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第2話 豚汁が美味しい

 精神的にボロボロになっていた私は、現世から来世にダイブしたところ、一週間前に転職してきたばかりの後輩社員――落合楪おちあいゆずりはに助けられていた。


 そのまま引きずられるようにベンチに座らされたと思えば、突然水を口移しで飲まされ、気付いた時には朝で、なぜか彼女と一緒のベッドに裸で寝ていたのだ。


 私は、あまりの光景に唖然とするばかりだった。

 目の前に落合さんが裸の状態でいるのだ。落ち着いていられるわけがない。


 よく見ると彼女はかなり手入れをしているのか、とてもすべすべの肌で、それでいてしなやかな体のライン。ただ、その一箇所全てに栄養がいったのではないかという大きな膨らみがあった。


「先輩いつまで私の体見てるんですか〜?」

「あっ……いや、これは……じゃなくて! 私って昨日…………」

「だから言ったじゃないですか〜。凄かったって……♡」


 なんだその顔は、ちょっと恥ずかしそうな表情をして、私が裸でナニをしたって言うんだ。

 しかも相手は女性。女性とこうやって過ごしたことは人生で一度もないし、恋愛対象だって女性ではない。


 でも、私は凄かったのだろうか。ナニをどうしたら凄かったのだろうか。


 もうわからない。

 視界に映る情報だけを信じるしかない……。


「さっきお布団から出た時にお湯沸かしておきましたから、湯船に浸かってきたらどうですか?」

「え……」


 そう言われ、自分の髪に触れると昨日はお風呂に入っていないからか髪はギトギト、化粧もしたままだった。確かにお風呂に入りたい……でも。


「なんなら、一緒に入ります?」

「ひっ、一人で入りますっ」

「ふふ」


 顔が赤くなった私を見て、くすっと笑う落合さん。

 私がお風呂に入ることを躊躇っていたことを見越したのか、結局私は彼女の思惑通りにお風呂に入ることになった。


 シャンプーやクレンジングは好きに使って良いとのことだったので、それを使わせてもらうことにした。


「ひっどい顔……」


 脱衣所にあった鏡を見た。

 いつも化粧をする時鏡を見ているはずが、今の私の顔は過去一酷かった。

 どれだけ酷いかというと、ムンクの叫びが絵画からそのまま出てきたみたいな顔だ。


 じっと自分の顔を見ていても嫌な気分になるだけなので、そのまま浴室へと入る。

 中はとても綺麗にされていて、水カビ一つ見当たらない。こまめに掃除している証拠だった。


 私は化粧を落とすのが面倒で、先に湯船に浸かることにした。

 手を入れると熱々ではない。心地よいほどの温度で調整されたお湯になっていた。


「…………」


 落合さんの気遣いがすごい。

 よくわからないけど、彼女の小さな優しさを感じた。


「生き返る…………」


 変な話だが、昨日は本当に死ぬつもりだった。

 だから自分で呟いた"生き返る"という言葉は、どこか真実味があった。


 湯船が気持ちいい。

 二日酔いが残っているため、まだ頭がぐらぐらするけど、それでもこの温かさはこころに染みた。



 そうして髪を洗い、顔を洗い、体を洗うと、外から落合さんが声をかけてくれた。


「先輩の服は洗ってあとでアイロンかけるので、とりあえず私の服着ておいてくださーい」

「あ……うん。ありがとう」


 どこまでも気が利く子だ。


 昨日の飲み会時点の印象と比べたら、本当に別人かと思うほどだ。

 なぜ、女の私にここまで……。


 そう思っても仕方ないので、もう一度湯船に浸かったあと、浴室から出ることにした。


 ドライヤーを貸してもらい髪を乾かしたあと、落合さんが用意してくれた服を着ようとしたのだが――


「パンダ……? 私、これ着るの……?」


 パンダのきぐるみのような可愛い寝間着が、畳んで置いてあった。

 私には似合わない、あまりにも可愛いデザイン。

 というか、高校生とか大学生が着るようなイメージ。大人の私には絶対に似合わない。と言ってもきゃぴきゃぴしてる落合さんには似合いそうだけど……。


 それに加えそこには下着も用意されてあった。

 多分これも落合さんの。


 他人の下着を借りるなど気持ち悪い。

 そう思うはずなのに、なぜか彼女のものはあまり嫌だとは感じなかった。


「…………」


 ブラのサイズが合わなすぎる。どれだけデカいのか。

 もういいや。ブラなしでも。


 私はパンツだけ借りて、その上からパンダのきぐるみを被った。


「シャンシャン可愛いっ!」

「は」

「シャンシャン!」

「…………」


 私は動物園で人気のジャイアントパンダのシャンシャンらしい。

 いや、確かに多少身長はあるけど、ジャイアントと言われるほどではない。心外である。


 落合さんのノリについていけず、ツッコミができなかったが、そのままワンルームのリビングへと戻った。


 良い匂いがした。

 その匂いというのが、料理の匂いだ。


 私にシャンシャンと言った落合さんは、エプロンを付けて料理をしていた。

 正直裸エプロンでなくて良かったと思った。先程までの彼女ならやりかねないと思ったから。


「もう少しでできるので、シャンシャンはテーブルの前に座っててくださいねー」


 まだその設定続けるの。

 私はスルーして四角形のローテーブルの前に腰を下ろした。


 落合さんの料理ができるまでの間、私は部屋をぐるっと見渡してみることにした。

 十畳ほどのワンルームで、一人暮らしをするには十分広さに余裕があった。

 私もワンルーム十畳の部屋に住んでいるからよく理解できる。


 彼女の部屋は一言で言えばお洒落。

 シーリングライト、観葉植物、アロマキャンドル、壁掛けの絵画、ソファ……小さなインテリアから大きなインテリアまで何から何までセンスが良い。


「〜〜〜〜〜♪」


 鼻歌を歌いながら料理をする落合さん。

 後ろ姿を見る限り、こんな彼女を持った彼氏は幸せなんだろうなあ、と思ってしまった。


 落合さんが料理を終えると、私と自分の分をテーブルの上に並べていった。

 

 ご飯、豚汁、卵焼き、お魚の煮付け。健康的な和食の献立で女子の小さな胃袋には十分な量だった。

 ただ、私の向かい側に座る落合さんの茶碗の中——お米の量がおかしい。

 まさに漫画盛りというレベルの白米の盛り方だった。


「あはは……私、これでも大食いなんです。てへっ」


 可愛い仕草をしてもお米の量は可愛くない。


「ほら、温かいうちに食べてくださいっ」

「えっと……いただき、ます?」

「いただきまーすっ!」


 人に作ってもらったご飯を食べるのはいつぶりだろうか。

 数年前、北海道に帰省した時、母に作ってもらった料理以来かもしれない。それを考えると相当に昔だ。


 まずは豚汁からいただくことにした。


 ずずずっと汁から吸い、喉に通す。

 温かくどろっとした私好みの濃い出汁が、喉を通って胃袋に流される。


 ――美味しい。


 美味しくて、どこか母の味を思い出した。


 ただ、母の豚汁とは全く違った味。でもなぜか、母の味を思い出したのだ。

 味は違うのに似ている。何が似ているのか全くわからない。でも、似ていると思った。


「ぁ………れ…………?」


 ぽたぽたと豚汁が入った器に水滴が落ちていくのが見えた。

 天井を見上げる。白い天井が見えるだけで水漏れしているわけではなかったようだ。


 でも、天井を見上げたことで、違和感に気付いた。

 ぽろっと目端から流れる雫の動きを感じた。


「先輩、泣くほど美味しかったんですか? 嬉しいな〜っ」

「ぁ…………」


 私は泣いていたらしい。

 私の涙がこぼれてそのまま豚汁に落ちていたのだ。


 美味しい豚汁の味が、私の涙の味で濁っていく。

 でも、なぜか止まらない。


 ここしばらくは泣きたくても泣けなかった。

 乾いて乾いて、辛くて。でも、泣けない理由はわからなかった。


 なぜ今のタイミングで涙が流れたのかはわからない。


 それでも、一つだけわかったことがある。


 ――温かいんだ。


 豚汁が温かいんじゃない。

 目の前でニコニコ笑いながらこちらの様子を見ている、何を考えているのかわからない落合さん。


 彼女の心が温かくて、私は泣いたんだ。


「――くっ……んぐっ……んぐんぐっ……! ごほっ……ごほごほっ…………」


 私は具だくさんの豚汁を途中咳き込みながら口の中にかきこんだ。

 そのまま白米もかきこみ、卵焼きを頬張って、魚の煮付けにも手を伸ばして——


「ちょっと先輩? ゆっくり食べましょうよ。おかわりはいっぱいあるんですから」


 私を心配する落合さん。

 見れば漫画盛りの白米が既に半分もなくなっていた。


 美味しい……美味しい……美味しい……っ。


 ご飯を前に三十分待てをされた犬のように食べ物に飛びつき、目の前のご飯が美味しくて、食べたくて。

 彼女の優しさが染み込んだ料理を胃袋に入れたくて。


 普段はこんなに食べない。仕事のストレスで食べようにも胃袋に入らなかった。

 そのはずなのに、今日はどうしてか食欲が刺激されて――


 ――私はものの数分で目の前の料理を全て平らげた。




 


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