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わたしを救った百合迫る後輩との同居生活は想像よりもずっと甘い。  作者: 藤白ぺるか


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第32話 それは、同じ雨の日

「――あれ、お母さん、まだ起きてたの?」


 初詣から帰宅すると、時刻はすでに深夜二時をまわっていた。

 てっきり寝ているものと思っていたお母さんはリビングで起きていた。

 そしてその奥、キッチンの方からは、ふわりと優しい匂いが漂ってきた。


「ほら、夕飯、しっかり食べてなかったでしょ? 楪ちゃんもお腹が空いた頃だと思って」

「夕子さんっ……!」


 香りの正体に導かれるように、落合さんがキッチンへ駆け込んでいく。

 鍋の中でぐつぐつと音を立てていたのは、鶏肉に長ねぎ、かまぼこ、エビ天まで載った贅沢な――年越しそばだった。


 たしかに年は明けてしまったが、それがどうしたというのだろう。

 年末年始に食べるという行為に意味があるのだから、元旦のそばだって年越しそばで構わない。


「ぜったいに美味しいやつっ!」


 落合さんの瞳が、まるで星空のようにキラキラと輝いていた。


「外、寒かったでしょう。これ食べて体を温めてから寝なさい」

「ありがとう、お母さん。それと――あけましておめでとう」

「あけましておめでとう。今年もよろしくね」


 夜中に食べるには少し重いかもしれない。

 でも、最近痩せすぎている私の体にはむしろちょうど良い。

 こんな温かくて優しい夜食なら、いくらでも受け入れられる。


 そばを食べ終えたあとは、歯を磨いて着替えてから布団へ。

 心も体もぽかぽかしたまま、私たちはぐっすりと眠りについた。


 ◇ ◇ ◇


 年が明けた翌日、私たちはお父さんのお墓参りへと出かけた。


 仏壇の前で手を合わせたとき、落合さんのことはすでに話していたけれど、改めて墓前で彼女のことを紹介した。

 落合さんは静かに頭を下げ、丁寧に手を合わせてくれた。


 不思議だ。こうしてお墓参りを一緒にするだけで、ただの同居人ではない存在に思えてくる。

 誰でもいいわけじゃない。彼女だからこそ、そう思えた。



 さらにその翌日。

 東京に戻るまで、残された時間はあとわずかになっていた。


 なのに、私はまだ――彼女のことを何も知らなかった。


 聞こうと思うたび、言葉が喉に引っかかる。

 そのくせ、彼女のことをもっと知りたいという思いは、日に日に大きくなるばかりだった。


 その日、函館は珍しく少しだけ暖かかった。

 そのせいだろうか。ちらついていた雪が雨に変わり、積もっていた雪が溶けて、道はぐしゃぐしゃのぬかるみになっていく。


 私たちはもう一度、母校を訪れることにした。

 前回は閉まっていた門。きっと今回も無理だろうと思いながら、私は傘をさして門前に立った。


「やっぱり……閉まってるかぁ」


 そうつぶやき、少しだけ肩を落とした時だった。


「――あら、どちら様かしら?」


 突然、後ろから声をかけられた。

 振り返った瞬間、その顔を見て、息をのんだ。


「川本先生……!?」

「ん……あらまあ、橘さんじゃないの!」


 卒業アルバムを見たからだろうか、すぐに名前と顔が一致した。

 川本先生――私が高校三年生の時、最後の担任をしてくれていた先生だ。


 あれから十年。

 髪には白いものが混ざり、肌には少し皺が増えたように見えたけれど、優しく穏やかな物腰は変わっていなかった。

 若い頃はきっと、いや今でも充分、美人と言える人だと思う。


「覚えててくださったんですね……」

「ふふ、当たり前でしょう? 私、教え子は全員覚えているつもりよ。それに、橘さんはクラスの太陽だったもの。忘れるなんてできないわ」

「先生……」


 その言葉が心に染みて、思わず笑みがこぼれた。

 先生は昔から、生徒の心を掌握するのがうまい。だからこそ、多くの生徒から慕われていたのだろう。私もその中の一人だった。


「それと……そちらの方は?」

「こんにちは。落合楪と申します」

「落合さん……うーん、どこかで会ったような……」


 先生は落合さんの顔をじっと見つめたが、思い出せないようだった。

 つまり初対面、もしくは記憶にないほどの存在、ということだ。

 ――でも、落合さんが「はじめまして」と言わなかったのが、少しだけ気にかかった。


「あの……中に入らせていただくことって、できますか? ほんの少しだけでいいんです」

「時期的に校内には誰もいないけれど……あなたなら特別に許可しましょう。私は職員室にいるから、帰る時には声をかけてね」

「本当ですか!? ありがとうございます!」


 こうして、私たちは門の中へと足を踏み入れることができた。


 ◇ ◇ ◇


「そっか……こういう道だったね」


 門から校舎へと続く長い直線の道。

 両脇には木々と花壇。今は冬枯れで静かな景色だけれど、春には花が咲き、緑が生い茂って、心地よい香りに包まれる。


 まず向かったのは、私が三年生の時に過ごしていた教室だった。

 ガラガラとドアを開けると、見慣れた――でも今は色あせた教室がそこに広がっていた。


「先輩、どこに座ってたんですか?」

「確か……窓際の、一番前から二番目だったかな」


 当時の記憶を頼りに、その席へと歩み寄る。

 机にそっと触れると、冷たくてつるりとした感触が指先に伝わってきた。

 椅子を引いて腰を下ろすと、なんだか机が小さく見える。身体のサイズは変わっていないはずなのに、不思議だ。


「落合さん、隣座ってみてよ」

「はいっ!」


 隣にちょこんと座る彼女を見て、なんとなく、学生時代に戻ったような気分になった。

 友達と笑い合った日々。勉強、部活、進路で悩んだこと。

 忘れかけていた思い出が、心の奥からふわっと蘇る。


「先輩と同級生だったら、楽しかったのかなぁ?」

「そうかもね。あの頃の私は何でも楽しいって思えてたから、もし隣の席だったら、きっといっぱい話しかけてたよ」


 暖房の止まった教室は肌を刺すように冷たかった。

 私たちは立ち上がり、次の場所へと向かう。


 音楽室、体育館、そして講堂――。


 私の母校はキリスト教系の学校で、毎朝礼拝が行われていた。

 講堂にはドイツ製の立派なパイプオルガンが置かれていて、校舎とは別にチャペルまで建てられている。

 そのチャペルでは、実際に卒業生たちが結婚式を挙げることも多いのだ。


「先輩、そっちに立ってください」

「えっ」


 驚く間もなく手を引かれ、私はチャペルの前方に立たされた。


「――新郎、落合楪。あなたはここにいる橘詩暮を、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、妻として愛し敬い慈しむことを誓いますか? ……はいっ! 誓います!」

「なっ……!?」


 突如はじまった模擬結婚式。

 落合さんは真顔で誓いの言葉を読み上げている。


「新婦、橘詩暮。あなたはここにいる落合楪を、病める時も健やかなる時も、夫として――誓いますか?」

「え、は……えっ……!?」

「誓いますかっ!?」


 畳みかけるような問いかけに、私は目をぱちくりとさせて、


「ま、まだ……誓いませんっ!!」

「ふふ。焦る先輩、かわいいです――」

「んむっ!?」


 そのままの勢いで、唇を重ねられた。


 ……もう、なにがなんだか。

 少しでも隙を見せると、無理やりされてしまう。

 けれど、それに慣れてきている自分もいて……。


「ほら、次行きますよ〜」

「言われなくても行くけど!」


 ぺろりと舌なめずりをしてあざとい表情を見せた落合さん。

 私はぷんすかと足音を立てながら、彼女の後を追った。


 テニスコートも見たかったけれど、あいにくの雨。

 足場が悪いので断念することにした。


「私、先生に一言だけ挨拶してくるね」

「じゃあ、私は……お手洗い、借りますね〜」


 私は校舎へ戻り、職員室で川本先生にお礼と別れの挨拶を伝えた。

 だが、戻ってきた時、落合さんがまだトイレから出てこないことに気づいた。


 不思議に思い、中をのぞいてみたけれど――誰もいない。


「落合さん……?」


 辺りを探しながら廊下を歩いていく。

 寒さが再び身に染みてきて、私はコートのポケットに手を突っ込んだ。


「……雨、少し強くなってきた?」


 一階をぐるりと回っても、彼女は見つからない。


 しかし、窓際に立ち、外を眺めた瞬間――


「――――っ」


 視界の端に、明るい色の何かがちらりと映り、別の何かを幻視した。

 胸がざわつき、思わず駆け出した。


 靴を履き、傘を持って、雨の中、外へ飛び出す。

 ぬかるんだ足元を蹴って、向かった先は……何も咲いていない、冬の花壇だった。



「――傘もささないでいたら風邪引いちゃうじゃない」



 しゃがみこんでいた彼女の頭上に、私は静かに傘を差しかけた。

 どうしてこんなことをしているのか。なぜずぶ濡れのまま、そこにいたのか。


 何を考えているのか、よくわからない。

 でも、なぜか私は、彼女が泣いているような気がした。


『……ぐすっ……ぐすっ…………』


 今度は幻聴まで聞こえてきたから。


「――――」


 しゃがんでいた彼女が振り向き、見上げる。

 瞬間、私の頭に突如フラッシュバックが起こり、自分の体ごと過去へ飛んだような感覚になった。


「ぁ……ぇ…………ぁ…………っ」 


 その日は、今とは違う、暑い夏の日。

 今日と同じく曇り空で雨が降っていた。


 花壇には葉の緑と色鮮やかな花の数々。

 その中の一つに紫色の紫陽花が綺麗に咲いている。


 私は制服姿で、彼女も制服姿。

 紫陽花の前にいた彼女は黒髪で眼鏡をかけ、少し丸みを帯びた体型。それでいて嗚咽混じりの声を漏らしていて――


 私の口から、勝手に言葉がこぼれた。



「――ゆーちゃん……なの?」



 胸が締め付けられる。

 けれど、これは痛いとか苦しいとかそんな気持ちではない。


 懐かしい、私の短い青春の一ページ。その思い出が呼び起こされた結果と、目の前にいる人物が、私の知る人物と重なっていたから、胸が締め付けられたのだ。



「――先輩…………やっと……やっと、思い出して、くれましたね……っ」



 ずぶ濡れになった明るい髪とコート。

 立ち上がった彼女――落合楪は、濡れた前髪の下から、私に向かって微笑んでいた。

 そして、頬をつたう涙が、ゆっくりと地面へ落ちていった。





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