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わたしを救った百合迫る後輩との同居生活は想像よりもずっと甘い。  作者: 藤白ぺるか


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第33話 救い、救われて

 ――ゆーちゃん。


 それは、高校三年生の夏のこと。

 テニス部最後の大会を目前に控えた、あの雨の日。私はずぶ濡れになっていた一人の女の子に出会った。


 彼女は中等部の三年生で、名前は『ゆーちゃん』。

 当時、同級生たちから体型のことで心ない言葉を浴びせられ、いじめられていた。悩みながらも、食欲だけはどうしても抑えられない。そんな苦しさを抱えていた彼女に、私ができたことといえば、トレーニングを課すことくらいだった。


 私はテニス部のキャプテンで、正義感も強く、後輩の苦しみを見過ごすことなんてできなかった。きまぐれとはいえ、力になろうとした。

 といっても、具体的にやったのは、ラインで連絡を取り合って、日々のトレーニングの報告をしてもらう程度。たまに彼女を家に呼んで、一緒にご飯を食べたこともあるけれど、ほんの些細な時間だったはずだ。


 その関係は二、三ヶ月ほど続いたと記憶している。

 でも、ある日を境に、突然連絡が途絶えた。

 私もテニス部の練習で忙しく、そのうち自然と、彼女のことは頭の片隅から追いやられていった。気づけば、今の今まで思い出すことすらなかった。


 最初に連絡先を交換したとき、彼女は自分の名前を『ゆー』としか登録していなかった。私は深く考えることもなく、そのまま『ゆーちゃん』と呼び続けた。

 私の母も彼女をゆーちゃんと呼んでいた気がする。二人とも、細かいことは気にしない大雑把な性格だったから、それで済んでしまっていたのだろう。


 ――やっと、思い出してくれた。


 そう、目の前の落合さんが言ってくれた。

 まさか彼女があのゆーちゃんだったなんて――にわかには信じがたかった。

 あの頃とは見違えるようにスタイルが変わっていた。けれど、よく見れば顔のパーツは同じで、面影も確かに残っている。


 彼女が昔、私に見せてくれたお母さんの写真。それも今、ようやく記憶の底から浮かび上がってきた。

 あの頃とは違い、今の彼女はとても明るく、自信に満ちている。


 彼女は、私の教えを守り、ずっとトレーニングを続けて、ここまで変わったのだ。

 いや、正確には私の支えなんて微々たるものだ。すべて彼女の努力の賜物だった。

 あのぽっちゃりとした体型から、ここまでスタイルを変えるなんて――どれほどの苦労と意志の力があったことだろう。


 その事実を前にして、私の胸に湧き上がったのは、感動にも似た、純粋な称賛の気持ちだった。


「――すごい……すごいじゃん! こんなに、こんなに頑張って痩せたんだ! ……偉い、本当に偉いよ!」


 私は、努力することの価値を知っている。

 勉強もテニスも、自分がどうやってやる気を出すかを理解していた私は、どんなことでも好きになって取り組み、結果を出してきた。


 努力の大変さも、よく知っている。

 だからこそ、他人の努力の重みも、感じ取ることができる。


 特に女性は、筋肉がつきにくく、脂肪がつきやすい。

 体を変えるというのは、想像以上に困難なのだ。

 落合さん――ゆーちゃんは、その困難を乗り越えて、今の姿を手に入れた。


「先輩……あぁ……先輩……っ。嬉しい、です……私、たくさん頑張ったんです……先輩と連絡が取れなくなってからも、ずっと頑張ってて……いつか先輩に痩せた姿を見せたくて、あの日からずっと頑張ってきたんです……だから、先輩の言葉で……全部が救われました……嬉しい、本当に嬉しい……っ」


 彼女の涙は、止まることを知らない。

 ぽろぽろと頬を伝い、顎を滑り、まるで空から降る雨のように次々とこぼれていく。


 私のコートにしがみつく彼女は、肩に顔を埋め、鼻をすすりながら続けた。


「連絡、途中でできなくなって、ごめんなさい……。お父さんの都合で突然転勤になって……それで、そのことを連絡しようと思ったら、スマホごとなくしちゃって……私、どんくさくて、引っ込み思案で……先輩の家に直接お別れの言葉を伝えに行けばよかったのに、先輩の勉強の邪魔をしたくなくて……私……っ」


 あふれ出る言葉たち。きっと、長い間ずっと胸に溜め込んでいたのだろう。


 あの夏の大会が終わって、私は受験に集中していた。

 彼女からの連絡が消えたのと同じ時期に、私も生活が一変していたのだ。


 私はそっと、濡れた彼女の頭を撫でて、言葉を返す。


「ううん。おちあ――ゆーちゃんが、頑張ってたこと、知ってたから。確かに途中から連絡がとれなくなったことは、どうしたんだろうって思ってた。でも、そんなの些細なことだよ。私がかかわったのはほんの数ヶ月。だから、ゆーちゃん自身が努力して、強かったから痩せることができたんだよ」


 私がしたのは、ほんのささいなこと。

 彼女の努力は、彼女のものだ。私はその背中を少し押しただけ。

 ……まあ、そのときはスパルタで鍛えていた気もするけれど。


「ちがっ、ちがいますっ! 先輩が、先輩がいなかったら、今の私は、今までの私はいないんです! あの頃のままもっと太って、学校が嫌になって、通うのを辞めてたと思います。先輩は私の全部を救ってくれたんです! だから、そんなこと……言わないでくださいっ! ……先輩は、私のっ……ぐすっ……神様なんですっ!!」


 さっきはその神様相手に無断でキスしたくせに、とは思ったけれど、さすがに今この場では口にできなかった。


「うん……そうだね。私の言い方が悪かった。ゆーちゃんにとっては、大きなできごとだったんだね。でも……それが、東京にまで来て……私を助けてくれた理由……なの?」


 彼女が同居を申し出たとき、「私がどんな気持ちでここに来たのかも知らずに」と言っていた。


「いじめられてて、毎日が苦痛で、一人も友達がいない状態の私を唯一救ってくれたのは先輩だけだったんですよ? 家族も妹も、声はかけてくれました。でも、でも……私は家族の言葉じゃなくて、先輩の言葉と行動で、人生が変わったんです。そんなの、感謝しないわけないじゃないですかっ!」


 函館から、東京まで。

 彼女は遠い距離を越えて、私のもとにやって来た。

 それは並大抵の覚悟じゃできないことだ。


 でも、そのおかげで私は救われた。命も、そして心も。


 当時の私は、ほんの思いつきで手を差し伸べたつもりだった。

 でも、彼女にとってそれは、人生を変えるほどの大きな出来事だったんだ。


 きっとそれは、あのとき――線路に飛び込んだ私が救われたのと同じ感覚なのかもしれない。

 人の優しさ、生きていてよかったという感情。あれは、何にも代えがたいものだったから。


「そっか。そうだったんだね。私が、ゆーちゃんを助けて。それで、ゆーちゃんも私を助けてくれたんだ」

「はい……そうです。私を助けてくれたのに、勝手に死ぬなんて、許されるわけありませんっ! いっぱい、いっぱい……先輩のために頑張って、近づいたのに……変わった自分を見せる前に、ちゃんとお礼を言う前にいなくなるなんて……ダメ、ですっ」


 彼女の涙の重さが、私の胸に響く。

 その感情の深さが痛いほど伝わってくる。


 ゆーちゃんからの、痛いほど真っ直ぐな気持ちが、私の胸の奥にひしひしと伝わってくる。

 泣きじゃくる彼女の涙は乾くことを知らず、ひとつひとつの言葉を紡ぐたびに、私の心に鋭く突き刺さってくるのだった。


 それにしても、ここまで一途に私を想い続けてくれていたことは、ただただ嬉しい。嬉しいけれど、どこでそんな恋愛感情に変わっていったのだろう。最初から彼女は女の子が好きな子だったのだろうか。


 私は彼女のことを、あまりにも知らなさすぎる。

 彼女の引っ越し先はどこだったのか。いつ東京にやってきたのか。どうして男の人に柔道技をかけられるほど強かったのか。なぜお母さんが名前を知らない彼女のことを楪ちゃんと呼んでいたのか。そして、どうやって私の住んでいるマンションを突き止めたのか……。

 他にも、聞かなければならないことは山ほどある。


 でも、今この瞬間、そんなことよりもなによりも、私がようやく彼女のことを――『ゆーちゃん』を思い出すことができたという事実が、何よりも大切だった。


 あれだけ、先輩としての立場を保ってきた(保ててない)私が、今では彼女をただひたすら愛おしい存在として見つめることができている。

 スパダリだとさえ思っていた落合さんは、実はかつてのダメダメなゆーちゃんと同一人物。その彼女が今、まるで昔に戻ったかのようにぐしゃぐしゃに泣き崩れている。


 だからだろうか。そんな彼女が以前よりずっと可愛く見えるのは、きっと気のせいじゃない。


「……ゆーちゃん。私に会いに来てくれて、本当にありがとう。まだまだ言葉が足りないけど…………今まで、たくさん頑張ったんだね。それに……やっぱり、お母さんに似ていて、とっても可愛くなったよ。よしよし……」

「ぶええええええええええ〜〜〜〜〜〜んっ!!」


 本当に昔に戻ったような、ちょっとブサイクな泣き方だった。

 そう、あの頃は言動がへなちょこで、でも私のスパルタトレーニングには、なんだかんだで食らいついてきていたんだよね。


「ほら、いつまでも泣いてないで、そろそろ家に帰るよ。……ああ、そうだった。あの時もそうだったね。ゆーちゃんの家が遠いからって、私が無理やり連れて帰って、お風呂に入らせたんだった」


 懐かしい。

 忘れかけていた記憶の数々が、まるで箱を開けたように、どんどん溢れ出してくる。


 約十年も前の出来事だ。

 それでも、人と人との縁というのは、まるで運命に導かれるように繋がり続けていくのだと、あらためて感じた。


 だからこそ、私は思ったのだ。あの時と同じことを、もう一度してあげよう、と。


 学校を出た私たちは、そのまま私の実家へと帰宅した。

 空からは、変わらず雨が降り続いていた。通行人たちは皆、傘を差しながら足早に歩いていく。その中で、私はあえて傘を差さずに歩いていた。


 ゆーちゃんだけが濡れているなんて、そんなのは忍びない。

 私も一緒に濡れて、当時と同じ気持ちになることで、彼女の恥ずかしさもきっと紛れると思ったから。


「おかえりなさい……って、ちょっと、びしょ濡れじゃない! なんのために傘持っていったのよ!」


 玄関で出迎えてくれたお母さんが、かつてと同じような小言を口にする。

 十年前と同じ。けれどあの時は夏で、今は真冬。気温は氷点下を下回るような過酷な寒さ。


 体も口も、がたがたと震わせながら、私たちは仲良く熱いお風呂に肩を並べて浸かるのだった――。




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