いた琢磨の顔が、ふっと綻んだ。
「父親だって男だろう」
「実の父は幼い頃に亡くなったので母は再婚していて。義理の父とはあまり仲が良くなくて」
そう答えた胡桃の様子が、悲しげに見えたため、目を伏せる琢磨が気まずげに詫びた。
「そうだったのか。そうとは知らずに申し訳ないことを言った」
「いいえ。お気になさらず。仕事を始めてから一度も実家には帰っていないので」
「お盆にも会わなかったのか?」
「両親は妹2人と旅行に出ていたので、帰省する理由がなくて」
「一緒に行けばよかったんじゃないのか?」
「お恥ずかしながら、両親のことがちょっと苦手でして」
そう言った胡桃が肩をすくめた。
「昔何かあったのか?」
「年の離れた妹が双子だったこともあって、2人に手がかかっていたから、両親は私に厳しくて」
「そういうことな。対人への恐怖、特に男性恐怖症は、その義理の父親から来ているんじゃないのか?」
「ど、どうでしょうか?」
誤魔化すように苦笑いをした。
「横に座りたいなら、いいんじゃないか」
その言葉を聞き、椅子を静かに動かす胡桃は彼の横に座った。
そうすれば、琢磨がへぇ~っと、感心しきりに朝食を見ている。
「白浜は手際がいいんだな。スーパーが開く時間は、7時だよな。買い物から調理まで、1時間でこれを準備したのか?」
「料理は実家にいるときからやっていたので、慣れていますから」
胡桃は謙遜するものの、真剣な顔で料理を見ている琢磨は真に受ける素振りはない。
(彼女は、俺が思っている以上に仕事ができるんじゃないだろうか)
胡桃について思うことはあるが、それをあえて口にしない琢磨が「ふ~ん」と受け流すと、嬉しそうな笑顔を見せた。
「家でこんな食事を食べるのは久しぶりだな。いただきます」
そう言って食事をはじめた。
「トマトのリコピンは脂肪と一緒に食べると吸収が良くなるし、アボカドはビタミンCと一緒に食べると抗酸化作用がより高まるので、相性がいい食材なんですよ」
「詳しいんだな」
「同じ食べるなら、美味しくて体にいいものの方がいいですから。ちなみにオリーブオイルが入っているから、血糖値の上昇も抑えてくれますよ」
「へぇ~」と言いながら、胡桃を見やる。
「お口に合いますか?」
「ああ、美味しい」
緊張気味に見つめる胡桃へ、琢磨が穏やかな笑顔を見せた。
「あ、あの~、影山部長はいつ離婚されたんですか?」
「半年前な」
トマトを口元に運ぶ琢磨が、感心なさげに言った。
「そ、それは、どうして……?」
「部下が上司の個人的なことに興味を持つなって」
「す、すみません」
会話選びを失敗したなと思った胡桃が、気まずげに押し黙ったため、やれやれと思う琢磨が気遣って話題を変えてきた。
「そういえば、白浜はどの辺で部屋を借りるのか、ちゃんと考えているのか?」
「会社から近い方がいいな、とは思っているんですが」
「家賃が高いだろうな」
「そうなんです……。それに、少し離れた所ぐらいでは私の予算に合わなくて」
顔をしかめる琢磨が、不思議そうに尋ねた。
「家賃はいくらで探してるんだ?」
「初期費用なしで、3万が限界で」
「は? 新人とはいえ、うちの会社の給料ならもっと出せるだろう」
「私の場合、奨学金を返しているから、どうやって捻出してもそれが限界でして」
「だからって初期費用なしで3万の家賃なんて、若い女性が住むにはセキュリティーも危ない物件ばかりだろう」
琢磨の言いたいこともしかり。
意味を理解している胡桃は、気まずそうに口を開く。
「そうなんですが、今まで光熱費込みで5万だったので、その予定で先日貯金を全部実家に送ってしまって……。頭金もない状況でして」
頭を抱えた琢磨が横に座る胡桃を見つめる。作り笑いを浮かべる胡桃を見ていられず、腹を括る。
「白浜が使っている部屋は、この先使う予定もないし、気がすむまで暮らしていいからな」
「いいんですか?」
「但し! 会社の連中には俺と暮らしていることを絶対に知られるなよ。誤解されたら困るから」
「は、はい! それに関しては私も同意見です。私と影山部長が同居している理由を聞かれても、うまく答えられませんし」
「ルームシェアの条件は、お互いの生活に干渉しないこと。ただのルームメイトとして白浜をここに置いてやるよ」
「か、影山部長、でも、それだとお金が貯まるまで、しばらく出て行けませんよ」
「あ~、まあ、そうだよな。じゃあ、目標でも決めるか」
「どんな目標ですか?」
「白浜は俺が一番苦手なんだろう」
顔を逸らした胡桃は、遠慮がちにこくんと小さく頷く。
「それなら、ここを出たあとは、誰とだって暮らせるだろう」
「た、たぶん」
「よし! じゃぁ彼氏でも作って、そいつの家に転がり込めばいいだろう」
「転がり込むって⁉︎」
「ルームシェアじゃなくて、彼氏との同棲ってやつだ」
「私に彼氏なんて、できるわけありませんよ」
「決めつけてどうする。男性恐怖症を克服したあとの目標くらい持てって」
「そうなんですけど」
煮え切らない態度にムッとする琢磨が強気に告げる。
「部下が危なっかしい所で暮らされるのも困るが、俺だって、いつまでも一緒に暮らすつもりはない。出て行ける目途ができたら、さっさと家を出て行ってくれよ」
「は、はい」
「よし! これで契約成立だな。男性恐怖症の治療に協力していやるよ」
「あの~、ここの家賃はおいくら払えばいいですか?」
「いらないって。今までの家賃がなくなった分を貯金に回せ。それなら彼氏ができなかったとしても、1人暮らしを始められるだろう」
真面目な顔の琢磨が、胡桃を見やる。
「でで、ですが、それではただの居候の私としては、肩身が狭くて」
「だったら、白浜が作ったご飯をついでに、こうやって食べさせてくれるだけでいいから」
「私なんかが影山部長と、ご一緒に食事ですか?」
「彼氏ができたら一緒に食事に行くだろう。毎日こうやって食べていれば、慣れてくるだろう。男性恐怖症を治したいっていう部下の荒療治ってやつに協力してやるよ」
「わ、わかりました。男性恐怖症を一刻も早く克服して彼氏を作り、影山部長の家から早急に出て行くことを目指します」
「ははっ、すごい意気込みだな」
「ちゃんと自立しないといけないですから」
「おいおい出て行くとはいえ、白浜がここで暮らすなら、必要なものもあるだろう。あとで車を出すから一緒に買い物でも行くか」
「だけど、甘えてばかりでは申し訳なくて」
「俺は白浜の上司なんだから気にするな。いちいちこの程度のことで遠慮されても困るし、会社の連中と車で外勤だってしなきゃならないんだ。慣れておけよ」
優しい笑顔を見せる琢磨へ、真っ赤になった胡桃がこくんと頷く。