第20話 前途多難
「先輩っ」
「せんぱーい♡」
「先輩先輩っ!」
「ちょっと先輩、聞いてくださいよー!」
「ね、せーんぱいっ!」
「………………」
「うるさーーーーーーいっ!!」
同居がはじまり、すでに一週間が経過した。
十二月に入り、気温はぐっと下がって、外に出れば息も白くなる。
そんな寒さの中、私は暖かい新居の中で――叫んでいた。
落合さんは、私のために本当に何でもしてくれる。
炊事、洗濯、掃除、その他もろもろ。
家政婦以上に働き者の彼女は、まだメンタルが回復しきっていない私の世話を焼いてくれている。
――でも、だ。
一緒に暮らしはじめてわかったのは、彼女が思っていた以上に過干渉な人だということだった。
私のことが好きすぎるせいか、リビングにいない時でも、わざわざ私の寝室にやってきておしゃべりをしてくる。
今までずっと一人で生活していた私にとって、この状況にはどうしても慣れず……つい、叫んでしまったのだ。
「先輩が怒ったー!」
「怒りたくて怒ったわけじゃないんだけど……。ただ、もう少しだけ一人の時間がほしいって言ってるの」
これまで私が彼女の家に入り浸っていたのとは、わけが違う。
今は、朝から晩までずっと一緒にいる。それに、職場も同じだ。
一人暮らしの頃と比べて、一人になれる時間が圧倒的に少ない。
これはもう、一人の生活に慣れすぎた弊害かもしれない。あるいは、私が一人っ子だったせいかもしれない。
「え〜、だって〜。いつでも先輩と一緒にいたいんですもんっ」
「可愛く言ってもダメ。本当に、一人の時間がほしいの。だから、私が部屋にこもってる時は放っておいてほしいの」
「……わかりましたよぉ……」
私の寝室からしょげて帰っていく落合さん。
背中が小さく見えたのは、きっと私が怒ったからだろう。
でも、一人でいる時間は、本当に大切なのだ。
これから先、彼女とうまくやっていけるのか――まだまだ課題は多い。
引っ越したばかりだというのに、前途多難である。
◇ ◇ ◇
「先輩っ。クリスマス、どうしましょうか?」
会社からの帰宅途中、落合さんが話しかけてきた。
以前にも少し話題に出た、このクリスマス。
「どうするって……家で過ごすか、外で過ごすかってこと?」
「そうですっ。わたし的には〜、ゆっくりと家で過ごしても良いんですけどぉ……」
もう、その言い方で察しがつく。
落合さんは、外で特別な夜を過ごしたいのだ。
若い女の子。
きっと、素敵な男性にエスコートされて、ちょっとかしこまったレストランでディナーを楽しむ――そんなロマンチックな夜を望んでいるのだろう。
ただ、私たちは少し特殊だ。
私は彼女に対して、まだ恋愛感情を持っていない。
けれど、彼女が“女の子”としての自分を楽しみたいというのなら、私が男役を務めても……
「ってことで、私がエスコートするので、先輩はとっても可愛くなって、素敵なディナーしましょうねっ!」
――って、逆かいっ!!
「え……どういうこと? なんというか、私がエスコートするものだと思ってたんだけど……」
「もう、先輩ったら……自分のこと、ぜんっぜんわかってないんだから……。まあ、いいです。当日までにこっちで色々と用意しておきますから、ドーンと構えておいてくださいっ」
結局、こうなる。
私が彼女をリードできたのは、先日の温泉旅行のときくらいだ。
それもリードできたと言っていいのかは微妙だ。やったことといえば、旅行サイトの予約ボタンを押したくらいなのだから。
「ってことでー、はい。パシャリ」
「ちょっといきなりはやめてよ……変な顔しちゃったじゃない」
「えへへ〜、先輩の変な顔、いただきました〜♪」
一緒に暮らしはじめてから、増えたことが一つある。
それが、この写真。
別にデジカメでも一眼レフでもない。
ただ、スマホで気軽に撮った写真たち。
落合さんは「二人で暮らしはじめた記念に」と、写真を撮りはじめた。
これからの日々を記録に残していくらしい。
そして、ある程度撮り溜めたら、現像してアルバムにするのだとか。
だからこうして、ふとした瞬間にもシャッターを切る。
……なんだか照れくさいけれど、嫌ではない。
◇ ◇ ◇
「――橘さん、最近ぐっと顔色が良くなったね」
ある日、いつも通り会社で仕事をしていたときのこと。
隣の席の一歳年上の先輩・秋葉涼さんが声をかけてきた。
茶髪ロングで落ち着いた大人の雰囲気を持つ秋葉さんは、以前、私と落合さんの関係を少し気にしていた人だ。
それからは特に何も言ってこなかったけれど、色々と察している節はあった。
「確かに目の隈はなくなりましたけど……そうだといいんですけどね」
これは間違いなく、落合さんのおかげだ。
彼女がいてくれたから、私はここまで回復できた。
「それでさ……突然なんだけど、今日の夜、久しぶりに飲みに行かない?」
「の、飲み……ですか?」
文字通り、突然だった。
秋葉さんと飲みに行ったのは、自殺未遂のきっかけになった二ヶ月前の飲み会の日。
それ以来、二人きりで飲みに行くなんて、もう半年以上もなかった。
あの時は、死に物狂いで働いていた私を見かねて、連れて行ってくれたのだ。
……今日の夕食は、昨日の余り物って話だったし、大丈夫かな。
「うん。どうかな?」
「ええと……少しだけ待ってもらえますか? 帰りまでには返事します」
「わかった。待ってるね」
私はすぐに落合さんへメッセージを送った。
『一人にしてほしいってこういうことですかあああああ!?』
返ってきたのは、泣き顔のスタンプと一緒の抗議文。
訂正して説明をしたところ、最終的には了承を得られた。
◇ ◇ ◇
「本当に久しぶりだね。今日は私の奢りだから好きなもの頼んでね」
「わかりました」
やってきたのは、駅前の一般的な居酒屋。
大衆的でも個室でもない。
周囲には仕事帰りのサラリーマンたちがいて、静かすぎず、うるさすぎないちょうどいい空間だった。
「急にどうしたんですか? しかも私だけ誘うなんて、誰かと間違えたのかと思いましたよ」
「ふふ、そんなことないよ。私って、こうして一対一で話せる相手って、会社じゃ橘さんくらいしかいないから」
「え、そうでしたっけ」
「もう……すぐ忘れるんだから。新人の頃は、逆に橘さんのほうがたくさん誘ってくれたじゃない」
そんな時も……あったか。
入社して間もない頃の私は、まだ元気だった。
積極的に仕事をこなして、先輩や上司ともフランクに接しようと頑張っていた。
その中でも、秋葉さんとの交流は多かった気がする。
「もう、遠い昔の話ですね」
「橘さん、元気がなくなっちゃったから……ずっと心配してた。でも、今は多少なり復活してるみたいで、本当に良かった」
「はい……なんとか、ですけどね」
お互いにビールを飲みながら、私の変化について話す。
秋葉さんはずっと気にかけてくれていた。でも、プライベートなことを深く話す仲ではなかった。
それが、この日の夜に――少し変わることになる。
「それで、本当はなんのために誘ったんですか?」
「……やっぱりわかる?」
「もちろん、私のことを心配してくれたのはわかります。でも、何か話したいことがあるんじゃないかって、雰囲気で」
そう。社内で誘われた時から、なんとなく察していた。
秋葉さんの話したい何か――それは、きっと彼女自身のプライベートなことだ。
「私もね、実は相談できる人ってあまりいないの。けど、橘さんは話しやすいから……」
「そうですかね」
「そうよ。だから、こうして誘ったの」
「……私なんかでよければ」
昔の私なら、きっともっと強くアドバイスできたかもしれない。
けれど今の私は、あくまで聞く側に徹するしかできない。
「――実はね、結婚を考えてる人がいるの」
「わ……いきなり、すごいのきましたね」
まさかの恋人の話。
だからだろうか――私は、まだ恋人ではない落合さんのことを、思わず重ねてしまった。
「でしょ。……たぶん、次のクリスマスにプロポーズされるんじゃないかなーって、そういう雰囲気はあるの」
「それはおめで……いや、まだ言わないでおきます」
「察しが早いねぇ……で、その彼なんだけどね。ついこの間、ちょっと怪しいメッセージを見ちゃって」
「え……」
ちょっと待って。重い。
急に相談内容のトーンが違いすぎて、心の準備が追いつかない。
「たまたまなんだけど、彼ってスマホに通知が来たらメッセージの冒頭が表示される設定にしててね。それで、女の子っぽい名前の人から、『大好き』みたいな内容のメッセージが来てるのが見えちゃったの」
「うわあ……でも、それって妹さんとか、そういう可能性も……」
「気になってしょうがなくて……彼が寝てるときに、指紋認証でスマホを開けたの。人のスマホなんて、普段なら気にしないんだけど……今回は、ね」
わかる。
私も普段なら、人のスマホの中身なんて見る気も起きない。
でも、浮気かもしれないとなったら、見てしまうのも仕方ないと思う。
「それで見たら……」
「……確定だったんですね」
「うん」
胃が、きゅうっと痛くなるような感覚。
人がこんなにも悲しい顔をしているのを見るのは、久しぶりだった。
今まで、私自身のことで精一杯だったけれど、こうして他人の痛みに共鳴している自分がいることに気づく。
「だからね、このまま見なかったことにして結婚するか、それとも別れるかって……すごく迷ってるの」
「……秋葉さんは、彼が結婚をきっかけに変わるかもしれないって、そう思ってるんですよね?」
「……まぁ、少しは。……でも、今この時期にさ、クリスマス直前にこんな気持ち抱えてたら……たぶん、笑って過ごせない気がして」
「うん……わかります。一度知ってしまったら、どうしても気になりますよね。大切なイベントを心から楽しむことなんて……」
できるはずがない。
秋葉さんは、こんなブラックな会社にいながらも仕事ができて、落ち着いていて、真面目で――
結婚したら、きっと素敵な奥さんになるだろう人だ。
でも、その彼女がいま悩んでいる。
だから私は――ふと、昔の自分を思い出した。
強かったあの頃の私のことを――
「責任は持てません。その上で言います。――正面から、ぶつかってください」
私が提示したのは、“別れなさい”という安直な答えではなかった。
「え……どういうこと?」
「人って、自分の気持ちが整理できるまでは、他人の言葉なんて聞かないものだって、どこかで聞いて。だから、私が別れた方がいいって言ったところで、秋葉さんが納得しない限り、行動に移せないと思うんです」
浮気されて、周りに「別れた方がいいよ」って言われても、別れられない。
それは、まだその人のことが好きで、信じたいから。
その想いを抱えたままズルズルいって、結局は振られたり、振ったりするまで終われない。
だから他人の言葉じゃダメ。自分が納得するまで、とことん悩まないと。
「……そうかもね。だから、橘さんに話したんだと思う」
「彼氏さんと、話してください。浮気のことについて正面から聞いて、相手がどう対応するかを見て。それで判断しても、遅くないと思うんです」
「認めるか、はぐらかすかってこと?」
「はい。秋葉さんにとって、それがどれだけ大事なことかを理解せず、真剣に向き合ってくれないようなら……きっと、その人とは結婚後も、大事な場面で同じことを繰り返すことになります」
「……うん、うん……恋愛のことについては、橘さんには勝てないみたい」
私は“別れろ”なんて一言も言っていない。
けれど、向き合って判断すべきだという言葉は、ちゃんと届いたようだった。
「……私、彼と、話をしてみるね」
「はい……!」
良かった。少しでも、前に進むための手助けができたのなら。
秋葉さんの表情が、さっきよりも少しだけ和らいで見えた。
彼女が、こんなプライベートな話をしてくれたのなら――
私も、少しだけ心を開いてもいい気がした。
「私も……一つ、いいですか? 実は――――」
私は、落合さんと一緒に暮らしはじめたことを打ち明けた。
彼女に命を助けられて、それからずっと面倒を見てもらっていること。
きっと恋愛感情を持っているらしいこと。
そんな彼女との関係を、少しずつ――けれどしっかりと話した。
すると、秋葉さんはこう言った。
――やっぱり、そうじゃないかと思ってた。
実は彼女、私と落合さんが一緒に帰っているところを、偶然見たことがあったらしい。
その時、落合さんが私の腕に絡みついていて――
その光景は、ただの仲のいい先輩後輩には、どうしても見えなかったと。
私としては、バレていないと思っていたので驚いたけれど、今回相談したのは、落合さんの過干渉についてだった。
すると秋葉さんがこう言ってくれた。
「――正面から、ぶつかってみたらどう? ちゃんと話してみれば、きっとわかってくれるよ」
私が彼女に言ったアドバイスを――
そっくりそのまま、返されたのだった。




